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「和賀英良」獄中からの手紙(33)  不安と焦燥  


―アンビバレントな芸術家―

 
和賀は自宅リビングのソファーに寝転がって煙草を吸いながら考え込んでいた。そして自分を取り巻いている人の心の動きを整理しようと、必死に頭を巡らせていた。

佐知子はいつものようにリボンを着けた子猫と遊んでいる。

愛人である理恵子の存在を佐知子は知っている。つまり父親の田所も知っているに違いない。田所は一人娘の佐知子からそれを聞いて、娘の敵である愛人の存在さえも消そうとしたのではないか。

和賀は疑心暗鬼になっていた。

理恵子は和賀の車で移動中に口喧嘩となり、車から降りたあと小田急線の踏切付近で倒れているのを発見された。そして運び込まれた医院でその夜に死亡した。理恵子は妊娠していた。

この出来事は和賀にとって凶事でもあり慶事でもあった。

理恵子の突然の死に田所は関係しているのか?
その死の直前に、理恵子は和賀に不安げに相談したことがある。

「なにか……夜帰るときに後をつけられている気がするの」

またこんなことも言っていた。

「あの蒲田署の刑事さんが店に来る前だったけれど、お医者さんだという新しいお客さんが、夜遅い仕事は体が大変だろうから、これを飲むと元気になるよ、といってカプセルに入った栄養剤をたくさんくれたの。いまも毎日飲んでいるけど…それが何なのかよくわからない」

和賀は不安げだった理恵子をなだめたが、自分も十分に不安だった。
その不安は理恵子の不審死という出来事で的中した。

つまり、田所と佐知子は共謀し自分を追いつめたのか。理恵子にもなにか罠を仕掛けたのか。単純な話だが佐知子は自分と結婚したい、それは女性の実直な気持ちだろうが、この三角関係が「食うか食われるか」という状況を引き出し、女性の持つ動物的な本能を刺激したのではないだろうか。

一人娘を溺愛するあまり、その娘の隠されたサイコパス傾向を見抜けず、親のほうがマインドコントロールされる事例があると聞く。

親が娘の言いなりになることは、直進性能が高いがブレーキが利かない高速なスポーツカーを娘に買い与えるようなものだろう。それは殺人に直結するリスクをブーストする。

では俺はどうなのか?

ようするに自分は佐知子と一緒になれば田所の力も得られる。田所親子も自分の音楽的な名声が欲しい、この関係もまた宿命かもしれない。だからこそ自分はこの「宿命としての利害関係」を利用しつつも実はそこから逃れたい。だから理恵子も必要だったし、烏丸教授とも相変わらずの衆道関係を築いている。

子供のころ父の病気で村を出たことは宿命。
そこからあらゆる手段を使ってここまでたどり着いたこと。
それは宿命からの逃避。

自分の人生は常に「宿命からの逃避と受容の繰り返し」であって、宿命を受け入れることを拒否するが、それと同時に受け入れてしまう優柔不断な自分。その矛盾したアンビバレントを楽しんでいる。これは芸術家の持っている性(さが)だろう。

このまますんなり佐知子と結婚しても単なる宿命の流れに沿っただけ。芸術家としてはそこにカウンターを打ち込みたい。だから理恵子も必要だったのだ。しかし菩薩のように傍らにいてくれた彼女はもうこの世にはいない。

変な話だが、佐知子もこの混沌を楽しんでいるはずだ。それは自身も芸術家で彫刻家だから。その相反する感覚の同居、つまりアンビバレント的な感性、それを芸術家は間違いなく持っている。

そしてその矛盾している言動や問題行動はギャンブラーと同じで決して止められないのだ。 

百万円持っていてカジノに行き一億円になったとしても止められない。そのまま賭け続けてすべて負けてしまう。止めれば儲かったのになぜやめないのか?それは簡単な話で百万円が二百万円になったらやめてしまう人は「百万円は一億円にならない」のだ。

偉大な音楽家はみなそうだった。
自己の中に潜む矛盾に正直なアーティストたち
今流れている状況に素直に乗るのは粋ではない
それがミュージシャンとしての矜持だ
だから常にカウンター的なアクションをする
それが「コントラプンクト」のスピリット
ようするに「アーティスティックへそ曲がり」
ロックンローラーもジャズマンも同じことを言うだろう
「素直になるな!」

「あ……佐知子さん、子猫をあまり強く抱きしめてグリグリするのは止めてください」

佐和子は和賀の猫を可愛がるふりをしながら、軽く首を絞めていじめていた。 

理恵子と和賀 © 1974 松竹株式会社/橋本プロダクション

第34話: https://note.com/ryohei_imanishi/n/nb980730191a0

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