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【小説】天国へのmail address第九章・引き裂かれた報告書

兄に渡ったバトン
 
 橘が朝日ヶ丘公園に戻ると優輔が寂しそうにひとり、ベンチに座っていた。橘が横に座ると優輔は目を赤らめながら橘を見た。
「ママとお別れするのは辛いよね」橘がそう言うと優輔はコクリと頷いた。
「また会えるよ」
「ママに会えるの?」
「ママにもパパにも会える。時間は随分かかるけれど『黄泉の国』で龍馬さんと一緒に待っていよう」橘がそう言うと優輔はまたこくりと頷いた。その時だ、橘のスマホが震えた。
(はい、橘)
(橘殿、黄泉の国の門番でございます)
(ああ門番さん! たった今、用が済みましたので優君と一緒に戻ります)
(それがですね。橘殿が迎えに行ったのは武藤優輔君と認識いたしておりますが、たった今優輔君と同じ住所で武藤康輔という名が乗船名簿に浮かび上がりました。如何致しましょう?)
(武藤康輔? 優君と住所が一致?)橘の受け答えを聞いていた優輔が叫んだ。
「それ、僕のお兄ちゃん!」
「お兄ちゃん?」橘の問いに優輔が頷く。
(門番さん! もう少し時間を頂きます)そう言うと橘はスマホを切った。
「優君行こう!」
「お兄ちゃんがどうかしたの?」
「死ぬ気だ!」
 
五階建てのマンション、四階の一室で康輔はひとりで外を見ていた。窓が開いていて白いレースのカーテンが吹き込む風に吹かれて揺れていた。康輔は窓枠のアルミサッシに右足を掛けた。
「お兄ちゃん何してるの?」その声に驚いて振り返った康輔の目には優しく微笑む弟の姿があった。
「優輔、優輔なのか?」
「お兄ちゃんも僕みたいに家族を悲しませるつもりなの」
「……」無言の康輔の後ろで『ガラガラ』と窓が閉まり『カチャ』と鍵の閉まる音がした。見ると誰もいないはずのベランダにはこちらに背を向けた侍があぐらをかいて座っている。
「お兄ちゃんごめんね。僕がお兄ちゃんを追い詰めてしまったんだね」
「優輔! 優輔、優輔! 」康輔は涙をこらえられなかった。
「僕に勇気が無かったからお兄ちゃんに悲しい思いをさせてしまったんだ」優輔は康輔に近づきながら言った。
「そうじゃないよ、優輔。」康輔は首を振った。
「うんうん、僕のせいだよ。僕があんな事する前に『いじめ』られている事をお兄ちゃんに相談すれば良かったんだ。あの時は僕にその勇気が無かった。ごめんね」
「違う! 俺は優輔が『いじめ』られて、悩んでいる事を知っていたんだ。あの時はこんな大事になるなんて思ってもいなかった」
「どうして知ったの?」
「ノート。優輔のノートを見たんだ」
「あのノート見たの」
「勝手に机の引き出しを開けてごめんよ。でもお前の様子がおかしかったから気になって」康輔は涙を拭いながら言った。
「良いよ、相談しなかった僕がいけないんだ」
「そうしたら、このノートが出てきた」康輔は自分の机の引き出しから、優輔の連絡帳を出して開いた。そこには『先生、僕いじめられてる。上靴、隠されたり、教科書がやぶれていたりするの、どうにか出来ませんか? タブレットの裏サイトにも悪口を書かれてるの、助けて』その文字は確かに優輔の筆跡であった。ただ、次の行に『優君、多分気のせいです。アンケートの結果、先生のクラスにいじめはありません。気にしすぎるのは良くないよ』と大人の字で書かれていた。
「それ! 僕が書いた。先生は気のせいと書いてけれど、それを書いている所を見られてしまって、皆から無視されるようになってしまったの」優輔はその時の事を思い出したくなさそうな顔で言った。
「ごめんよ。思い出したく無かったよな。俺がこれを見た時に、俺の担任か父さん達に相談すれば良かったんだ! 優輔の担任の文章に安心してしまって、それをしなかった。お前があんな事をしたのは俺のせいなんだ」康輔は激しくかぶらを振った。
「お兄ちゃん! 今日ね。授業参観でクラスの皆と仲直りをしてきたんだよ。龍馬さんが刀振り回して面白かったよ。ママも来てた。だから僕はもう大丈夫。お兄ちゃんも元気出して」
「龍馬さん?」
「モンゲーで友達になってさ、その時は生きてたのに、今は僕と同じお化けになったおじさんだよ」優輔は窓の外を指差した。康輔が見ると座っていた橘は消えた。そして、優輔の後ろに姿を現した。
「初めまして! 橘です。お化けです」橘は丁寧にお辞儀をした。
「はは初めまして」康輔も挨拶をした。
「優君の言ったとおりですよ。もうこの問題は子ども達の間では解決していますよ。もう優君のクラスで二度と『いじめ』が起こる事はないでしょう」橘は片眼をつむった。
「子ども達の間って?」康輔が聞いた。
「授業参観で大暴れをしたのは私達お化けですから、大人達は全く信じていないでしょう」
「優輔はそれで良いのか?」康輔は聞いた。
「僕はそれで良い。僕のクラスもこれで大丈夫。でも、他のクラスや学校が心配」優輔はうつむいて言った。
「康輔君! もうすぐこの問題に対する第三者委員会の公開報告会が学校で開かれます。君のお父さんとお母さんは此れから大人の戦いへ挑む事になります。結果はもう分かっています。お父さん達の負けです。だって、お化けが子どもを刀で脅して白状させたからなんて報告書に書かれる分けはないでしょう。」橘は真剣に言った。
「父さん達が負ける」
「確実に負けます。ただ、そのノートがあれば逆転出来ますね」橘は優輔の連絡帳を指差して言った。
「お兄ちゃん。もう僕達には何も出来ないよ」優輔は言った。
「……」康輔は頷きノートを手に取ると部屋を飛び出した。激しくドアが閉まる音がして、エレベーターのボタンを何度も何度も叩く音が廊下に響いていた。
 
