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日本代表をはじめて懸命に応援した

わたしサッカーやってました。小学校のころにはけっこうがんばって個人的にもいいところまでいきました。でも高校であることをきっかけにドロップアウトしてしまったんですよね。

それ以来、サッカーすることはほとんどありませんでしたね。まあ、たまに知人に誘われてフットサルをやったり、会社の仲間と親睦会でミニゲームをやったりはしましたけど。

サッカー日本代表の試合はテレビで放映しているのでよく見ています。でもなんというんでしょうね。ほんとうのことをいうと、心から応援できませんでした。

やはりどこかで自分がドロップアウトしてしまった。。という傷があるんでしょうね。心の深いところでかたく閉ざされてしまったところに、得体のしれない痛みをひしひしと感じていたのです。

スポーツをやっている人の中にはこういう人ってけっこういると思うんですよね。決して表に出ることはありませんが、痛みもしくは悲しみを心に閉じ込めてしまっている人が。

一方で、私の父は社会人ラグビーの選手でした。彼はその経験が社会人になって役立ったようです。もう一方で、母は音楽など芸術をこよなく愛する人。まるでスポーツに興味がありませんでした。

そういえば母がスポーツを中継を見ている姿は生まれてから一度もありません。スポーツにまるで好奇心を抱けない。そんな感じでしょうか。

そして母がいま末期がんとなって闘病しているなか、つい最近実家に寄りました。ちょうどそれは日本がワールドカップでドイツに勝って、コスタリカ戦を夜に控えたまさにその日のことでした。

彼女は介護ベッドの上で多少だるそうでしたが、その日に控える日本コスタリカ戦に向けてのテレビの情報番組をじっと見ていたんですよね。

そしてわたしに「きょう勝つといいね!」「まあ見るのが楽しみだわ!」と言ったんです。

わたしはびっくりして、「えええ、、いままでまるで興味なかったじゃん、」と思って、それを口に出そうとしたのですが、

彼女の話しぶりと表情からほんとうにサッカーが楽しみでしょうがなさそうなので、そのセリフをグッど飲みこみました。

いったいなにが起きたんだろう。と思いました。彼女のなかでなにかが起きている。そう感じたんですよね。

決してスポーツなんか興味なかったのに。一度もチームスポーツなんてテレビで観たことなかったのに。でも楽しみができたことはいいことです。

私「そうだね。楽しみだよ。まさかドイツに勝つとはね。マスコミと解説陣の手のひら返しがすごいけど笑」

母「そうね、ぜひ勝ってほしいわ!」

父「そういえばマヌタもサッカーうまかったんだよな。期待されてたし」

私「…」

その日わたしは家に帰ると、いつもどおりテレビをつけて日本戦を見ました。

そして、きょうこのとき、サッカーを高校でやめてから、ようやくこころから日本代表を応援しました。勝ってほしい。とにかくどんなかたちでもいいから勝ってほしい。

そして母によろこんでほしい。少しばかりのよろこびをもたらしてほしい。その一心で応援したのです。

しかし結果はまさかの敗戦。ドラマみたいにお話はうまくいきませんね。攻め込んでいたのに、たった一発のシュートでもろくも負けてしまったのです。

心から残念でした。気持ちがドヨーンとしてしまいました。ああ、勝ってほしかった。ほんとうにそう思ったんですよね。久々にサッカーで悔しいと思いました。

それは学生時代に公式戦で負けてしまったあの日の感じと一緒でした。なつかしい。そういえばこんな感覚あったな。ただそう思いました。

翌日の朝、母に連絡しました。「負けて残念だったね」と。

すると「ザンネンムネン!」とひとことLINEが返ってきました。なんだこのあっけらかん。

わたしはひとり笑うと、なにか心の中にあった固いものがほぐれた気がしました。


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