【最終回】血の通った「ありがとう」と「いってらっしゃい」 小笠原ひとり旅 11日目 #20
島で過ごす、最後の時間。
たとえいやなことがあっても、海に足をつけてみれば、さらさらと洗い流してくれているようで安心する。小笠原の海はくさくないから、朝から入ってもいやな気持ちにならない。
ビジターセンターで最後に島の歴史や動植物のおさらいをする。その土地に関する情報が体系的にまとまっている場所があるのはとてもありがたい。
本来最初にいくような場所だけど、実際に目で見たり、ガイドさんに教えてもらった内容を見直すにはぴったりだ。最初もいいけれど、最後にいくのもおすすめしたい。
最後のランチは島で最初に食べた海遊にした。名物の包飯(パオハン)と品切れだった餃子が食べたくて。もっちり、どっしり、美味しい餃子だった。
包飯はエビチリソースと香ばしく焼かれたチーズとネギと卵が美味しい。
最後の音です。出港太鼓、出発の汽笛、みんなのありがとうが全部詰まってる。今聴いても何度も心が動かされる。ぜひ聴きながら写真を見てもらえると嬉しいです。
ここからは下記「Listen in browser」を選択し、イヤホンで聴きながらご覧ください。
Sound - ありがとう、いってらっしゃい
いろんな人が手を振りながら、「〇〇さ〜ん!ありがとう!」「〇〇さ〜ん!元気でね!」と名前を呼びながら別れを惜しんでいる。
こんな公共の面前で、個人の名前を叫ぶなんて、なかなかない。
猛々しい太鼓のパフォーマンス、お花を海へ投げ入れる、ギリギリまで船で追いかけてくれて海へダイビング、そこには毎週しているとは思えない、本当の「ありがとう」があった。
合計10日ほど小笠原に滞在していたけれど、おがさわら丸がたくさんの観光客を連れてきて、宿やガイド、飲食店などが潤う。コロナの影響で収入がなくなってしまったと話す方もいたなかで、やはりおがさわら丸の存在は大きくて、ありがたいものなんだ。
それがこの熱烈なお見送りの空気感につながっているように思う。
本当のありがとうじゃなきゃ、こんなに心は動かない。
初めてのひとり旅が小笠原でよかった。それだけはいま心から言える、まったく悔いのない旅路だった。
帰りの船は、行きよりも笑い声が心なしか多い。
ツアーや宿で知り合いになった人同士で、お酒を片手にデッキに出て、どんな旅だったのかを、みんな黒くなった身体で語り合うのだ。
島の暑さと開放的な環境にも影響されているだろう。普段は話しかけないのに、夕日を見てたり、カフェでコーヒー飲んでいるだけなのに、一声かけるだけで友達になれるんだから。
船の数が限られているということは、やっぱりそういう特別感があると思う。
これが毎日のように飛行機が飛んだら、島の経済や生活は潤うだろうけど、この特別な空気感はなくなってしまうだろう。
海のど真ん中で、夕日が落ちていくのを、なんにも考えずに見られるは贅沢だった。島から見るよりも本当に周りになにもないから。夕日に照らされる、おが丸に乗ったお客さんの真っ赤なオレンジに染まった瞳を見るのがたのしい。誰もが生き生きとしてる。夕日に心を動かしている。それがなんだかとても嬉しい。
五十音で何がいちばん官能的か、ヨットと写真の不確実性、基礎代謝の重要性、環境音と集中力、日記っていいよね、そもそも島であった心奪われた瞬間がさ、と話をしていると夜空に無数の星が浮かんでいた。
関係を築くのは、時間の総量じゃなくって、いつだって密度だ。
(次回へつづく)
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