 
引き裂かれた報告書
 
 宮山小学校には続々と人が集まって来ていた。体育館の入り口には受付が設置されて、スマホの一時預かり所が設けられていた。SNSへの拡散を防ぐためである。厳重な警戒をかいくぐるために直子は親友の石井(いしい)智子(ともこ)に連絡を取っていた。
「無理なお願いをしたいの」直子は目を伏せながら智子に言った。
「何でも言いな! 親友でしょ」智子は自分自身が一児母親であり、直子の気持ちが痛いほど分かっていた。そう言ってくれた智子に直子は夫健(けん)輔(すけ)のスマホを差し出した。
「スマホを交換してほしい」
「交換してどうするの」
「主人のスマホで動画を撮ってライブ配信してほしいの」直子は真剣だ。
「スマホは持ち込めないと聞いたけど?」そう言う智子に直子は、もう一台のスマホを差し出した。それは画面にひびが入って完全に壊れているスマホであった。
「これは?」
「優輔のスマホ」
「優君の」
「これをダミーにして、一時預り所に預けて、主人のスマホをどこかに隠して持ち込んでほしい」
「優輔のスマホが近くにあればあの子もどこかで見ている気がするの」
「どうしてもやる気なんだね。分かった」
「ごめんね。面倒な事頼んで」
「任せとけ、身体検査まではしないだろう」智子はそう言うと健輔のスマホを自分の胸に入れると下着に挟んだ。第三者委員会の報告会をライブ配信しようと言い出したのは健輔だ。結果は目に見えている。出来るだけの抵抗はしたいと思う。これが遺族の気持ちだ。ただ、自分達は警戒されているのも事実だ。そこで智子にその大役を依頼したのだ。もしも、後にライブ配信が法的に問題となった時のために、健輔は自分のスマホから発信するように直子に頼んだのである。
 
