見出し画像

マーケットに迎合せずプロダクトアウトで世界を変容

こんばんは!言海祥太です。

 友人の美湖ちゃんの誕生日LIVEにゲストで出演させていただきました!

RIYOくんとの新ユニット「リミコ」まじ良かった。刺激になった!!

遠慮なく躊躇なく世間に合わせに行くんじゃなく
自分のやりたいこと全開でいく尊さと美しさを感じた。
大きな大きな気づきと勇気をありがとう

靴紐が緩んでたけど、ぎゅっと締め直したみたいな感覚の
気づきがあったから相変わらずの長文でシェア笑

正解・不正解ってない分野の話なので
これは共感する方はめちゃめちゃ共感していただけると思うし、

いやいや違うよ言海さんと違った価値観を持ってる人からすると
わからない話かもしれないんですけど。

こないだね、美湖ちゃんのバースデーライブに行ったわけだけど
とりわけ音楽とかアートの分野っていうのは
売れることを目的として取る戦略
自分が本当にやりたいことをやる時の戦略って
まるで違うんですよね。

これは起業家も一緒なんですけれども
例えば音楽シーンで言うとね。

本当に自分たちが好きな音楽とかジャンルとか
世界観を追求しようと思った時に
それをじゃあリスナーが求めてるかって言ったら
そうじゃなかったりするじゃないですか。

リスナーが求めてる音楽っていうのは

例えばアイドルグループだったりだとか
わかりやすくみんなが盛り上がれる曲みたいなものが
一昔前までは売れたり評価されたり、フィーチャーされやすいんですよ。

だから、商業的に売れたければ
そういう社会が求めてることをやる。

ビジネスも自分がやりたいことっていうよりは
みんなが求めてることとかね。

集合的無意識にアクセスした方が嬉しいみたいな
代弁だったりとか、誰かのお困り事の解決だったりとか

誰かがめんどくさいなと思うことの代行をしてあげるだとか
そういったことが割と商業的なビジネスとして
経済的合理性を高める意味では形にしやすい。

簡単に言うと、マーケットに迎合したほうが
商業的にはうまくいくっていう側面ってあるじゃないですか。

それが悪いとかいいとかではないんですよね。

これってよく僕はヒップホップが好きだから
よくメタファーで用いるのだけど。


例えばアンダーグラウンドのクラブシーンで活躍している人たちは
「俺たちが本物のラッパーだ」みたいな風に
言ったりする文脈があるわけですよね。

で、一方これ僕好きなグループなんで全然ディスってないんですけど
ケツメイシとか、DAYONEのイーストエンドとか
テレビとかにバンバン出たりとか、
メジャーシーンで活躍してる人たちっていうのは
「セルアウト」って昔言われてたんですよ。

セルアウトってどういうことかっていうと、
売れるために社会に迎合して
自分たちのアートとかやりたいことっていうよりも
社会受けやメディア受けする音楽を
やり出した人たちのことを
セルアウトって言ったりするんですね。

それはアンダーグランドでやってる人たちからすると
表で活動する人たちのこと揶揄するイメージで言うわけなんですよね。

で、僕は別にそれは戦略としてセルアウトもいいと思ってるし、
なんなら前述したグループってめちゃめちゃ逆に好きなグループなので
僕は全然なんとも思わないんですけど。

ただ一方でアンダーグランドとか本質追求型のグループからすると
煙たがられる存在なわけですよ。

なのでマーケットに迎合しないで
自分のやりたいことをやっていくっていうね。
ある種の商業的に見た時には割と茨の道というか
難しいチャレンジではあるわけですね。

社会が求めてるかどうか別として、とにかく自分がやりたい
ある種のこの自分のわがままみたいなものを
演出していかなくちゃいけない
わけですよね。

だから、それが人から求められるかは別なんですよね。


ちょっともう1つ例を言うとですね。
例えば絵画の世界でもそうなんですよ。

絵画では天才ピカソって言われてますよね。

で、その由縁ってなんなのかっていうと
ほぼ唯一ピカソだけが生前から評価されてた。

要は生きている時から評価されてた。

例えばモネとかゴッホたちは死後評価なんですよね。
要は死んでから評価されてる方。

————————————
 ■ これ何が違うか ■
————————————

ピカソはなぜ生前から評価されてたか。
ここの違いってなんなのかっていうと

まさにこの【マーケットインするか】
【プロダクトアウトしてたか】
どうかみたいな
違いだったりもするわけですよね。


ピカソがやってたことっていうのは簡単に言うと自分の好きなアート。

プロダクトアウト的な活動だけではなくて
実はめちゃめちゃマーケットインして絵を描いてた人
なんですよ。

例えば、飲食店とか企業とか王族とかから依頼を受けていて、
昔って写真とかインターネットの技術とかもないわけだから
広告とかチラシって全部絵で書くんですよ。版画だったりとかね。


