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「和賀英良」獄中からの手紙(35)  しずのおだまき 

―しずのおだまき―

私が烏丸教授と知り合ったのは東京のある場所、正確に言うと上野の会員制のバーでした。「あーとのーと」というちょっと変わった名前の店で、芸術家が集まるという触れ込みの、上野というより元浅草に近い東上野のゲイバーでした。

こういう上野界隈や会員制というキーワード、そういったところに踏み込む輩たちということで、すぐに想像できる方も多いと思いますが、私は実際のところ「男色」があるのです。

初めての店で、緊張と期待が入り混じった気持ちであたりを見回しながら戸惑っていると、カウンターでパナマ帽を斜めにかぶったダンディーな男性が私を見てこう言いました。

「Youは音楽やりたいんでしょ、すぐわかる。隣においでよ」

烏丸先生との初めての出会い、そしてその後の私の人生を変えた一言でした。

この時代の音楽関係の人は「あなた」とか「キミ」という言葉より「You」という英語を使う人も多く、初めはずいぶんと気取っているな、と思いました。烏丸先生はアメリカのニューイングランド音楽院に留学していたこともあり、英語の「You」は「キミ」という言葉より自然だったのかもしれません。

それとちょっと気になっていたのは「そうなの」「そうなのよね」という女性詞のような言い回しがよく聞かれたことです。それは男色関係の言葉というより、東京の独特の言い回しのようでしたが、自分としてはなにか柔らかい響きがあってけっこう好きでした。

私は女性に興味がないわけでなく、どちらもOKであり、そういった意味ではバイセクシャルな性的嗜好ともいえましょう。そのバーで烏丸教授と出会い、そして私を誘ってきました。悪い気もしなかったのですぐに打ち解けて、田端にあった教授の当時の自宅に行くことになったのです。

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烏丸先生は鹿児島県出身の薩摩隼人で、小柄ですがとてもがっしりとした体つきで、まさに「漢、おとこ」を感じる方でした。地元では「ぼっけもん」と呼ばれる豪胆の持ち主で、家柄も薩摩藩の武士の流れがあるとのことでした。

先生がたびたび口に出していたのは、「体を鍛えることは自分の魂を磨くこと」であり、ボディービルのトレーニングに日夜励んでいました。

そんな鍛え上げた浅黒い肉体と弾けるような筋肉をよく私の前で自慢げに披露しながら、ある元官僚で有名な小説家が通っている、有楽町のボディビルクラブに自分も通っているんだ、と言っておられました。

男同士の関係が深まってから教えていただいたのですが、薩摩藩の時代からこの南九州の地域には男色と男尊女卑の考えが根強くあって「女性に惚れるのは男として軟弱であり、女などに惹かれないのが強い証拠」なのだそうです。これはちょっとびっくりですね。

藩の中でも、下級武士の間では「道端で女に目をやった」というだけで処分された藩士もいるそうです。

ですので「よかにせどん」つまりいい男と関係を持つのは、とくに問題にはされず、強い絆で結ばれる同性の恋愛は男らしく美しい関係だったようです。

私も自分で言うのも変ですが、鼻筋が通った俗にいう色白の美男子で、額に放浪の時に警官に突き落とされてできた傷がありますが、もうその傷跡もとうに癒えて、遠目ではまったくわからないようになっております。

また薩摩では「若衆宿」と呼ばれる共同生活の風習が幕末まであり、青年同士がが親元を離れて様々な経験を共有するなかで、こういった男色も強固な絆を深めていく儀式的な通過儀礼ともなっていました。

実は私が性的な体験をしたのは、烏丸先生が初めてでありました。

そこで感じたことは薩摩の伝統的な通過儀礼と同様な、男同士の結束や絆を感じ、先生がそういった行為のなかで、私に武士道や男同士の掟や友情、そして音楽の感性や表現者としての心意気のようなものを伝えてくれていたのだと思っています。これはまさに「若衆道」つまり「衆道=男色」です。

