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ニュージーランドでフライフィッシング

現在、ニュージーランドに向かうトランジットでシンガポールの空港で時間を過ごしている。

僕がニュージーランドに向かう理由のひとつはトラウトを釣るためだ。
ニュージーランドにはかつて移住者が持ち込んだトラウトが多く生息していて、外敵のいない大地で生態系の頂点に君臨して、巨大な体躯で泳いでいるらしい。
「らしい」というのは、実は僕が今回の旅についてあまり詳しく理解していないからである。
今回は日本から釣りのエキスパートが3人来るので僕はそれに便乗した形であるのだが、その甘えを差し引いても、今回は勢いに任せて未知のフィールドに身を投げ出してみたいと思った。そして、実際にそうしたのだった。

僕の釣り歴はそこそこ長いが、深く楽しいと思い始めたのは、ここ2年くらい。西伊豆に少し住んでいた頃にヒラスズキを釣るために夜な夜な車で海辺を彷徨い続けた頃からだ。

最初の2ヶ月はサッパリ釣れなかった。まずどこで何をしたら良いのか分からなかったのだ。そこで知人を介して、ヒラスズキな得意な人物に会って教えを乞うた。
彼は今海にどんな小魚がいて、それらが潮の流れで溜まる場所を考え、そして、海が荒れて小魚たちが岸へ岸へと流された瞬間に、小魚と同じ大きさのルアーを荒波に向かって投げるのだ。
僕もその真似をするようにしてから、面白いように釣れ始めた。その時、魚の引きを楽しむ事もさる事ながら、対象の魚たちも僕らと同じ生物で彼らは彼らの都合によってこの地球をウロウロと徘徊しているのだと思うと、僕の知らない大きな世界が途端に眼前に広がったような気がして眩暈がした。

こうして、すべての魚に対してそのご都合を伺うような楽しみ方を見つけた僕は、新しく始めたフライフィッシングに関しても同様の興味を持ち、そして次第にトラウトたちの天国と呼ばれるニュージーランドへの憧れを抱いたのだ。

僕にとって憧れの土地は「いつか行きたい場所」ではない「すぐに行かなくてはならない場所」だ。

昔からその衝動で世界各地を旅行してきたが、近年になってより強くその想いに囚われるようになった。

その理由は年齢とコロナ禍だ。

今年で37歳になる僕は、時に20代の無鉄砲な旅を恋しく思う事がある。あの時はただ新しい土地に足を踏み入れて、そこに存在していたという思い出を残すことが僕の全てだった。でも、今はそんな旅はなかなかできない。

新しい場所に行くと何かを持って帰りたくなる。物だけでなく、帰国後に活かせる経験などもそのひとつだろう。体の髄にまで金と時間の概念が叩き込まれて、それを消費した対価が欲しくなるのだ。
僕はその考えは少ない方だが、やはり多少はある。

そして、コロナ禍は僕の人生に大きな衝撃を与えた。いつでも行けると思われていた場所に突然行けなくなってしまったのだ。そして、僕の憧れていたその土地の姿は大小様々だが、確実にコロナ禍のダメージを受けて、新しい姿に移り変わってしまったのだ。

だから、「待つ」という行為は僕にとって、憧れを不安定な状態に持っていく行為でしかなくなったのだ。

ニュージーランドで今年は釣りをしようと決めた時に友人の渡航を知って、僕は「それって僕も言っていいのかな?」とすぐに尋ねた。

もし不可であっても1人で行くつもりだった。結果、友人は快諾してくれて、無事に同行することになった。

しかし、僕は日本の渓流で大きくても30cmくらいのイワナしか釣ったことがなかった。それが60cmを超えるトラウトとなるとサッパリ要領が分からない。
幸運にも北海道でニジマスを釣りたくて、巨大な魚に対応できそうなフライロッドとリールは持っていた。でも、どうやって釣るのか、どんなものが必要なのか分かっていなかった。

友人に少し質問したが、途中であまり深く聞くのはやめた。答えを自分で見つけたいと言うわけでなかった。
「今回は失敗に終わっても良い」と思ったのだ。もちろん成功すれば御の字であるが、そこはそれほど重要じゃない気がしてきたのだ。

僕は今回ただ「ニュージーランドでフライフィッシングをしたい!」と強烈に惹かれただけだったのだ。こんな事は常にあるようで、意外にもなかなか無い貴重な衝動だ。

同じようなことが2015年にもあった。アメリカのパシフィック・クレスト・トレイルと呼ばれるメキシコからカナダまで続くハイキングに強くて興味を持った。そして、次の瞬間にはアメリカ行きのチケットを買っていた。この時もこの旅が成功するかなんて、深くは考えていなかった。
「行かねばならぬ!今!」という衝動に駆られて気がついたら行動していた。結果僕はその旅を無事に終え、今も毎年アメリカでハイキングをするようになった。
どうしてそんなにアメリカでハイキングをするの?とよく質問されるが、好きなのだから仕方がない。好きなことをあえてやめる方が不自然だ。

その経験もあって、ニュージーランドでのフライフィッシングは僕のライフワークになる可能性があると感じている。
もし、この釣り旅で何か心に響くものがあれば、僕は通い続けることになるだろう。だから、今回の旅は最初で最後ではないのだ。
ただこれから始まろうとしているだけだ。

こんなに心踊ることが人生に何回あるだろう。だから来年なんてありえなかった。今行くしかなかった。

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