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「和賀英良」獄中からの手紙(37)  秘密の広場  

―上野公園は「好色の森」―

しばらくご無沙汰しております。
今日は少し上野公園のことを書いてみます。
まったくの雑文でございますので何卒ご容赦ください。

烏丸先生と漢の契りを交わしてから、上野周辺の話をよくするようになりました。昼にご飯を食べに行くのは上野の公園の中にある西洋料理の精養軒、ゆっくり話したいときは、東京文化会館の二階にあるその支店で「チャップスイ」という中華丼のようなものをよく食べました。

いまだになぜその名前が「チャップスイ」なのかよくわかりませんが、自分にとっては中華料理とも西洋料理とのつかない不思議な食べものでした。
食事のあとに「甘いものがいいな、英良……ケーキを食べにいこう」と先生がおっしゃったときは、少し足を伸ばして、東上野にある喫茶店「ヒラオカ」によく行きました。

上野界隈は江戸時代から「陰間(かげま)茶屋」と呼ばれる男色の店が多くあり、当時は男色はまったくタブーでなかったようです。その名残で東上野あたりには発展場所としてのサウナがあったり、その道の会員制の飲食店も多く私たちが出会った「あーとのーと」もその一つです。

音楽家連中はそういったゲイの人たちを「組合の人」など隠語で呼んでいましたが、周りにもたくさんそういった傾向の人がいるので、特別扱いをするわけでもなく、まったく気に留めてはいませんでした。

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先生に出会ってから上野の藝大に出入りするようになって半年ほど経った頃の話です。国鉄上野駅の公園口から大学に行く途中に上野公園を通るのですが、白髪まじりの初老の女性が、毎日のように森の入り口に立っていることに気が付きました。

烏丸先生にあれはなんでしょうかと尋ねたところ、
「和賀君、あれはね公園にいる浮浪者たちに春を売っているんだよ」
とのことでした。

でも、どうやって商売しているのか?そのあたりを聞くと、植え込みの中に「浮浪者の通るトンネル」がある、つまり獣道のような道の先に、誰も知らない「秘密の広場」があるとのことでした。

しばらくして上野公園を歩いているとき、そのことを急に思い出し、東京文化会館と野球場の間にある茂みを探してみると、その獣道の入り口のようなものが見つかりました。

植え込みの切れ目のような入り口を屈んで入ると、まるで迷路のようになっているのです。しばらく腰を落として適当に進むと、急に畳二畳くらいのスペースに出ました。

植え込みを少し切り開いて作ったと思われるそのスペースには、段ボールが厚く敷かれており、酒や飲み物の瓶や缶が散乱して、まるで簡易ベッドのようなしつらえになっているのです。

上野の公園のなかにある、まるで異空間のようなその場所は、見上げれば青空は見えますが、外からはまったく見えず、ここに住む浮浪者やそこで春を売る人たちの憩いの場所だったような気もいたします。いまもあのトンネルはあるのでしょうか?少し気になっています。
 
上野の文化会館といえばクラシック音楽の殿堂であり、その隣にあるのは国立西洋美術館。芸術の頂点とも言える都内でも有数の場所ですが、その裏手の野球場周辺は昔から「男色」の発展場と言われています。

形而上的な芸術発表の場と人間の原始的な欲望が交じり合った混沌とした場所である上野公園。そこは戊辰戦争で新政府軍と戦った彰義隊が大敗し、多数の戦死者が出た場所であり、太平洋戦争末期の昭和二十年三月十日の東京大空襲(下町大空襲)では、膨大な数の遺体の仮埋葬地になった、という悲しい過去のある場所です。

そんな過去はつゆ知らず、昼間から手すりに腰かけてあたりを見渡す短髪の男や、トイレの周りでなにか物欲しげに徘徊する輩など、上野公園界隈は混沌とした「男色の森」でもあるわけです。

取り留めの無い内容にて、誠に失礼いたしました。

東京文化会館裏手(野球場脇)© 2024 Ryohei Imanishi

第38話: https://note.com/ryohei_imanishi/n/n0cbd9118d980

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