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解像度と言語ゲーム

「解像度が高い」という言葉を最近よく目にするようになった。意見のレベルが高いとか、物事を見る目が深いときに言われるらしい。
解像度というのはもともとパソコンで画像をさわるときに使う言葉だったと思う。それがいつの間にか画像の粗さだけじゃなくて何か意見を言ったり分析したりするときにも使うようになっていた。
これねえ、もともとの意味だと画像そのものの解像度を意味していたけど、今は物事を判断する「人」が中心の使われ方でもあるよねー。解像度がたかったり低かったりするのは今は人の方なんだ。
だからなんだという話なんだけれど、いつの間にか言葉が新しい意味をもつ過程は面白いものだよなと思う。「影」だって昔は「光」を指す言葉だったんだぜ。それが今の意味になるまでにはどんな過程があったんだろうね。

ヴィトゲンシュタインという哲学者が考えた「言語ゲーム」というものを思い出したよ。

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