見出し画像

「おいだき」

最近ハマったアーティストがいる。
仕事の送迎中、偶然ラジオから流れてきた曲がある。

「空が泣く、あなたが笑えるように。
風が笑う、あなたに聞こえるように。」

アーティストの名前を「とた」と言う。
曲を聴いた瞬間、その声の、歌詞の虜になった。

なんの偶然か、曲だけでなくあるラジオ番組にゲストとして登場していた。ファーストアルバム「oidaki」をリリースするらしい。

家に帰ってすぐ調べた。そしたらあるインタビュー記事を見つけた。

「oidaki」に込められた意味はなんなのか。
そこには複数の意味がかかっているという。

“oidaki”にはいくつか意味があって。私はめちゃくちゃ長風呂で、2時間くらい入っていて、その間に考えごとをしているんです。そういう時間に聴いてもらえたら嬉しいという気持ちから結びついた言葉でもあり、もし私の音楽に対する熱が冷めちゃっても、自分がこれを聴けばその熱量を“追い焚き”できるようになればいいなと思ったんです。あとは、自分の過去や経験から出てきた言葉が多いので、いつかこの幼さみたいなのも追いかけて抱きしめられる、“追い抱き”できるようにという意味も込めました。

上記サイトよりまま引用

言葉って不思議だ。
私はこの記事を読んだ瞬間にハッとしたし、温かい気持ちになったし、「自分もこれだ!」と思った。

きっと私が書くnoteの記事たちも「おいだき」のためなんだと思う。

自分という人間はめちゃくちゃ考える人間で。
同じようにたくさんたくさん考えている人たちの、言語化のヒントやきっかけになればという思いでまず書いている。

それでいて自分のメンタルだったり思考だったりにも波はあって。
もし自分がその時の思考や自分自身の過去・現在・未来に対して熱が冷めたときに、過去に自分が書いた記事を読めばその熱量を”追い焚き”できる。

いつかの記事で、

過去の記事たちは自分自身の取扱説明書である

と表現したのもここにつながる。


それに、私の書く記事は自分が経験したこと、思ったことを脚色なくリアルに書いている。noteを書き始めた初期段階なんて内容も構成もバラバラだし、つながりも薄いし、、みたいな感じだけどそれでも「投稿しちゃえ」で出している。

だからこそ時間が経って振り返ってみたときに

「わかりづらい文章だな(笑)」

と思わず笑ってしまう一方で、必死だったんだなと俯瞰で見ちゃう自分もいる。そういった意味でのかつての自分の幼さを「追い抱き」する感覚もすごくわかるのだ。


こうやって手の届かないかゆいところの感情を、言葉で表現してくれている文章に出会うとすごく幸せな気持ちになる(変態か(笑))

この「偶然」の出会いを与えてくれたラジオに感謝。


これからも「おいだき」のような文章を、言葉を紡いでいきたい。

今後の記事の質向上のための資金として使わせていただきます!