本心から申し上げますが、先生を恨んだり、嫌悪を感じたことは一切ありません。むしろ感謝していることが全てであり、その理由はこれが単なる欲望を満たす肉体関係ではなく、精神の修養を育むものであったからです。

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そんな先生がある日一冊の見るからに古びた本を私に手渡してくれました。
題名は……読めません。

『賤の苧環』

「しずのおだまき」と読みます。

大正時代の男色家にたいへん人気だった薩摩の若衆物語で、作者は「西国薩摩の婦女」と伝えられていますが、詳細は不明とのことです。

薩摩の大名である島津家に、平田三五郎宗次という美少年がおり、年は15歳。あまりの美しさとその色香に若侍たちはこぞって三五郎に思いを寄せていた。
ある時に倉田軍平という侍が道端で三五郎を自分のものにしようと乱暴を働くが、そこに偶然通りかかってその窮地を救ったのが「吉田大蔵清家」であった。
そしてこの二人が衆道としての契りを結び「庄内の乱」で生死を共にするまでを描いており、作者不詳のこの作品は一貫して「武士道と男色」を礼賛するものとなっている。

私は放浪の後に「和賀英良」という名前を得てから、学校のほうに戻る、というか上手く紛れ込んでおりましたが、修学が遅かったせいか漢字のほうはさっぱり苦手でございます。

「ぜひ読んでみなさい」

と先生から渡されたその本は旧仮名遣いで全く読めません。題名ですら読めず、自分の中では「せんのいもかん」と呼んでいました。まったくの笑い話ですが、読めないので本棚にしまっておきました。

しばらくして先生から
「英良君、この間の本はどうだったかね、感想を聞かせてほしいな」
と問われて困りました。全く読んでいなかったからです。

「先生、実は難解で読み進めません」と困った顔で正直に伝えると
「そうだね、読めないのは無理もない、こんど家のほうで読んであげるよ」
と笑いながらおっしゃっていただきました。

先生の説明では、この本の本質は男性同士の崇高な関係で、これは西洋の騎士道でもよくあったことであり、芸術や文芸を志すものは男色の者も多いこと、そしてお互いの関係は絶対無二のものとして存在するとのことでした。

いいか英良【しずのおだまき】という言葉は【繰り返す】の掛詞〔かけことば〕なんだよ。【オダマキ】というのは糸を紡ぐ道具で、転じて繰り返すことの意味となったわけだ。

有名な和歌があるんだよ。源義経の恋人で「白拍子(しらびょうし)」つまり当時の女芸人であった静御前(しずかごぜん)が、いまや宿敵となった兄の頼朝の前で舞いながら即興で歌ったものがこれなんだ。

「しづやしづ   賤(しづ)のおだまき繰り返し  昔を今になすよしもがな」

この意味は「静よ静よ、と繰り返し自分の名を呼んでくださった義経さま、あの昔のように懐かしい世の中に今一度したいものよ」ということだね、つまり判官義経の世に戻りたい、と堂々と頼朝の目の前で歌ったわけだ。

これは命がけで歌い舞うということであって、その場で切られ殺されても仕方のない状況だったんだ。

つまり「自分の命に忖度していない」壮絶な心境と言えるよね。

この歌は『伊勢物語』にある。「古【いにしえ】のしづのをだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな」の古歌を踏まえた「本歌取り」であって、即興でこれだけの歌を読める静御前の実力は本当に素晴らしい。

これは曲のテーマを自由自在にインプロバイズするジャズマンのようだね。「英良、男女の愛っていうのも、なかなか捨てたものじゃないね」
こんな話をしながら、先生は涙ぐんでおられました。

長々と取り留めのない内容にて失礼いたしました。

宿命を演奏する和賀英良 © 松竹株式会社/橋本プロダクション

第36話:https://note.com/ryohei_imanishi/n/n972f2057805d

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