愛される

とにかく最愛を目指せ

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最近の記事

5/19「『Dr. STONE』シーズン2を観て」

主軸は、せんくうたちと、司との対決だ。シーズン1でヒートアップした、せんくうと司とのバチバチさが、ついに直接対決という形を迎える。 だけど正直この辺の内容がいまいち思い出せない。とにかく、せんくうたちが、どんどんと新しい機械やらなんやらを作り出しまくってたのが印象にある。 物語がなんだか単調になってきたような気もする。いや、たしかに、新しいものを発明して、文明がだんだんと現代に近づいてくるのには、ワクワク感も感じるけれど。 同じことの繰り返しのように思えて、思考が掻き立

    • 5/18「『Dr. STONE』シーズン1を観て」

      見始めて最初は、かなり違和感があった。キャラの言動もなんだか芝居がかっていて、リアルじゃないし、子供向けのナルシズムが見てとれて、少し嫌気がさした。 人類が石化して3700年。その月日の長さにも、リアリティがなさすぎないかと思った。おれが、意識があるままその長さ動きなかったら、もうそれは絶望どころじゃない。諦めきれなくて、おかしくなると思う。 だんだん世界観にも慣れてくる。ストーリーの展開も落ち着いてきたのかもしれない。体力と知力を掛け合わせて、生存するためにやっていくの

      • 5/16「友達と電話」

        久しぶりに話す、高校時代の友達。彼は博士を目指して大学院で研究をしている。あと、理学療法士の仕事もしている。 なんだか返信も早いし、電話したがっているのが伝わってきて、やりやすかった。約束してた時間になると、向こうから連絡が来たりする。こういうのありがたい。 仕事帰りだった。スーツにシャツのまま、手早くパスタを作り、食べながら話していた。もしかして、俺が21時に電話したいと言ったから、それに合わせて帰ってきてくれていたのかもしれない。 度量の広いやつだ。それと同時に、寂

        • 5/14「三島由紀夫『潮騒』を読んで」

          潮が騒ぐ。なんだか若き日の恋のざわめきを表現しているようにも思えてきた。 はじめての三島由紀夫。 純文学というやつだろうか。前に、川端康成の『雪国』を読んだ。 その時にも思ったことだが、オチがない。それゆえに、純文学と呼ぶのだろうが。 向いてない、というか、好きじゃない、のかもしれないとも思う。けど、なんだかんだ最後まで読みきれてしまったりも、する。 客観的に見たら、変態なんじゃないだろうか。三島由紀夫も、川端康成も。もしかしたら、ジブリの監督とかもそうかもしれない

        5/19「『Dr. STONE』シーズン2を観て」

          5/13「友達と電話」

          某国立大学院で研究している秀才と1時間電話。 無愛想と言うほどでもないけど、割と無口であまり打ち明けない男だ。ビデオ通話をしてお互いの顔を見合っているのに、最初のうちは、なんだか変な間を感じた。 俺が悪いのだろうか。気にしすぎなのだろうか。それもあるだろう。鈍感だが繊細なややこしい特性を持っていると自認している。 彼は特に何も思っていない可能性もあるし、考えられる男なだけに、ポーカーフェイスしつつも実は思考をぐるぐると働かせていたのかもしれない。 それでも、お互いが楽

          5/13「友達と電話」

          5/10「知的ライフスタイル」

          ほとんど毎日、勉強して、戦略を考え、こうして1〜2本の記事を執筆し、本を読み、散歩して寝て、忘れてる。 これは客観的には知的ライフスタイルと呼べるものなんじゃないだろうか。そんな今の生活を見つめ直してみる。 学ぶ。考える。忘れる。そのサイクルを繰り返すことで、知性の濃度が高まっていくのだと、今は思う。 忘れたら終わりだ、知識を得よう得よう、とする態度、というのは、多分間違い。そんな感じで上手くいっていない人というのは、割と簡単にイメージできる。 力まない。今の自分を確

          5/10「知的ライフスタイル」

          5/9②「大学の後輩と夜ご飯」

          途中でやめてしまったが、大学時代アイスホッケー部に所属していた。その時の後輩を誘って、ファミレスに行った。 もう部活を辞めたのは2年半ぐらい前になるのだろうか。 それ以来全く連絡は取り合っていなかったのだが、なぜそんな久しぶりに再会したのかというと、珍しい理由がある。 俺はデリバリーのバイトをしているのだが、たまたま商品の配達先が、大学の近くに下宿している彼のもとで、その時に再会したのだ。 玄関先で5分くらい話し、またご飯でも行こうと話していたのが、現実になった。自分

          5/9②「大学の後輩と夜ご飯」

          5/9「夜神月の極端さ【DEATH NOTE】」

          デスノートは何度も読んだ作品。それだけ惹かれた理由の一つとして、主人公へのシンパシーがある。 主人公の夜神月は、物語の最初は善良で優秀な高校生なのだが、名前を書くと殺せるデスノートを拾い、人を殺したことをきっかけに、変質し、非情な独裁者に様変わりしていく。 そんな彼の極端な二面性について思うことがあるので書いていきたい。 俺にも二面性があると思う。多分冷たい面と、情熱的な面がある。ここに、月へのシンパシーを感じたのかもしれない。 月には、正しいか間違っているかは置いて