 体育館には、入りきれないほどの人が集まっていた。それだけ世間が注目の集める事件である事を象徴しており、子を持つ親にとっては重大な問題でもあったのだ。
「お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。只今より本校で発生いたしました男児死亡事故の原因につきまして第三者委員会の再調査報告会を行います」進行は木村が行った。木村の後ろには宮山小学校の全教職員がパイプ椅子に座っていた。
「事故ではないだろう!」早くも会場からヤジが飛んだ。
ステージ左には諮問を出した教員委員会から阿部教育長と行政を代表し市長が出席している。右側には第三者委員会の山村委員長と副委員長が座った。
直子達は最前列に座りステージを睨みつけていた。智子は数列後ろに座り、人にまぎれて動画配信の準備を整えた。市長挨拶の後、山村が報告書を読み上げる次第になっている。
 木村の進行が始まった時、智子はそっと胸からスマホを取り出して録画のボタンをタップした。市長は、当たり障りのない挨拶を早々に引き下がった。それはたてまえで市が設置した委員会を何事もなく終了する事を願っているように見える。
次に、山村委員長がステージの中央に歩み寄る。山村は封筒から一枚の紙を取り出すと報告書を読み始めた。
「では、再調査の報告を読み上げます」人々の注目が山村に集まった。その視線に緊張する山村を助けるかのように木村は合いの手を入れた。
「委員長お願いします」ほんの少しだったが、人々の視線が木村に移った。そのタイミングで山村はすかさず報告書を読み始めた。
「市の教育委員会より諮問を受けまして、本件に関して再調査を実施いたしましたが、男児がいたずらに近い軽い『いじめ』を認定した一方、『いじめ』が自殺の主要因とは判断する事は出来なかった。とする前調査報告書の通り、はっきりと『いじめ』を示唆する事実は発見されなかった。よって、本件に関して男児の自殺の要因は学校以外にあるものと判断せざるを得ない。以上報告いたします」山村はざわつく会場の雑踏を断ち切るように報告書を封筒に差し込むとすかさず阿部教育長に渡そうとした。
「そんないい加減な!」
「報告書ではないじゃないか!」会場から多くのヤジが飛んでいた。山村はそれらを無視して阿部に歩み寄った。
「ご静粛に! ご静粛にお願いします」木村も必死だ。すると山村が差し出した封筒を一旦は手に取った矢部だったが、思い直すようにマイクまで移動すると。はっきりと言った。
「これは、受け取れません!」阿部はそう言うと、報告書の入った封筒を勢いよく引き裂いていた。
「何をするんだ! 教育長!」山村は慌てた。
「山村さん! あなたも午前中の授業を参観したではないですか。あれを見てどうしてこの報告になるのですか?」阿部は言い切った。体育館の空気はざわめきで歪んだ。
「なんて事を言い出すのだ! 教育長! 気でもお触れになったのですか? あんな茶番劇を真に受けるのですか?」
「私はいたって正気ですよ。授業参観の最中にはっきりと自分が『いじめ』の首謀者である旨を告白した子どもがいたではないですか」体育館のどよめきはいっそう大きくなった。
「あんた! おかしいよ」山村の言葉は冷静さを失っていた。
「事実は事実として、受け入れなければいけないと私は考えます」阿部と山村の論争はその会場にいる殆どの人々には全く意味が分からない。
「それでは教育長! あなたは授業中に自殺した少年本人と幕末の英雄が突然現れて『いじめ』の事実を追求したから。と報告書に書けとおっしゃるのですか?」
「書けとは言いません! しかし、それから今までの間に当事者から事情聴取をするなり真実を追求する時間はあったはずです」
「それをした所で『いじめ』の事実を証明する物的証拠が何一つないではないか!」山村は弁護士としての本領を発揮し始まった。
「物的証拠はありませんが……」形勢は阿部の不利に傾いていた。(橘! 出てこい)阿部は心で願ったがその姿は無い。
「証拠がない以上! いい加減な報告は弁護士として私には書けない。どうしてもと言うのであれば、あなたの責任でやってくれ」山村はたたみ込んだ。
「分かりました。教育委員会から第三者委員会への諮問はたった今取り下げます」
「何を言い出すんだ!」木村が突然叫んで、ハッとして、慌てて口を押さえた。
「私は、野関市の教育長としてこの問題には『いじめ』が大きく関係しており、それを見抜く事の出来なかった学校と教師にも重要な原因があると判断しました。つまり、本件に関する全ての責任は教育長である私の責任であると考えています」阿部は切腹するつもりで大刀を抜いた。
「教育長! それ以上言うな! やめなさい! 私の任命責任が問われる。教育長は更迭する」市長が大声で言った。市長も自身の保守に回ったのだ。
(橘! 助けてくれ)阿部の心の叫びは誰にも届かない。その時だ! 後方のドアが開き息を切らした少年が入ってきた。
「父さん!」
「康輔どうした」健輔は、今朝まで引きこもっていた息子の行動に驚きながら駆け寄ると抱きしめた。
「これ。優輔の机に入っていた」康輔は一冊のノートを開いて父親に渡した。健輔はそれに目を通すとステージに飛び上がり山村に叩きつけると怒鳴った。
「息子が残して行った物的証拠だ!」
「これは」山村は言葉を失った。阿部はノートを取り上げると顔をゆがめて木村を見た。
「木村先生、あなたはこの事実を知っていましたね。もう言い逃れは出来ない」木村が腰を抜かしたかのように座り込んだ。市長がノートを確認して山村を見つめながら言った。
「この問題は再々調査が必要ですな」
「いえ! その必要はありません。先ほども言いましたが、この学校には『いじめ』があった事を認めます。男児の命を奪った原因はこれです。この責任は教育長である私の責任です。申し訳ありませんでした」阿部は健輔達親子に歩み寄り深々と頭を下げた。
「次の議会で教育長を解任します」市長はあたかも自分に非がないかのごとくマイクで言った。
 
(そんな事言っちゃて良いのかなー? バズっちゃってますけど)智子は心で呟いた。
 
「次の議会までまだ時間があります。息子さんの命に代える事は出来ませんが、私が責任をもってこの学校を変えます。いえ、街全体の教育を変えます。教師が子ども達ひとりひとりに寄り添えるシステムの構築を約束します」阿部は木村の後ろに座っている教師達を見つめながら真剣に言った。倉田が立ち上がった。ひとり、またひとりと若い教師が次々と立ち上がり深々と頭を下げた。
「横張先生あなたも立ちなさい!」倉田は静かに言った。
                              つづく
次回最終章! 黄泉の国とは?

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