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THINK122【谷尻誠×佐藤可士和】

『THINK』に行ってきた。

それは、建築家の谷尻誠さんが主催するトークイベントであり、“考える”を考えるための空間。「行為が空間をつくる」と誠さんは話す。40cm角の発泡スチロールを散りばめただけの空っぽの部屋。人が座れば椅子となり、台にすればテーブルとなる。誰かがスピーチすれば講演会場となり、ミュージシャンが演奏すればライブハウスとなり、料理人が食事を振舞えばレストランになる。まさに、“行為”が空間に名前を与えるのだ。

誠さんの考え方は、いつだって刺激的でおもしろい。

実際にお会いしたことは一度だけなのだが、誠さんとは定期的にオンラインで対話をしている。わたしが聴き手としてインタビューをするのだが、セッションを終えた頃にはわたしの心身は不思議と生命力がみなぎっている。あの人の持つグルーヴ感、そしてセレクトすることばの響きが、相手のポテンシャルを引き上げるのだろう。そういう経緯もあり、どこかのタイミングであらためて直接ご挨拶したいと思っていた。

車を走らせて、四時間半。

広島に到着した。場所は、まだ建設中のSUPPOSEの新しいオフィス。会場の前には、黒山の人だかり。聞けば、300人を超える人が集まったという。それもそのはず、今回のゲストはアートディレクターの佐藤可士和さんなのだ。

結果的に、わたしがこの日、THINKという空間を訪れたことは大正解だった。オンラインでは配信しない。「行った人」にしか共有できない特別な空間がそこにはあった。

概念のアーティスト

とにかく二人の対話は刺激的だった。

二人の共通点は、概念を広げるクリエイターであること。可士和さんはデザインという方法で、誠さんは空間設計という方法で。話の入り口は違う扉でも、プロセスを辿る中で随所に共通点が現れ、結果的に同じ部屋(答え)に到達する。120分の中で、そのような場面に幾度となく出くわした。

それは世界の見方にヒントがある。

二人は、フレームを自在に伸縮して世界を眺め、「つくる」を通して問題提起する。概念を崩したり、新しく創造したり。言わば、“コンセプト”のアーティストだ。依頼された課題に対して、それぞれの技能によって解決することが仕事なのではあるが、その回答が一般的な枠を超えたところへと飛躍する。

もちろん、ロジックはある。ロジックはあるが、それは積み上げた到達点というよりも、ワープした場所から逆算するようなときめきとひらめきに満ちている。発想の跳躍力とその鮮やかさに、うっとりする。二人の対話の中核は、ここにある。

確かに、二人はその理由と方法をこの120分の中で語ってくれた。(そして、これは個人的なメモの断片である)

Imagine

可士和さんは「イメージがあれば実現できる」と言い切った。

それを具現化するための技術よりも、イメージを抱く力の方が重要で。音楽、映像、建築にしても、自分の中でイメージを抱くことができれば、実現できる。

可士和さんは博報堂に入社した一年目の頃から、CMについて考え、コピーを書き、メディアの在り方について言及していた。つまり、与えられたデザインの業務だけではなく、既にデザイン全体について気を巡らせていたのだ。入社直後から「アートディレクターの仕事がしたい」と言って回り、周囲に教えてもらいながら現場で学び、経験を血肉に変えて急速に進化していった。

「新しい挑戦は、今でもすごく好き。なるべくやったことがないことをやりたいと思っている」

そのマインドは今も変わらない。そして、そのスタンスは誠さんとも共通する。できるかどうかさえわかないことでも、「得意なのでやらせてください」と仕事の機会を掴み、その中で試行錯誤を通して成長していった。要は、二人とも駆け出しの頃から今もなお“できないこと”に取り組み続けているのだ。

あらゆる「つくる」は同じである

たとえば、デザインにはグラフィック、空間、プロダクト、ファッション…とさまざまなジャンルがある(ように見える)。しかし、それはアウトプットされるメディアが異なるだけで、元はすべて同じ。空間、プロダクト、音楽、映像…発露する形は異なれど、「つくる」というプロセスは同じなのだ。技術的な方法は誰かに聞けばいい。重要なことは、イメージを抱けるかどうか、だ。

イメージを持てるから、手がけたことのない分野でも踏み出していくことができる。アートディレクターが空間設計をして、建築家が新しい分野の事業を次々と起業する。

そういう意味では、依頼する側の器量や能力もまた求められる。この社会は、つくったことがない人(本業ではない人)に対して、ほとんどの人が依頼しない。それが一般的な価値観だ。そう考えると、「依頼すること」もまたクリエイティブな行為なのかもしれない。

アートディレクターが広告ではなく、携帯電話をつくった。それを見た企業が、世界戦略を依頼する。つくる側も、声をかける側も、どちらも枠を超えているからこそ実現できる。常識を超えた先に、未来の“あたりまえ”が待っている。

「立ちはだかった問題を解決するためには上流へ登る」

誠さんはそう話す。疑問が浮かぶたびに一段一段川上へと登ってゆくと、結果的に源流までさかのぼることになる。誠さんのおもしろさは、水が湧いていなければ、自分で水脈を掘り当てるところまでやってしまうところ。

