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SNSで行われる殺伐とした議論に疲れた人たちに捧ぐ、『十二人の怒れる男』という名作映画

SNSやワイドショーを見れば、毎日、誰かが誰かを裁いている。

毎日毎日違う事件を。毎日毎日違う人を。
世の中に出ている情報をもとに、勝手に判断し、議論し、裁いている。

そのうちいくつが真実で、そのうちいくつが嘘だったか、わからないし誰も実は気にしない。

そんな世の中にモヤモヤしている人にすすめたい映画がある。

「十二人の怒れる男」という傑作映画だ。

ほぼ全編にわたり一室で展開される“密室劇”の金字塔

この映画は “密室劇” あるいは “ワンシチュエーションムービー” の金字塔と言われている作品で、複数回リメイクもされている。

多少違いはあるものの、どの作品も同様のストーリー展開となっているので、どれを見ても良いし、複数作品を見比べても面白いだろう(私は1997年アメリカでテレビ向け映画としてリメイクされた『 12人の怒れる男 評決の行方』が一番見やすくて好きだ。だが、ラストシーンは最初の映画作品が好き。ロシア版はまだ見れていないのだが、友人はこのロシア版が一番好きらしい)。

この作品は全編の約95%が、12人の裁判員が容疑者の罪を議論する一室で展開される。議論する事件はこんな感じ。

有名な貧困地域にある線路沿いのアパートで、1人の男性が死亡した。殺人の容疑がかかっているのは、被害者の息子。息子は日常的に父親に暴力を振るわれており、小さい頃に全く別の事件で前科もある。事件当日には、殺害現場の下の階に住む老人が、息子の「殺してやる!」と激怒した声を聞いたという。殺人現場は隣のマンションに住む女性にも、通り過ぎる電車の窓越しに目撃されている。

もしあなたがTwitterで、ワイドショーで、この事件を見かけたらどう思うだろうか。

様々な境遇の男たちが生み出す議論に既視感

映画の中では、容疑者である被害者の息子が有罪なのか無罪なのかを議論していく。裁判員の評決は全員一致で決めなければならないから、議論の中で「自分たちの意見」として一つの答えを出さなければいけない。しかし、議論する場の雰囲気が、これまた最悪なのだ。

議論するための部屋の扇風機が壊れていて、座っているうちに汗がにじんでくる。12人のうち、ひとりは夜に大好きな野球チームの試合を観に行く予定を控えていて、さらにもうひとりは「夏の風邪は辛いね(鼻水が止まらない様子)」なんて言い出す。全員が「これ明らかに有罪でしょ。さっさと終わらせて帰ろうぜ?」という雰囲気だ。

物語は、そこで裁判員8番の男が無罪に投票するところから始まる。彼が無罪を主張する理由は「Just  We Talk(話さなければならないから)」。

有罪になれば少年は死刑になる。そんな決断を前に、我々は話をするべきではなかろうか。そうして、早々に「有罪でしょこいつ」と思われていた事件について、12人の男たちは(嫌々)議論することになる。

12人の男たちはそれぞれ個性的で面白い。中学校の先生や、移民の時計職人、広告代理店の男、スラム育ちの労働者に80歳前後に見える老人まで。それぞれ異なる個性があるから、事件の事実に切り込む視点も多様である。

「何より大事なのは動機だろう、彼には動機がある」という男、「父親に『殺してやる』なんて言うやつはろくでもないに決まってる」という男、「スラム街に生きている人間だから、有罪(=死刑)になっても仕方ない」という男。

「あ、これ見たことある」と思う人もいるかもしれない。まるでそれは、SNSで特定の事件について議論されているときのタイムラインを見るようなのだ。それぞれにはそれぞれの主張がある。自分が知っている情報なんて全体のごく一部なのに、自分の想像で決めつけて主張を投げつけ合っている。

映画の中では、12人の男たちが一つひとつの主張に付き合って、議論していく。議論によって主張や場の空気は刻一刻と変わっていく。

物語は、アメリカならではの文化を含んだ発言や、日本人でも共感できるやりとりを含みながら、最後、思いも寄らない方法へと進んでいく。

そしてその結末は、色んな意見を持つ人がいたからこそ、たどり着いたものである、というのもこの映画の面白いところだ。

「Just Talk」が生み出す価値を知ることができる映画

日常的に、このような議論を見せられている我々はきっと、この “全くシーンが動かない” 映画によって、見る前とは “全く違う視点” を手に入れるに違いない。

「やっぱりSNSで議論するなんて無理なんだ」と思うかもしれない、「私たちはどうして議論をするのか、少しわかった」と思うかもしれない、単純に「めっちゃ面白かった!」と感じるのかもしれない。とにかく、この映画が「誰かと意見を交わす」ことに関する考え方を変えてくれるのは間違いないだろう。

それに、散々色々と語ってきたが、それをゆうに飛び越えていくほど、シンプルにこの話は面白い。この映画は “ほんとう” の議論が生み出す奇跡や面白さを教えてくれる。大傑作だ。

一方で、だからこそ、この映画をどの時代よりも面白く見れるのは、今を生きる我々なのではないかと思うのだ。

日々、自分の主張を迫られる今。日々、自分の主張を語りたくなる今。日々、当たり前だと思っていたことを疑わざるを得ない今。日々、自分の主張を投げつけ合うのを見せられている今。

この映画は、真実を探るための姿勢を教えてくれる。議論することの重要さを教えてくれる。私達がバラバラの考え方を持っていることも教えてくれる。

この映画は私が思うに、今、一番おもしろい。

あなたは、SNSや掲示板のタイムラインやワイドショーの議論を追いかける目で、どのようにこの陪審員たちが議論する小部屋を覗くだろうか。

こちらの記事は過去に『Article』という媒体で公開されていたものを転載した文章です。


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