          5/9「夜神月の極端さ【DEATH NOTE】」

          5/8②「友達と夜ご飯」

          地元の友達。地元のファミレスで二人で食べてきた。 まずは近況報告。と言っても、今日はなんだか俺の話ばかりしていた。でも彼も、聞き役の方がやりたそうに見えたから、まあいいと思ってる。 今日は、勉強して、考え事して、ラップを一本上げたので、それを話す。そういえばラップ上げ始めたのは今日なのに、「最近」上げている、と虚勢を張った。 最近あれこれ考えてきたことを話していった。彼は観察者であり、良い聞き手であり、アドバイザーである。話して、返してもらって、と壁打ちしていく内に、考

          5/8②「友達と夜ご飯」

          5/8「何か一つ、絶対的なものを明確にしたい」

          「決める」でも「定め」とも違う。それは、「明確にするもの」。自分の中から、掘り起こすべきもの。 色んな自己啓発本を読んできたが、本物と思えるものは、ここを通るものばかりだ。 何か一つ、自分にとって大事なものを、明確にすること。そして、一旦それ以外のものを諦めること。 掛け算なんて最初からできない。小さな1を足していく。積み重ね。そんなことが『ゼロ』に書いてあった。 それは、自分が好きなこと。やりたいこと。結局のところ、信用できるのは自分の好き嫌いだけ、なのかもしれない

          5/8「何か一つ、絶対的なものを明確にしたい」

          5/7②「磯田道史『日本史を暴く』を読んで」

          一年半、高校日本史・世界史の勉強をやり続けている。それで興味が湧いた部分もあるだろう。 タイトル通り、日本史の知られざる裏側を暴くような、そんな例えるなら週刊誌のゴシップ記事のような本でもあった。 食や、性、排便など、教科書には乗らないが、生活の本質的なところに焦点をあて、そこから昔の日本人の生き様を暴いていく。  この著者は直感の鋭い人なんだろうなーというところがいくつか見当たる。ひろゆきが言っていた「嘘を嘘であると見抜ける人」というのは、こういう人のことを言うのかも

          5/7②「磯田道史『日本史を暴く』を読んで」

          5/7「人に優しく」

          ブルーハーツにそんなタイトルの曲があった。それはそうと、最近『情熱の薔薇』という曲が、なんだかやさしい歌に聞こえるようになった。 アトピーの状態がひどい。昨晩は、身体中痒くて、部位によっては痛くて、皮膚から生気が抜けていくような感じがして、「死にたい」と思った。 薬は飲んでいるが、やはりそのアプローチでは治らない気がしている。もっと精神的なこと、生き方についての、根本的な反省が必要なのだと思う。 そこでなんとなく思い当たるのが、「人に優しく」ということだ。 宇多田ヒカ

          5/7「人に優しく」

          5/6②「直観に従って物事を為すこと」

          エニアグラムという性格診断のツールにおいて、俺が自認しているタイプの解説(△1-4-6)に、 という記述がある。 また、別のサイトにおいては、 という記述がある。 自分を分類することにどれだけの意味や価値があるのか、という疑問もあるが、今回はそれは置いておく。 これらの文章が今の自分にとって何かとても大事なことのように思えるので、考えていく。 二つ目の文章は、「人間存在の核心に気付け!」と読める。人間存在の核心とはなんだろう。 「人の間」と書いて、人間、なんてこ

          5/6②「直観に従って物事を為すこと」

          5/6「地元の友達と飲んできた」

          最近友情運の上昇を感じる。具体的に何が変わったかというと、時々自分から友達を誘える様になった。今まではあまりそういうことはなかった。かなり重要な変化かもしれない。 地元のグループで集まる予定があったのだが、メンバーが足りなくて無しになった。そこで、そのメンバーのうちの一人を、集まる予定があった翌日の夜に誘ってみた。 二つ返事でオーケーが来た。嬉しい。そこそこの仕事を成し遂げた気分になる。そこから他の友達にも当たり、広がっていき、結局4人来ることになった。 時間と待ち合わ

          5/6「地元の友達と飲んできた」

          5/5①「『ビッチ(bitch)』について」

          ヒップホップの歌詞でよく聞く単語だ。雌犬、嫌な女、という様な意味があるらしい。この言葉について今思うことを書いていく。 そもそも、ビッチの女なんているのだろうか、という疑念もある。モテない男の、僻みの言葉なのでないかと。 しかし、女同士でも、他の女のことをビッチと罵ったりすることもある様だ。彼女らの間でも、ビッチの女というのは、存在しているということになる。 平井堅と安室奈美恵が一緒に歌っている『グロテスク』という歌に、面白い歌詞があった。 男と女の心理の根底にある、

          5/5①「『ビッチ(bitch)』について」

          5/4②「概念としての『ツボ』に興味を感じる」

          容れ物としての「壺」。身体の「ツボ」。笑いの「ツボ」。同じ音でも、さまざまな意味のある言葉だが、これらの意味に、何か共通する意味の様なものを探している。 そこに、今の自分にとって大切な概念が眠っている様な気がするのだ。今回はそんなことについて書いていく。 容れ物としての「壺」について多くの人が連想するのは、「骨董品としての希少価値」ではないだろうか。 世の中に流通するさまざまな商品の中で、金になる、つまり利益になる、壺を見つける。すると、それは「掘り出し物」と呼ばれる。

          5/4②「概念としての『ツボ』に興味を感じる」