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私の見てきた就職氷河期時代

私は1978年生まれで2024年現在で46歳です。
高校卒業し、1997年に海上自衛隊に就職しました。一般的に就職氷河期は1993年~2005年と言われています。そのため私は就職氷河期の初期世代です。人によって見え方や感じ方が違うので、これは私から見た就職氷河期の時代の話です。


私が高校を卒業する1997年は就職先がどんどん減っていました。とは言ってもまったく就職先が無いわけではありませんでした。人気の就職先は、採用する人数が少なく、3K(きつい、きたない、きけん)と言われていた職業は80年代後半からずっと人手不足だった印象があります。

この頃フリーターという言葉が出てきました。フリーターとはアルバイトで生計を立てる事を言います。当時のフリーターはバイト2つ掛け持ちで手取りで30万くらいもらえていました。新入社員の給料は当時13万とか15万くらいが多かったと思います。その中で倍くらい稼いでいたので羽振りのいい人が多かったです。高卒でフリーターを選ぶ人たちも結構いた印象です。

一方大学生はというと、バブル崩壊以前の考え方が全然抜けていないので、自分の勤めたい業種以外は行きたくないという思いがあります。しかし募集人数が少ないので、希望した業種になかなか行けません。そのため資格やスキルが大事という風潮になります。
大学卒業後に専門学校や職業訓練校に通い資格を取ろうと学生を続けていました。当時は親もまだお金に余裕があったので、それを許す家庭が結構あったと思います。その後派遣でキャリアアップするというのが流行ります。派遣会社に登録して働くのですが、2000年中期は中国の好景気に世界中が引っ張られて日本社会も持ち直してきます。その時に必要な人材は新卒の社員でした。30歳くらいの会社勤め経験のあまりない人は、会社からはいらない人材でした。そのため派遣で働くしかなくなっていきます。自分で書いていてちょっと辛くなりますね。

少し話が戻りますが、1992年「ナイトヘッド」という深夜ドラマがヒットします。このころから、暗い系の作品の人気が高まっていっていった気がします。「高校教師」、「誰にも言えない」、「ひとつ屋根の下」が1993年で、これ以降、野島伸司や君塚良一、飯田譲二の作品がヒットしました。この頃から漠然とした不安が増していった気がします。オウム真理教が台頭し、オカルトブームも広がっていたと思います。90年代前半のムー、MMR、Xファイルは最高でした。

同時にこの頃から成果主義や年功序列の撤廃という考え方が浸透していったと思います。今になって思えば、当時の大人が若手社員の面倒を最後まで見ることが出来なくなったため成果主義という言葉を使って人員の削減をしたかったのかなと思います。その後2000年前後に外資企業が入ってきて、外国語が必要になり、海外の考え方も理解しなくてはいけなくなります。そしてPCによる業務が本格化してくると、ついていけない当時の大人たちは自分たちの世界に引きこもっていきます。

90年代は前期と後期で大きく違った年代でした。90年代前半は、まだ好景気の余韻が残っており、ジュリアナ東京があったのは91年~94年であり、90年の総量規制の後になります。90年に3万9千円位の株価が92年には1万4千円位に下落しています。株価は順調に下落しているのに当時の大人たちはまだ危機感を持っていなかったと思います。そして後期に入るとすべてを見なかったことにして、自分たちの村を守る活動が過激化していったと思います。

95年、地下鉄サリン事件、阪神大震災。97年、山一証券と北海道拓殖銀行の破綻、東アジア通貨危機。98年、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行破綻が起きます。当時の大人たちは大変だと騒いでいましたが、将来に向けた解決の手は打たず、結局当初は税金を入れないと言っていましたが、公的資金を入れて様々な金融機関を救い、現状維持に全力を注いでいたと思います。銀行業務を適正に運用していなかった人たち、利用者にペナルティは特になかったと思います。預金の全額保護も結構長期間でした。全額保護した時期の方がイレギュラーというのを忘れてはいけないと思います。


最後に97年公開の「もののけ姫」のポスターには「生きろ」と書いてありました。宮崎駿監督は当時の状況を色々わかった上で未来に向けメッセージを言っていてくれていたんだろうなと今になってわかります。

宮崎監督、私も頑張って生きます。