【読書録】『冒険の書 AI時代のアンラーニング 第一章』を読んで①

全ての人に教育が必要であることは言うまでもない。生きていくために。社会を支えるために。

新時代に義務教育を課せられる我が子達が、その渦中に飲み込まれる前に学校の必要性を考える良い機会だ。

これからの時代に学校で何を学ぶべきなのか、そもそも学校とは何か。

”どうして学校の勉強はつまらないんですか?”

イギリスの哲学者ホッブズが、野蛮な人間に対する教育の必要性を説いた。競争や争いを主軸に生きる利己的な側面は否定しないが、与えられてきた教育が争いを必ずしも防ぐわけではない。

”生存競争に勝ち抜く”

呪いはいつの間にか蔓延していく。

私たちは、そのつもりがなくても世の中の流れに沿って生きていることに気づく。自分の頭で考えているつもりなのに。

時に”常識”とも呼べるそれを疑うためにはやはり学び続ける必要性がある。

平等主義が強い義務教育において、”学びたい”はいつの間にか”学ぶべき”に変わる。

フランスの哲学者フーコー曰く、教育や医療といった公共サービスにみられる管理サービスは、 監獄がモデルとなっている。

自分は常に管理されていると思い込ませることで、効率的に、経済的に、大人しく服従させている。監視、賞罰、試験という三つのメカニズムの複合体によって自ら進んで規律を守る人間、すなわち機械化された人間を作り出せるしくみ。

子供の自主性を引き出す教育的な配慮は、実は規律や訓練に自ら服従する人間を作り出す権力のメカニズムの一部であるとしたら、親として子供の自由を取りあげていることになるのだろうか。

学校のシステムと目的は「労働者になるための技能訓練」「社会に参加するための仕付け」「立派な人格を養うための道徳教育」がいつのまにか混ざり、技能が高い方がえらい、優秀な人間といった勘違いが生み出される。

築き上げた教育システムの先に、自分で考えなくなる社会ができあがる。


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