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5/18「『Dr. STONE』シーズン1を観て」

見始めて最初は、かなり違和感があった。キャラの言動もなんだか芝居がかっていて、リアルじゃないし、子供向けのナルシズムが見てとれて、少し嫌気がさした。

人類が石化して3700年。その月日の長さにも、リアリティがなさすぎないかと思った。おれが、意識があるままその長さ動きなかったら、もうそれは絶望どころじゃない。諦めきれなくて、おかしくなると思う。


だんだん世界観にも慣れてくる。ストーリーの展開も落ち着いてきたのかもしれない。体力と知力を掛け合わせて、生存するためにやっていくのはなんだかワクワクする。

ヒロインも登場する。この子もなかなかリアリティーがない。思いやりがあって可愛い子ではある。

話は戻るが、やっぱりキャラにリアリティーがない。ただ、ストーリー自体は整然としているところもある。この作者がどんな人物なのかわからない。

もしかして、主人公のナルシズムなんかも、実は10代を惹きつけるための、作者の計算なのだろうか。だとしたら相当キレる頭を持った作者だと思う。


仲間が増えていく。村を発見する。この辺りから、物語の進展が加速してくる。

加速度的に文明が発展していく。人類が何万年もかけて進歩させてきた文明を、一世代で駆け上がっていく。

なんだかこの辺は考えさせられる。知識の力はすごいなーなんてことも思う。実際こんなこと可能なのだろうか。

このアニメは流石に大袈裟だとしても、やはり学校で学んだ知識をまとえば、スーパーウルトラ文明ショートカットみたいなことは、手腕が伴えば不可能じゃないのかなとも思う。


さて、科学の進歩は、戦争によってもたらされることが多い、みたいな話があるが、この物語にも、主人公たちには敵がいる。

その敵は、批判的で、屈強な男。反動主義者?原理主義者?とでもいうやつだろうか。なんだか凄まじいやつだ。

この機会を活かして、人類を浄化するのだ、みたいなことをいって、命の石像たちを破壊していく。なんだか深淵な思想があるのだろうが、ぱっとみ悪者にしか見えない、そんな人物。ただ、彼は強くて美しい。

こんな人物は、他の作品でも時々出てくる気がする。『スズメの戸締り』のヒーローの男もこんな感じじゃなかっただろうか。

自分のプログラムを他者の視点から見つめ直し、より広い視野に基づいて修正できることこそ、知性である。そんな定義を聞いたことがある。

物語の、主人公、悪役、なんていうのも、なんだかこの「知性」のなさを利用して、劇的に、ドラマティックに演出しているもののような気がしてきた。

たとえば、やろうと思えばこの悪役の思想家風の屈強な男を主人公にして、物語を制作し直すことも可能なのだと思う。


さて、話は逸れたが、主人公たちは、科学の力を使って、過去の文明を再現し、電気やら、携帯やら、いろいろ作って、それを武器に、敵に挑んでいこう、というところでシーズン1は幕を閉じる。

主人公が村にやってきたことによって、変化がもたらされ、みんなイキイキしてくる。これもけっこうな主人公補正がなされているだろうが、それでも、「変化」というものは、何か人類にとって意義のあるものなのだろう、ということは考えさせられた。

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