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コロナと人生。母親「一度家に帰ってきなさい」

2020年2月27日。
僕は母親に呼ばれた。
「一度家に帰ってきなさい。」

キャリアアドバイザーとの出会い

3月になるとさらに就職活動の勢いは加速するだろう
早めに動いて差をつけなければ。

俺は小さい頃からずっと宮崎。

もっと都会でイケてることして〜な〜
これまで自分が身を置いてこなかった都会という場所で
お洒落なオフィスで仕事を楽しめるかっこいい大人になりてーなって。
その近道は「東京」やと思ってる。なんかね。
だから親とか先生とかに相談することなく軽い気持ちで東京で企業を探してた。

とはいいつつ、まだ就活に対して焦りはなく、モチベーションも全然あがらんw
まだ就職するイメージがつかない、就活のサイトを見てもまだ20卒をとってる企業があったりもするとね〜なんかまだ大丈夫かなって。

俺は就活サイト経由でキャリアアドバイザーをつけた。
アドバイザーをつけたのは、自分を安心させるためw
就活はモチベ上がらないし面倒だと思っていて、でもやらないという勇気もなくて、だからやらなきゃいけない環境を作る。
そのためでしかなかった。

最初にキャリアアドバイザーに言われた。
働き方、給料のもらい方、休みは土日がいい?平日でもいい?、どこで働きたい?基本的なことを整理してくることが課題だ。と。

それも両親と一緒に話し合うことが肝である。と。

俺は親と就職活動に関して深く話したことがない。
大学2年から僕は彼女と同棲をしているため、ほぼ実家には帰らない。
話す機会もないし、親から「就職活動どうなの?」と聞かれても「ボチボチやってるよー」なんて適当な返事ばかりしてた。

だから、キャリアアドバイザーから「親と話し合う」なんて言われたが、話をせずにだいたいこんなこと言うだろうなって言うことを適当に書いて、キャリアアドバイザーに送っちゃった

母親「あんた東京で就活考えてるの?」

年末年始、彼女も実家に帰省しており、親と話す時間がたくさんあるよね
親戚を巡ってる時どうしても「就職どこですると?」って聞かちゃう。

俺は「別にあんまこだわってないかな〜、行きたい企業があればどこでもいいと思ってる」
なーんてそこも適当に流してた。

その流れで親に「あんた東京で就職考えてる?」って聞いてきた。
俺は「まあまだ今の時期は選考やってるとこが東京ばっかりやからな〜〜」みたいな返事でその場を逃れていたw
その時の感じでうすうす気づいた。

親は東京への就職は反対なのである。

しかし俺はやっぱり東京で就活を進めるのだ。(反抗的w)
面白い人生を送るためには親の考えばかりに囚われてはいけない。
俺は2月の頭に東京で宿泊費無料の就活キャンプの予約をした。
これはチャンスだと。

新型コロナウイルスの猛威

2020年1月下旬。
中国から「新型コロナウイルス」の感染者が確認された。
それは死にも追いやるとても怖い感染症である。

そしれ2月中旬にはついに日本にも感染者が確認され、
それ以降は感染が広がる一方である。

日本にも死者が確認され、関東関西を中心に感染拡大が見えた。
沢山のイベントも中止になり、ディズニーリゾート、USJでさえ遊べない。

自分は宮崎にいるから大丈夫。そうとも言えなくなってきてるよね。
大学の卒業式も入学式も中止。(本当に4年生は残念。。。)
もう何もできず、家に引きこもる毎日だ。

僕は2月の頭に福岡のLIVEに行ったのだ。
そのLIVE会場の中に感染した方がいたみたい!
(そのLIVE会場が感染源かは不明だそうだ)
本当に身近な問題なのである。

でもどこかで大丈夫だろう。
就活時期だし外に出ることはやむを得ない。そう思い込んじゃってた

2020年2月27日

この日にちの3日前に俺は事後報告と言う形で
「東京行ってくるわ!」と伝えた。

内心、コロナは怖かったが、熊本にもきているし、こちらにいようが東京いこうがあまり変わらんだろう。
そんなことを言って自分を安心させようとしていた。

その時にはもう飛行機をとっていく準備はもうそろっていた。

そして2月27日。
母親からついに「一度家に帰ってきなさい。」と言うLINEがきた。

東京本当に行くのか!?みたいな説教だろうと察した。
心配をかけてるだろうなと思ってたので、あまりびっくりはしなかった。

「一旦ここに座って」

ここでは自分と母親の会話を覚えてる限り書く。
(お母さん、ごめんねw)

母「あんた本当に東京で就活するの?」
自分「うん、挑戦したいと思ってる。」

母「あんた東京での生活が大変なのはわかってるよね?
  身近な人でも東京でうまくいかなくて病んでいってるの知ってるよね?
  あんたは打たれ弱いんだから心配なのよ。
  私はあんたが生きてくれてればもう全然いいのよ。」
自分「・・・。そうだよね」

母「福岡とかだったら車で3、4時間とかでいつでも会いに行けるとよ。
  あんたがやりたいことは東京じゃなくても福岡とかでも沢山あるでし
 ょ。東京やったら今みたいに何か会った時一番影響を受けるのは東京なの
 よ。助けにいけんし、心配なのわかるやろ?」
自分「・・・。(泣)」
  ※泣き虫なのでここらへんから涙を堪えて喋れません笑

母「もし東京にどうしても行きたい企業があるならとやかく言わんけど、
  今のこの国の状況で東京に行くことある?
  あんたが福岡にずっと止まっている人やと思ってないけど、
  今東京で就活せんでも良くない?」

21歳で初めて。

おそらく母親は俺も東京に行くと言うことを聞いてから
3日間ぐらい相当悩んだだろうし、相当勇気を持って「一度帰ってきなさい」と言ってくれたと思う。

俺はそれを考えてめっちゃ泣いたんよねw
そしたら母親も泣いてなんかすっごいカオスな状況になったw

2月27日が俺と母親が将来のことをちゃんと話した日だった。
母親の東京就職への不安は気づいていたけど、泣きながら語ってくれたのは想定外で相当刺さった。

俺はずっと親に反抗しながらも、ある程度真面目に親の言った通りに中学に行き、県立高校に行き、県内の国立大学へ進学した。それまではそれでよかったが大学に行って価値観が変わり、もっと変でおもろい人生を歩みたいと思った時に、親の考えに捉えわれてはいけないと思っていた。ぶつかり合ってでも自分の人生を歩むべきだと。

今回初めて母親と一対一で初めて将来について話した。
今でも親の考えに囚われてはいけない。と言う考えは変わらない。
しかし、親の心配してること、親が考えてることをしる。自分が思ってること、将来したいことなどは共有しておくべきだ。
でなければ、きっとどちらも後悔した判断になってしまうだろう。
それを今回はコロナが教えてくれたのだと思う。

もし親の気持ちに気づいていながら親が一度家に帰って来いと言ってくれず、そのまま東京で感染したら俺は本当に後悔したに違い無いし、親も後悔しただろう。

コロナと人生。

今、世界は新型コロナウイルスによって大きな影響を受けている。

僕はコロナに大切な時間をもらったと思う。

正解があるわけでは無いけど、今のこの色々制限されている時間。

おそらく何かのチャンスに変えられる時間だと僕は思っている。

このマイナスをチャレンジに変えたい。チャンスに変えたい。

チャンスに変えてくれた母親に感謝したい。

僕は今後も家族と話しながら、自分自身の変でおもしろい人生を歩むためのチャンスをチャレンジを掴む時間にしていきたいと思う。

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