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犯罪の証拠提供者になった経験

 今も係争中だからフェイク混じりでしか書けないのだけれども、ある家族が巻き込まれた事件で証拠を提供した。まだ相続が済んでおらず複数の権利者がいる空き家が解体され始めているのを目撃し、事件性があると判断、持ち歩いているデジタルスチルカメラで作業中の現場を撮影し、その画像を被害者に提供した、ということなのだが。
 
 空き家の権利が複数の権利者にまたがる場合、解体も権利者全員の合意がなければできない。他の権利者が長期所在不明等の特別なケースや、自然倒壊等の緊急事態が例外的ケースとして想定できるが、通常は当然権利者間のトラブルに発展するリスクがある。――法律家じゃないから細部は間違っているかもしれないけれど、大体合っていると思う――それを前提として。
 
 合意がなければ解体できない。一部でも解体されればもう誰もその家に居住することもできないし資産価値が下がるから売却も難しくなり、他の権利者にとって不利益になるからだ。しかしそれを承知の上で、他の法定相続人に無断で解体を強行する権利者がいる。なぜか。早期に調停に持ち込み、絶対的有利に相続するためだ。だからこの解体は、調停申立とセットである。
 調停にするメリットはこれだけではないだろう。多分警察は動きにくくなるのではないか。だから多くの権利者は諦める。悪条件で遺産分割協議調停に応じるしかない。

 そうした事情を承知の上で、それに協力する解体業者もいる。相続で不当な条件を飲まなければ故意に生じさせた解体費用を請求される(もちろん悪徳業者が絡むので上乗せされての請求額だろう)。支払えなければ調停や裁判でも不利になり、結局家を取られることになる。中途半端に壊し、ガレキを出入口の前に積んでおくという嫌がらせもする。
 
 私たちはそういう非常識な事態に巻き込まれないし仮に巻き込まれても守られるはずだと漠然と考えながら暮らしている。日常性バイアスというやつだ。しかし、実際そういう事態に巻き込まれた際、自分の権利を守ることはほぼ不可能だ。壊されたら終わり、必ずほぼ取られると思ったほうがいい。調停に持ち込まれれば向こうの弁護士は何でも言う。「義務はない。権利のみ主張する」とさえ、当たり前のように言う。依頼人の不法行為を察していても知らぬ顔で押し進めてくる。毎日「弁護士は私だけじゃない。自分の権利も守れない奴が悪いんだ」と鏡の中の自分に言い聞かせている弁護士って、どれくらいいるんだろうな。

 「そんなのおかしい。犯罪じゃないの」と思う人もいるだろう。遺産分割協議調停であれば民事なので、どこまでも民事の枠内で物事は進んでいく。その流れを変えることは大変に難しい。他方あなた側の弁護士が考えることは「起こされた遺産分割協議調停で何ができるか」だけであって、警察を動かして犯罪者を逮捕させることではない――もう家は壊れている、これから人が死ぬわけでもない、大体において証拠もないケースばかりだ、損を少なくする以外にない、この機会に遺産分割協議を終わらせた方がいい。 
 「大変ですね。話を聞きます」と言って事務所には招き入れるが、ほぼ間違いなく民事調停でそのまま折り合うことを勧めて来るだろう。逆転の奇跡なんて起こらないからだ――どれほど悔しくても、一部でも壊されたら終わりなのだ。あなたは「わざと壊された」と言いたい。でも、その証拠は?

 だから、私は他人の家の解体工事を撮影したのだ。解体業者も関わるグループ犯罪に民事もクソもあってたまるか。権利者ではないので工事は止められないが、証拠を残すことはできる。被害者との出会いは、後日のことだ。


 被害者との出会いは偶然だった。猛暑の中、高齢女性が蹲っていたので心配になり声をかけると、解体が進められている空き家の権利者であるという。勝手に他の権利者からの依頼で工務店が解体を始めてしまった、警察に行っても「そんなの現行犯じゃなきゃ何もできないよ」と冷たく追い返されたという。都内の閑静な住宅街に建つ一軒家で、親から相続して弟が住んでいた家だった。元々は家族で暮らしたその家が、勝手に壊され始めているのに何もできない。そこに調停が開始された。ああやっぱり、とその話に思った――解体に着手した時点で調停に持ち込み、相続を有利に進める。目的は解体ではなく、調停を起こすことにある。おそらく広範に起こっている、乗っ取りの手段だ。「何もできなくて悔しいの」とその人は泣きそうになっている。「だからせめて毎日様子を見に来てるの」と。
 
 「いや、証拠ありますよ。撮影しておいたから」
 
 私がそう言うと、ひどく驚かれた。ちょっと待ってね、とカメラを取りに戻る。デジタルカメラごと、あげた(凡ミスで日付設定を間違っていたので、カメラ本体ごと警察に渡す必要があった)。住所はこれで連絡先はこれ、解体業者の顔も見ているし、いつでも証言しますよと約束して。名刺代わりに「カミングアウト・レターズ」も渡した。なぜ「他人でしかない」私がそこまでするか――その家に住んでいた方とは御生前に挨拶を交わす「他人じゃない」仲だったからだ。旨そうなグレープフルーツをあげたことがある。でかいボトルのハチミツをもらったこともある。塀越しに挨拶した。無口な方だったが、何年もそんな交流をしていたのだ。他人じゃない。
 