飽くなき探求心と、とどまることを知らない好奇心。二人の原動力はそこにあり、境界線を越える一歩を踏み出す自信は「イメージができる」というところからはじまっている。

「問う」チカラ

二人は常に最良の方法を考え続けている。

依頼されたものを「つくる」ことが仕事なのだが、「つくるべきか」を考えることも、つくることの一部だ、と誠さんは話す。依頼された内容にそのまま応じるのではなく、その依頼内容の前提から疑うこと。そこからプロジェクトははじまっている。やらないこともデザインなのだ。

「前提を疑うこと」に加えて、社会に対する問題意識が思考に馬力を与え、加速させる。

可士和さんがSAMURAIとして独立した時の最初の仕事はSMAPだった。赤、青、黄の、コンセプチュアルなCDジャケットのデザイン。それに基づくキャンペーン全般。詳しく書くことはできないが、あの広告は一見グラフィックデザインの作品のように見えるが、実は街全体をコミュニケーションとして考える空間設計でもあった。

それらの構想は、依頼されてから考えていては間に合わない。常に可士和さんの中では、世の中に対する違和感や不満が息づいていて、問題意識がふつふつと生まれている。それらを、「つくる」を通して問題提起する。結果的に、グラフィックデザインに留まらず、その枠組みの外にある空間や環境までもデザインしてしまったのだ。

一般的には、人は一つのモノに情報を詰め込もうとする。しかし、可士和さんはフレームを越え、三次元的に関係性を生み出していった。

「それは、街と家の関係性に近い」

誠さんはそう話す。昔は酒屋が冷蔵庫であり、銭湯が風呂であり、テレビが映画館だった。それぞれの機能が分散型であり、すべてのピースを集めてようやく一つになった。それは、街全体を“家”と捉える視点。

可士和さんがグラフィックデザインを空間化させるヒント。フレームの外側へとリンクを起こす“魔法”のようなものの正体は、現代芸術にあった。

そして、このポイントこそが、二人がコンセプトのアーティストである要の部分なのだとわたしは思う。

フレームの外側

可士和さんが影響を受けたのはマルセル・デュシャンと70年代後半に起きた現代アートのインスタレーションブーム。その頃に、美術を学びはじめたことが大きく影響している。インスタレーションというアートは、コンテンツを考えるだけではなく、置かれている状況を含めたフレームの外側について考えることでもある。

フレームの外側を語るには、マルセル・デュシャンの『泉』(1917年)にまで遡る。世界で最も有名なレディメイド(既製品)のアート。横倒しした男性用小便器に「R.Mutt」と署名した“だけ”の作品だ。

要は、誰一人としてアートとして認識していなかった便器を、芸術作品として展示することによって「アートとは何か」と訴えかけた。アーティストたちがめいめいに絵を描いたり、彫刻をつくる中で、「そもそもつくる必要があるのか」という問題提起をレディメイドで表現したのだ。

絵を描く勉強をはじめる頃に、既に「描く(つくる)」以外の方法論で表現したことに衝撃を受けた。「描く」さえしない。それは混乱するほどのインパクトだったという。

フレームの外側を考える。グラフィックデザインにおいても、常にフレームの外側に気を巡らせている。フレームの内側で完結させようとするからうまくいかない。枠の中だけが世界ではなく、外側にも世界があるはずで。内と外の世界をリンクさせてゆく。

「“本質を掴む”という表現は、一見“中に入ってゆく”感覚がある。そうではなく、引いて見る景色の中で発見するもの」

離れれば離れるほど、大事なことだけが見えてくる。また、クローズアップした視点も重要で。解像度の高い視点がなければ、実際にモノをつくることができない。そのダイナミズムが大きければいいほど、いいモノになる。

可士和さんのことばが、会場の熱をさらに上げる。

「その視点の運動は訓練ができる」

誠さんも静かに「そうですね」と続けた。二人の対話がグルーヴを生み、会場は熱を増しながら一体化してゆく。静かな熱狂がそこにあった。

コンテンツではなく、文脈やタイミング──それは空間的な要素に多大な影響を受けている。コンテンツだけを考えても最良の回答にはならない。どの状況に置かれているのかまで掴むことができて、はじめてコンテンツは機能するのだ。

二人の対話が終わり、誠さんに挨拶に行くと「はるばる大阪からありがとう、嶋津さん」とニコニコした顔で握手してくれた。世の中には、挨拶だけで人をしあわせにする人がいて、まぎれもなく誠さんはそういう人だった。

あの“空間”での体験を味わうと、もう前の状態には戻ることはできない。今のわたしは、以前のわたしではない。その不可逆的でドラマティックな体験が、THINKにはある。その刺激を求めて、ユニークな個性たちが各地から集まってくる。自分の人生を変える人との待ち合わせの場所になるかもしれない。この文章を読んだ誰かとあの場所で再会するかもしれない。

その出会いを価値あるものにするのは、自分の選択だ。

大阪へ向かう深夜の高速道路で二人のことばを反芻しながら、そんなことを考えていた。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。