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僕の発信は「磁石と砂鉄の関係性」

以前、自分のnoteの記事をよく読んでくれている方から言われたことがある。

A:「塩浦さんの記事って、「磁石と砂鉄」みたいな関係性だと思うんです」
塩:「おもしろいですね!どういうことですか?」
A:「塩浦さんが磁石で、記事を読む人たちが砂鉄。磁石にはN極とS極があって、砂鉄はN極にもS極にもつくじゃないですか。つまり記事をプラスに捉える人もいれば、マイナスに捉える人もいて。でも気づいたら読んでしまっている、引き寄せられてしまっている。それが「磁石と砂鉄」の関係性に似てるな、と思うんです。」

今までそんな感覚の指摘をされたことがなかったので、すごく「ハッ」とするとともに言い得て妙だな」と思った。


磁石と砂鉄の関係性、お分かりだろうか。

一本の磁石があり、そこに砂鉄を近づけると砂鉄が磁石に近づく。
磁石にはN極とS極がある。砂鉄はN極にもS極にも引き寄せられる。

先日こんな記事を書いた。

「僕の文章ですべてを包めるわけじゃない。」

それと全く同じことだなと思っていて。いろいろな人がいればいろいろな捉え方があって、いろいろな考え方がある。

それでいいと思ってたし、むしろそういうもんだと思ってる。肯定的に捉えてくれる人が多いに越したことはないが、そればかりになるとそれはちょっと危険で。たいして力がついてないのに、力がついているように勘違いしちゃう可能性がある。

一番怖いのは無関心。
そんな言葉をよく聞くことがある。

そういう点で言うと、N極もS極もどちらも「気づいたら」集まっている、惹きこまれているって案外理想のかたちなのかもしれない。


過去に書いたかわからないが、私がnoteを書く理由について、いくつかあるうちの1つを紹介したい。

まずもって自分がnoteを通じて発信しているのは決して「ノウハウ」だったり「成功法」だったりではない。あくまで自分の「経験」だ。

自分が言ってることが正しいなんて思ったことないし、この通りにやればあなたも上手くいく、なんて責任をとることもできない。

自分はこういう過去を過ごしてきて、こんなことを考えてきて、悩んできて、こんな風なことをやってきて、こんなことをやっていきたい。そういったすべて自分の経験を「材料」として提供しているにすぎない。

「材料」の発信を通して一番伝えたいことは、

「考えること、自分と向き合うことって大事だよ」

慌ただしく時間が過ぎていく日々の中で、意識しないと自分と向き合う時間って減ってしまう。

そんな時、ふと私の記事に立ち止まってもらって、記事に対して、自分はどう思うか、自分だったらどう解釈するか、そういうった”きっかけ”にしてほしいと思っている。

だからN極に集まっても、S極に集まってもそれはそれで嬉しくて。見てくれている人が多いほど、それだけ考えてくれている人が多いんだな、という”印”になる。


もっと多くの人に見てもらいたい。
その人が、その人自身と向き合うきっかけにしてほしい。

偉そうなことは言えないけれど、自分自身も人の文章に触れて自分と向き合うきっかけが生まれたから。

そのために自分自身も成長していかないといけない。

自分だけがわかる文章から、誰でもわかる文章へ。


もっと引き寄せられる「強い磁石」に。

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