ピカソは広告とかprの仕事も一部請け負ってる人もいたんです。
いわゆるBtoB的なことですよ今の時代で言うところの。

企業からの依頼を受けて自分が書きたいかどうかじゃなくて、
クライアントの希望に応えていく仕事、
つまりデザイン的な仕事をしてたんですよ、アートを使って。

で、モネとかゴッホはそういうことはしてなくて
自分自身が見たものとか、美しいと感じたものとか、
自分の感情とかをただ絵にしていた。

誰かから依頼されてやったものじゃなくて
まさにプロダクトアウト。

自分がしたいことを絵で表現していただけなので
生前ではやっぱ評価されなかったんですよね。

っていうので、やっぱりどうしても商業的に見たらマーケットインして
マーケットとか社会のニーズに迎合した方がやりやすいよね。

そうしないと自分の
「やっぱ生活費稼げないよね」みたいな
パブリックイメージがどうしても定着していたんですね。

で、ここでちょっと話戻りますけれども
そんな前提が僕もやっぱりあるわけなんですよ。
どうしても。呪縛みたいに。

その前提を壊してくれたと言うか
先日の美湖ちゃんのライブがめちゃめちゃ良かったんですよね。
現代シャーマンのリヨ君との音楽ユニット「りみこ」っていうの 結成して
”みこちゃん”と”りよ君”が一緒に奏でた音楽が

もうめちゃめちゃある意味マーケットとか無視して
いい意味で。超プロダクトアウト。

要は完全に”自分たちのやりたいアート的表現”をしてたんですよ。

スピチューバ美湖ちゃんはスピリチャル系でさ。

宇宙の法則とかスピリチュアルが好きな女性が多いわけですね。

で、そういった方達からすると多分どっちかというと
ヒーリングミュージックとか癒し系のミュージックの方が
多分好きな人って多かったり、
そっちの方が安心する人は結構多いんじゃないかな
っていうのが多分あるんですけど。

なんて言うんでしょうかね。

超コアでニッチな音楽好きな人やクラブシーンとかの
音楽好きな人じゃないとなかなか理解されないとか
ちょっとこう、怖さを感じるような人も
もしかしたらいるような音楽だったんですよ。

でも多分、みこちゃんとしては1番やりたい音楽を
初めて表現できたのかなと思ったわけですね。

僕、ライブを見させていただいて、
そこに感動覚えましたね。


ある種、僕とみこちゃんが一緒に作ったyour universeとか
あれっていうのはもちろん僕やみこちゃんが
伝えたい言葉とかメッセージ性を込めてはいるのですけれども。

マーケットニーズに迎合してるわけではないが集合的無意識にアクセスして
みんながこうしてくれたら嬉しいだろうなとか
みんなの気持ちを代弁するみたいな、
どちらかというとベクトルがリスナーに向いているんですよ。

で、j-popとか普通に歌っていうのは
どうしてもそういう部分ってあると思うんですよね。

みんなに共感してもらうとか
みんなにイメージしてもらいやすくするっていう。

だから、そういう側面で、ある種のこのマーケットに迎合したりだとか
マーケットインしている曲だったりするし
みんなの気持ちを代弁するみたいな優しい曲なんですが(それはそれで良い)

一方でこないだのライブはある種のシャウトというか、
魂の叫びみたいなのを感じまして。

いい意味でみんながどう思うかじゃなくて
自分のやりたいことやるっていうところが
前提としてある曲というかライブだったんですよね。

なんかそこに勇気をもらいました。

僕もちょっとやっぱりこう東京国際フォーラムで
1500人の音楽の祭りの自己プロデュースしながら、

しかも自分も演者でっていうアートとプロデュース。

左脳と右脳の同時並行みたいな
意識の階層もすごく難しいところを行き来したり
制作費も正直、1500万ぐらいかかる見込みがあって

じゃあそこの費用どうするのかとかっていうことも
経済的なこともだし、
自分アーティストとしてどう表現していくか。

フォーラムに立つ人たちがたくさんいるので
その人たちの最高の体験を生み出す

プロデュースワークも大事にしたいし、
大きな枠組みで思考の行き来をして
いていろんな迷いもあったんですよね。

マーケット云々っていうよりは
自分たちの本当にいいと思うものを遠慮なく、躊躇なく、
自分たちのいいと思うものをプロダクトアウト的に
やった方がうまくいく時代になってきてるなあと!

時代が変わってきたなと。

だから、まさにマーケットに迎合じゃなく
世界を変容するっていうことを試みている姿に

めちゃめちゃ感動を覚えたっていう。

言ってしまえば、僕も起業して10年ぐらいずっと
プロダクトアウト的な人間だったわけですね。

言海祥太という属人性コンテンツで
割と売ってきてる部分があるわけだから本来の軸に戻りました!

まだまだ古くなった思考を手離せてなかったなぁと。
新しい自分に着替えていくには古くなったものを手放していかないと
新しいものは入ってこないわけですよね。

満員電車だって、たくさん人が乗ってたら
新しいものは人が入れないわけだから、
先に人が降りないと新しい乗客乗れないじゃないですか。

だから必ず手放す、先に出すのが鉄則なんすよね。

これ物理的にも宇宙の法則的にも。

なので、僕もいろんなものを手放していくために。

結局、言海祥太には言海祥太にしかできないことが当然あるし
それをしっかり表現したいなぁと思った。

冒頭書いたようにほどけかけたスニーカーの靴紐を
またぎゅっと結び直すみたいな感じで襟を正した瞬間でした。

アートもビジネスも僕は表現の1つだと思ってるんで
どっちがどうとかない。

僕の伝えたい思いとか、やりたいことっていうのを
たまたまビジネスという場で表現することもあるし
ステージという音楽で表現することもある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
表現媒体の1つでしかないと思ってるんですね。ビジネスもアートも。
だから、どっちがどうとかないんですよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本来僕にとってはアートもビジネスだし、ビジネスもアート。
だから、「ビジネスアーティスト」として肩書きをつけた理由なんだ。

エンタメにはこうゆう力があるんだよ。

自分が生きる道がまた明確になりました。

最後までお読みいただき
ありがとうございました


ビジネスアーティスト
言海祥太

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?