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「それって誰がやりたいの?」

いろんなまちでいろんなプロジェクトに関わっていると、「ん?これなんか変やな?」と勘がはたらくことがよくあります。先日、ある先輩と会ってじっくり話している中で、「コミュニティデザインってほんとにデザインするのか。デザインするとしたら何をデザインするのか。」という変な話題になりました。結局その会話の行き着く先は「それって誰がやりたいの?」でした。まちでいろんなことをやっていると、結局はここにたどり着くんだなと真理めいたものを感じました。そこから考えたことを書いてみます。

誰がバッターボックスに立つか

 まちづくりや地域づくりに限らず、新しいことを始めるといっちょかみしたい人がうようよと集まってきます。「私もそれが必要だと思ってた」とか「〇〇さんを紹介しようか」とか。助かるおせっかいもあればなんだかなというおせっかいがあるのも事実です。そうやって色んな人と話すのですが、ほんまに一緒にプロジェクトを進められる人ってわずかだなと思ってます。
 またある先輩はこうも言っていました「熱量はどこにあるか」と。地域の課題解決の取り組みでも、誰が見てもいいねと思う取り組みでも、結局は誰がやるのかってところなんだと思います。誰のためにってのはあんまり重要じゃないかも。一番不幸なのは、熱量がどこにあるかわからないままに、なんだかその場の空気感や雰囲気でプロジェクトが進んでいってしまうことです。「みんな」で話し合っていろんなことを考えるのはとても素晴らしいことだと思う一方で、社会に実装していくには強い熱量も必要だと思います。
 「あなたはなぜこのプロジェクトをやってるの?」と聞きたとき、きれいに説明されてしまうこともなにか違和感があります。自分ごとになっていないのに社会課題を語るともっと違和感が出ます。僕が知りたいのは、なぜあなたがやっているか。ということです。そこには「あなた」でしか言えない言葉や場面や空気があると思っているからです。でも一人勝手にやっててはうまくいかない気がします。誰かの熱量が徐々に公共性を獲得していくプロセスが大事と思っています。

公共性ってなんだろう

 恩師である山本理顕は「公共性は誰かに与えられるものではなく、自治の先に獲得するものだ」というニュアンスの発言をしています。いつからか公共事業≒行政事業という認識になっているかもしれません。先輩から聞いた「それって誰がやりたいの」は、まさに公共性を獲得する最初の一歩なのではと思っています。

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