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喪失と獲得。−もうすぐ、大きな誕生日

もうすぐ誕生日である。10月はハロウィン、12月はクリスマス、と大きなイベントが続くが、11月はイベントがない。どこに行っても、駆け足のように店頭のディスプレイが季節のイベントに切り替わるので、誕生日を飛ばされたような気分にもなるが、何もない11月こそ、静かに自分の生まれてきた意味を噛み締めて過ごそう、と思うようにしているのだ。

と書くとむくれてでもいるようであるが、今回は、いよいよ50代に突入する大きな誕生日、なのである。
誰もが口にすることだが、自分が若かったころには、やがて40代、50代になる日が来ようとは想像もしないわけであるが、無論私もそうである。
かつては、40代、50代の人たちがずいぶんと大人に見えた気がするし、身近なところで自分の父と比べても、父の50代は、社会的にもより大きな責任を抱えていたように思うし、もっと老成していた。
いまもって祖母が100歳を超えて健在ということで、家族全体が三世代、四世代と末が広がっても、自分たちがまだ子や孫のまま、知らずに歳だけが重なっていく。そんな幻想の如き関係性の中にいるから、ということもあるのかもしれない。

振り返れば40代というのは、とにかく目まぐるしい10年間であった。およそこの身に起こりうるありとあらゆる事柄が次々と立ちはだかってきた、そういう10年だったように思う。良いことも悪いことも、否応なく独りで切り結び、そのひとつひとつが成長へと繋がった20代、八面六臂に我武者羅になってなお精励恪勤できた30代とは異なり、急ブレーキと急発進を逆に踏んで、景色がズレて過ぎていくような、不安定な10年間であったような気がする。
20代、30代はしっかりと過ごしてきたのだ。慌てるな、明珠在掌であるぞと言い聞かせても、どこかまだ隣の芝の青さを覗き見てしまう、あるいは、願わくは隣の芝のほうが青いようにと、己の欲望をあえて逆なでして焚き付けるような、歪な感情にとらわれ空回りする日々であった。 

あの歪さは一種の思春期だったのではないかと、49歳にして思う。50歳を境に、一足飛びに自分が成熟するとは思えないにしても、一旦老いと若さの間で引き裂かれる、そんな時期だったのではないだろうか。
挑戦が連続するということなら、10代であれ20代であれ30代であれ違いはなかったのだが、40代で経験した挑戦には、それが胸躍るようなものであれ(心折れるような試練であればなおのこと)、素直に向き合えないところがあった。

50歳は新たな30歳、と海外では呼ぶのだそうだ。たしかに、私が40歳になったときと比べて、取り巻く環境は大きく変わった。歳は取ったが、40代よりも自由を手にしていると感じる。
たとえば、子育てひとつにしても、当時0歳だった子は10歳になっている。あの当時より、自分でできることが増えている。子育ても、これにかかる責任も相変わらず続いていくのだが、体力的・物理的には随分と手間が軽減される。

ほかにも、じっくり数えてみるとこの歪な10年の間に落としたもの、必然的に手からこぼしたものがたくさんある。それらにはそれぞれの意味があって私とともにあり、またそれぞれの理由のもとに私と切り離されていった。そのときは気が付かなかったが、それらは喪失と同時に獲得であった、ということである。いま手にしている軽快さを、30代のバイタリティではなく50歳のテクニックで料理することができたら、50歳はたしかに、新しい若さの始まりなのかもしれない。(了)

Photo by diapicard,Pixabay

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