母はやさしくてつよい人だった
母が他界しました。ガン末期と宣言されたから約2年。在宅での医療を通して最後は家族で看取ることができました。
葬儀も家族6人だけの小さな家族葬。なに一つ滞ることなくスムーズにあっけなく終わりました。母はあっという間に燃やされて灰になったのです。
いまは心にぽっかりと穴が空いた感じがあります。まだ整理ができていません。
思えばわたしはよく母に似ているといわれてきました。容姿が似ているというよりは、内面が似ているといわれてきたのです。
「のんびりしていて、おだやかでやさしい」
母を形容するとそんなところです。おおむね他者からの評価もそんなものかと思います。となると…自画自賛ですが私もそんなところでしょう。ええ
これは母方の宿命といいますか、なんというか、血は争えないものです。母型には「超アグレッシブな開拓者」か「のんびりお嬢さんお坊ちゃん」の極端な2タイプの系譜しかいません。で、母も私もよくもわるくも後者でした。
しかし今回の母の闘病を通じて、わたしは母の新たな一面を知りました。
それはとても「強かった」ということです。
強かったというと意味が広すぎるのですが、「とてもメンタルがたくましかった」と言いかえてもいいでしょう。
訪問医師も訪問看護師もケアマネさんも、だれもかれもがこの2年の闘病を通じて頻繁に口にしていたのは、「お母さんはとてもつよいですね」「信じられないくらい強いんですよ」ということ。
2年を通じて死に向かうなかで母はひとことも弱音を吐きませんでした。いろんな苦しみや痛みがあったはずです。でもなんというかそういうのを表に出さなかったのです。
しかもそれががんばって「つよくふるまう」という気合の入った状態ではなく、自然ににじみ出る強さだったのです。
わたしは母がやさしいことは知っていましたが、実をいうと強い人なんて思ったことはありませんでした。むしろ精神的にもろいところがあるなあ、、なんて思っていたのです。
いや、もちろんべつに弱くてもいいんですよ。人間ですから。
ただ、そのような母の弱さを認識して私自身の心の弱さにも投影していたのですが、今回の母の闘病を通じて、どうやらそうでもなんいんだな。。と実感しました。よくよく考えてみれば母も私もがまん強いところがあります。
海外のどこに行っても暮らせますし、どんな環境でもまあいいやと開き直ってなじんでしまうことがあります。よくもわるくも図太いところもあるでしょう。
人は簡単に強いとか弱いとか割り切れないものですね。局面によってすごくグラデーションがあります。
そう考えると、なんだか母から強さを教えてもらった気がします。私の心の中にある潜在的なパワーに気づかさせてくれたのです。
いまは毎日朝走る中で空に向かって母に「ありがとう」と伝えています。思えば生まれてからなにひとつ母への不満がありませんでした。
あと一つ母に伝えたいことは「たくさんハグをしてくれてありがとう」といことですね。
わたし唯一の長所といえば、だれからも言われるのが心が平穏なことです。これがなんでかなーて考えたら
子どもの頃からけっこう大きくなるまで、母がいつもたくさんハグしてくれたことだと思います。当時はだっこと呼んでいたかもしれません。
「だっこして」といえばいつでも母は私を存分に抱きしめてくれました。そこで抱きしめられた実感がいまの私の心の満ち足りにつながっているのだと思います。
私の姉も性格こそ違えどとても安定しているように見えるのはそのおかげかもしれません。
どんな思いがあっても常に抱きしめてくれた。それが母の強さだったのかもしれません。その強い記憶と体温が、いまでも十分に残っています。
まあ反面、、、だいぶ甘えにもつながっているかとも思いますが笑
でもね、いまはただただ「ありがとう」と伝えたいです。
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