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文章を発信する意義、そして解脱に至るまで

noteで記事を書いて、たったひとりでもよろこんでくれる人がいれば、それだけで生きている意味があるのだと思います。それが文章を発信することの素晴らしさ。

べつに有名人にならなくとも、大金持ちにならなくとも、権力を持たなくとも、友人がいなくとも、文章を書いて「いいですね。ほっこりします」といわれるだけで、ああ生きていてよかったと思うんです。

たとえ手抜きした文章でリアクションがなくとも、まあ一人くらいはよろこんでくれているといつも信じています。そう考えると生かされているなって思います。

でも時代の進化は早いもの。いつかこのプラットフォームも廃れて、いままで貯めた記事が消えてなくなることもあるかもしれませんね。

でもそれでいいんです。あまり記録として残すことに執着がありません。

またどこかで「マヌタ」として細々と続けていきたいと思います。マヌタ50歳、マヌタ80歳、マヌタ100歳まで続けていければいいですね。

あいにく発信する内容が、名前の通りマヌケなことばかりなので、80歳になっても100歳になっても、その日かましたボケを発信すればいいのです。

つまり年を重ねれば重ねるほどネタはどんどん増えていくのです。

つまりより研ぎ澄まされていくわけです。

これがビジネスやIT、経済、教育などを真摯にネタにしていたら時代に追いついていくのが辛いのかもしれません

しかし、わたしの場合はマヌケがテーマですから気楽なものです。いまだって日々、私は何かボケをしないだろうか、、滑稽が訪れないだろうか、、なんて期待しています。ここで記すために。

そしてマヌタ100歳ぐらいになって本格的にボケたときに、わたしは悟りを開いて解脱するのかもしれません。マヌケが頂点に達し、その真髄が極まりしとき、教祖としてから降りて民に信仰を促しましょう。

フォローしているみなさんの文章も末長く見たいと思っています。このプラットフォームがなくなっても、みなさんの名前をヒントにどこかべつのところで読み続けたいですね。

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