 その後そのご家族とはご縁ができたが、解体業者のその後とか調停の行方については知らない。知っていても係争中だから書けない。多少有利になってくれていればいいなと思っている。心からそう祈っている。

 証拠提供のお礼にと、ステンドグラスのランプをいただいた。ステンドグラスなんて柄じゃないのだが嬉しくて、毎晩、寝る時に常夜灯代わりに点けている。ランプが灯ると、やはりその空き家の主だった、あのおじさんのことを考える。ご生前は親しくしてくれてありがとうね、ちょっと壊されちゃって済まなかったけど、おれにやれることはやったよ、と呼びかける。良いお姉さんだし良い甥っ子さんだね、頑張ってるよ、そっちから見守ってて。


 空き家の解体を進め/あるいは倒壊までさせて乗っ取りをする事件はあちこちで起きているだろう。警察が動きにくいのを見越してやっている。むしろ警察が動けないようにと考えて調停を起こしている。権利者が泣き寝入りするだろうと思い、実際に泣き寝入りするしかない状況を作り上げて乗っ取りは行なわれている――弁護士を使い、調停のシステムを悪用して。調停員も申立人こそが悪人だとは当初考えない。あなたはただ「倒壊しそうな」空き家を放置して遺産分割協議が起こされるまで「管理もせず、主張もしなかった」法的には疑わしい権利者である相手方として出頭を求められる――申立人がそう主張するからだ。その先入観を覆すのは大変に難しい。あなたの主張はほぼ聞き入れられない。
 「まあまあ」「お気持ちは分かりますが」と調停は進行される。まず法定相続人が誰かを明確にしましょう、相続の範囲を確認しましょう、と進められる。そこで疲れ切りながらも粘れる人なんてどれほどいるだろうか。悪人として扱われ非難される経験は、ひどく疲弊する。命を削る。

 「少し壊して、調停に持ち込む」この乗っ取りは、やられたら最後だと思った方がいい。そんなことが身近に起きていると信じられるだろうか? 誰かが家族を亡くした悲しみの中、他の権利者によって悪者とされ、調停で突つき回される立場になるのだ。そしてほぼ全て奪われる。それが現実だ。

 真の悪人は野放しだ。「潔白じゃなきゃ自分から調停なんか起こさないでしょ?」と彼らは言い、それを全ての説明にするだろう。あなたの家の隣家を相続した人も、そんな人物かもしれない。隣に住む人を知っていますか?

 だが、あなたも気づける。
 
 どうしたら犯罪を察知できるのか、私の経験を書いておきたい。私がその解体工事を異常なものと気付いたポイントは、近所に回る「工事のお知らせ」にあった。要は「他に権利者がいるらしい点」「やましい点を隠している感じ」が分かりやすかった。「倒壊の不安を近隣住民から聞いている」等くどくどと工事を正当化して正義を謳うのだが、正当な権利で経済活動をするのにそんな言い訳は要らないものだ。ただ粛々と、堂々と解体すればいい。近隣住民の不安を煽り、他の権利者に反感を向けさせる必要など、ない。なのにそれをするのは、やましいからだ。隠したい事情があるからだ。
 それは「他の権利者に」住民の義憤を向けさせる内容だったのだ。

 この記事を読んで下さったことで、皆さんが周囲に跋扈する犯罪に注意深くなっていただけたら嬉しい。「工事のお知らせ」などで工事開始を知ったら、その建物が自然倒壊を始めてなかった証拠に、解体前の状態を(倒壊リスクもなく解体する必要がなかったという証拠を)撮影しておくのがいいだろう。私はそこまで気が回らなかったので反省している。

 それは近隣住民にできる防犯だ。

 どうせ他人は無関心だろう、と誰もが思っている。しかし、そこに付け込んだ犯罪がある。ある弁護士は、私に対して言った――「都会じゃ隣に住んでいる人の名前も仕事も知らない、私でさえ挨拶する程度だ。でも、だから生きて行けるんだよ、みんな」。
 しかし私は言いたい――「弁護士がそんなだから人がバンバン死んでるんですよ」と。社会はそんなものだ、依頼人が悪かった、あれは仕事だった、他にやりようがなかった、ああだからこうだから。そんな弁護士の自己憐憫は、お仲間と慰め合う時に取っておけばよい。私は聞かない。弁護士にだって職業選択の自由くらいあるだろう。愚痴を言うなら転職しろよ。あんたは真実を何一つ言い当てていない。
 オーケー、ここは東京だ。でも、だから何だ?

 炎天下で私に声を掛けられた女性は、通りすがりの見知らぬ他人でしかない私に、きちんと自分が置かれた状況を話すことができた。だからささやかでも状況を変える糸口を手にしたのだ。息子さんもしっかりしているし頑張っている。素晴らしいポテンシャルと行動力をもった家族だ。――この記事で何より重要なポイントはそこであるかもしれない――誰かが撮影していても、証拠を持っていても、被害者を見つけられなければ意味がないのだ。この女性は「ちゃんと話せた」。陥っている状況を誰かに話す勇気をもっていたのである。偶然も味方につける力があったのだ。

 私はいつか、その女性が経験を書いてくれたらと願っている。出版を前提に彼ら家族から話を聞きたい出版社があれば、私はぜひつなげたいと思っている。そんなことで社会は変わって行くのだから。


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