自戒の標本づくり
ちょっと大袈裟かもしれないけど、
人生なんて自戒の連続だと思うんだ。
よく「自戒を込めて」なんていうセリフを耳にすることがある。
実際私もSNSで発信する時、「自戒を込めて」とつけることがあるし、人前で話すときも「自戒も込めて言うのですが、、、」なんていう風につけることもある。
人によっては過去は振り返らない、という人もいるだろうけど、私は結構過去を振り返るタイプだ。ただここのニュアンスとして後悔というよりかは反省に近い。
「あの時あぁしとけばよかったな」と思うことはあっても、それが出来なかった自分を責めることはしない。だってその時の自分はそうじゃない方を選んだのだから。それが自分の実力なのだから。
ただダメだった部分、間違っていた部分はしっかりと認めて次につなげていかないと、とも思っている。
だから間違っていたことに対して強がりでいることに意味はないと思っているし、頑固に貫き通そうとするのもちょっとダサいと思っている。だって完璧な人間なんていないんだし、まだまだ先の時間の方が長いんだし。
強がろうとしたっていつかガス欠するからさ。
だったら今ダメだった部分を認めて、さっさと次につなげて方がよっぽどいいと思うんだ。
そう考えると人生生きている間に一体いくつの「自戒」が溜まっていくんだろうかと思うとちょっと気になってしまうものだ。と同時に、自戒をしたならその都度形としてアウトプットしておかないとな、って思う。だってまた繰り返しちゃうよ。
となったとき、今こうやって書いている自分の記事たちって、テーマはバラバラだけど実は縦軸「自戒」だったりする。
あの時、上手くいかなかったこと、悩んだこと、現在進行形で考えていること、ああでもない、こうでもないと文字を連ねている。自戒を書き連ねている。
それはまるで自戒の「標本」をつくっているかのよう。
だからこうやって書き溜めていく1つ1つが、未来の自分にとっての参考書になる。過去の自分が作った標本から同じ過ちを繰り返さないようにする。
そう考えた時、こういった日々の積み重ねってすっごく貴重なことだと感じてくるのは私だけだろうか。わからない、こうやってめちゃくちゃポジティブに捉えることで書き続ける口実にしているのかもしれない。
でもそれでもいいと思う。
好きじゃないと続かないし、
自分にとって都合のいいことじゃないと続かないから。
これからも、自戒の標本づくりは続いていく。
今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!