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特急しらさぎ7号で名古屋から敦賀へ ~681系の安定感と新垂井線~

北陸新幹線とのリレー特急

2024年3月16日の北陸新幹線金沢ー敦賀間の延伸により、特急しらさぎは敦賀ー米原・名古屋間の運行となった。運転区間が短縮されたが、東海道新幹線米原・名古屋方面への接続リレー特急として存続している。今回は短縮された特急しらさぎ7号で名古屋から敦賀まで乗車した(乗車日:4月28日
)。

名古屋駅の電光掲示板。
駅名標
敦賀行きが基本となる。金沢、富山の行先表示はもはや見られない。

681系で北陸へ?敦賀止まりであることを忘れる

名古屋駅4番線。東海道本線の普通列車や武豊線に直通する区間快速が発着するホームに11:40分ごろに特急しらさぎ7号が入線した。使用するのは681系6両編成。681系は北陸新幹線敦賀延伸により廃車も噂されていたが、一部車両を除いて使用されている。JR東海エリアにJR西日本の車両が乗り入れる形がとられている。なお、3月16日以降はサンダーバードとともにしらさぎ号は全車指定席となり自由席が廃止されている。

サンダーバード、しらさぎ号は全車指定席となった。

名古屋11:48に定刻に発車した。11:45に新快速大垣行きが発車しているので、新快速のすぐ後を追うように走行する。尾張一宮、岐阜、大垣、米原、長浜、敦賀の順に停車する。意外にも停車駅が多いのは、名古屋、岐阜方面から北陸へ直通する列車であった名残であろう。特急しらさぎは特急雷鳥と同じ1964年に名古屋ー富山間で運行を開始していることを特筆しておきたい。
新快速の後を走行するため、直線が続く区間でありながら681系の高速性能を活かすことができず力を持て余した運転が続く。尾張一宮まで13分要するのは新快速・普通列車が主体のダイヤであるためやむを得ない。特急ひだ号も岐阜まで東海道本線を走行するが、時間帯によっては名古屋ー岐阜間を18分で運転するのとは対照的である(ひだ号は一部が尾張一宮を通過する)。
一方で681系は特急車両である。運行開始から20年以上が経過しているが、快適であることに変わりはなく、このまま北陸へ行きたいと思ってしまうほどであった。もちろん、列車は敦賀での乗り換えが必須となる。
尾張一宮、岐阜と順調に停車し、長良川、揖斐川を渡り12:21に大垣に到着した。

急がば回れ 新垂井線経由で大垣ー関ヶ原を時間短縮

大垣12:22に発車すると、南荒尾信号場で美濃赤坂行きの支線と垂井線に別れを告げ、北側へ進路を変える。ここから先、関ヶ原まで通称・新垂井線を走行する。新垂井線は大垣ー関ヶ原の急勾配を避けるために建設された東海道本線の別線であり、下り線に限り使用される。垂井駅を通らない貨物列車と特急「しらさぎ」「ひだ」「サンライズ瀬戸・出雲」が使用する。普通列車は垂井線(東海道本線の支線扱い)を走行する。

南荒尾信号場。左手は垂井線(下り支線)。
上り本線は下り勾配が続くため別線は建設されなかった。

よって、新垂井線が東海道本線の下り本線となる。

新垂井線は難所の一つでもあった垂井ー関ケ原間は、ほぼ直線ながら20 ~25‰(パーミル)の急勾配が連続する区間で、下り列車が関ケ原駅へ向かう場合は、登り勾配となるため、大垣ー関ケ原間の改良を行い、上り線を1線、下り線は2線として、計3線構造となっている。
大垣ー南荒尾信号場 ー関ケ原間のうち、南荒尾信号場ー関ケ原間は下り線勾配緩和のため、単線で下り列車用の別線が1944年に建設された。新垂井線は垂井町の町域北部にあり、町域南部を通る上り本線および垂井線から離れたところに敷設されている。

新垂井線を走行する列車は最高速度120km/hで設定され、特急列車は110km/hで前後で走行する。勾配が少なくスピードが落ちることもない。新垂井線の由来ともなり、1986年に廃止となった新垂井駅ホーム跡を通過する。

旧新垂井駅。草が生い茂るホーム跡。需要が限られ国鉄分割民営化前に廃止された。
新垂井線からの田園風景。奥が濃尾平野。
垂井線と合流
下り支線
関ヶ原を通過。

旧新垂井を通過すると険しい山々が近づいた所で垂井線の線路と合流し、大垣出発後約10分で天下分け目の舞台となった関ヶ原を通過した。ここから先はカーブ区間が連続するため、柏原(かしわばら)までは80km/h前後で運転する。近江長岡駅が付近で東海道新幹線が近づきしばし並走する。

春の伊吹山

右手には雪解けした伊吹山が現れた。急勾配の難所を越え直線区間が続く。JR東海最後の駅醒ヶ井を通過すると12:48に米原に停車した。米原駅では東海道新幹線ひかり号からの接続がとられる。また、先頭車両が変わるため8分間停車する。多客期には米原から3両増結し9両編成で運転される日もあるが、乗車したしらさぎ7号は昼間の時間帯であったためか増結は行わず6両編成で敦賀へ向かう。

やはり68シリーズが落ち着く

米原12:56定刻で発車した。米原から敦賀までは北陸本線を走行する。
北陸本線は北陸新幹線開業により徐々に運行区間が短縮され、ついに敦賀ー米原間(45.9㎞)のみとなった。敦賀は北陸の玄関口であるとはいえ、北陸本線の80%以上が滋賀県内という皮肉な路線となってしまった。
約6分で長浜に停車する。長浜は一部のしらさぎが停車するのみで大半は通過となる。下車客は少ないようであった。長浜を発車すると終点の敦賀まで停車しない。木ノ本まで直線区間が続くため、特急列車は120km/h前後で運転し特急列車らしい走りぶりを体験できる。余呉を通過すると湖西線との合流点近江塩津を通過し、深坂越え(深坂トンネル)で福井県に入り新疋田を通過する。新疋田ー敦賀間の鳩原越えは下り線は下り勾配となる。上り線と合流すると、60km/hの制限速度がかり、敦賀駅新幹線ホーム直下の連絡線を走行する。北陸本線の上り線を線路上で跨ぎ、そのまま北陸新幹線の高架下へ入り13:27に敦賀駅34番のりばに到着した。特急専用となった34番のりばは特急しらさぎ号専用ホームである。旅客案内では31、32番のりばが降車用となっているので、34番のりばに停車するのは想定外であったが、しらさぎ号については34番のりばでの折返しが基本なのであろう。

敦賀駅33、34番のりば。乗車専用かと思いきや、ホームから乗換表示があるので、このホームへの到着もあることを実感する。
折返ししらさぎ58号となる。

名古屋から約1時間40分の移動であったが、名古屋から乗車すると特急列車旅が堪能できる。しかし、名古屋発着のしらさぎ号は2時間おきの運転であり、その他は米原止まりである。米原ー敦賀間は約30分少々となり、新幹線接続列車の色合いが濃い列車となってしまった感は否めない。681系は車齢20年を超え、廃車の目安となる走行距離800万キロを超える車両から順次廃車となる見込みである。敦賀ー大阪間の北陸新幹線延伸、全通の見通しが立っておらず、使用車両が683系に統一される可能性もある。あるいは、しらさぎ号が快速列車に格下げされる可能性も否定できない。特急列車としての役割が都市間輸送から新幹線とのリレーに変化する中で特急列車として存属できるのか気になる列車旅であった。

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