Hirano Ryosuke

Je vis à ma façon

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「お前のミスからの失点やんな?お前のせいで負けたやんなあの試合」

「お前のミスからの失点やんな?お前のせいで負けたやんなあの試合」 パスを受けた後に失って、そこから失点。 ユースの監督に言われた言葉。 しかもその直後じゃなくて、その夜ご飯とお酒を飲みながら言われた。 そのゲームのスコアは0-2。 それまで0-0だったけど、0-1になった瞬間の出来事のこと。 その瞬間、自分のミスからなのはわかってる。 多分言われた瞬間の感情はいくつかあって、 ①「嫌なところ突かれた」 ②「いや、2失点だからおれだけじゃない」 ③「うるせーなわかってるよ」

    • お盆集会

      何かあるかなあと記事にしかけてはなんとなく消しての繰り返しでした。 なかなか記事にするまでには心理的にハードルが高くて、普段話してることをわざわざ書くのもと思ったり自分で勝手にハードル上げてることに気づく。 さて本題ですが、お盆期間になり自然と普段会ってない友達だったりに会うことが増えて、井戸端会議的に自然と現状報告会的なのだったり、情報共有的な会議的なのが自然発生しはじめる季節ですね。昨日は埼スタでサッカーした後グラウンドの外でグダグダと井戸端会議。 もっぱらサッカー

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      • Entertain

        エンターテイメントと心の余裕、社会の余裕は相関関係にあるのかもしれない話。 世の中にエンターテイメント(長いから娯楽と呼ぼう) が溢れることも普及していくこと自体は良いことだとは思うんだけど、 娯楽を娯楽として消費できるのはある程度余裕のある社会で、かつ心に余裕が無いと娯楽に向かうことすらできないんじゃないかと考えたこの頃です。 いやでもきっと心の余裕を求めて娯楽に走る場合もあるとは思うんだけれど、それでもそれなりの何かしらの余裕は必要なんだと思う。 娯楽を求める人に対し

        • アジリティの認識から

          アジリティと呼んでいるもの、アジリティと定義づけているものが正しいのかと、認識を改めた上でアプローチをした方が良いと思い。 NSCAから論文ぽいものが出ていたので共有とバーっとマーカー引いたのでもし良ければご覧ください。 他にもペーパー見ましたが概要として分かりやすそうなのはこちらのものでした。 深掘りすればするほど何かは見つかるけどそれは後々。

        「お前のミスからの失点やんな?お前のせいで負けたやんなあの試合」

          良いと欲しいと主観と客観

          これかもしれないと思って書き留める。 Twitterレベルの戯言でも良いんだけど流れていっちゃうしなんとなくここへ。 良いものと欲しいものは別だし、 手元に置くか置かないかは違うはずだ。 つまり良くても、選ばれるかどうかは別の軸で、混在させて考える必要はないのかもしれない。 子どもを受験だったり、お受験だったりセレクションだったり 送り出す側の大人(ここではあえて先生や塾講師、コーチ監督などにする) からして良いと思えるものを持たせた子にしている自負はきっとあると思うん

          良いと欲しいと主観と客観

          かち?

          先に書いておこう。 今回技術的な話は無しで、通常通り頭と考え方の前提の話です。 今日も忘れずに備忘録。 さてセレッソ大阪まで少しお勉強しにきたわけですが忘れないうちに頭の中を整理したいのと忘れないように感じたことを新幹線の中で連ねようかと。 と、その前に大前提として必要な知識として2021年から風間八宏さんが技術委員長に就任して、セレッソがいわゆる「風間イズム」に傾倒していることと、その風間さんが入ってからのセレッソの育成の方針、考え方などを共有していただいたということ。

          ミシュランの星、コストコのおばちゃん

          最近について2023です。 これはあれですね、見てもらう気が無さそうなタイトルですね。 まあいいや。 最近のことも自己紹介がてら更新せねばと思いつき更新に至る。 最近は以前のことに加えて障がい福祉の仕事も請け負っており、さらに色々な分野に脳のキャパシティが奪われております。 主に障がい福祉の中でも注力させていただいているのが 「障がい者サッカー」という枠組みで、知的障がいなどを持っている子どもを中心に社会人まで幅広く関わらせていただいております。 結構大きな大会なども

          ミシュランの星、コストコのおばちゃん

          投稿のし忘れ、タイトルはない。

          入会者が2名。 もちろんそれだけでも喜ばしいことだけどそれ以上に嬉しいこともある。 例えば入会者4年生。 元々いる2年生に僕が一言、「彼は今日が初めてだから、あとはよろしく」 本当にたった一言だけど、それだけで十分だった。 うちでやっている習慣というか慣習というか文化というか、 来たら何して、次に何して、これをやる。 手取り足取り教えてくれていたし、そこに上も下も無くて、単純にわからなかったら教えてあげるとか、困っていたら助けるとか、そんなところなんだと思う。もちろん上とか

          投稿のし忘れ、タイトルはない。

          精神と時の部屋

          はい、ドラゴンボールからの引用でした。 精神と時の部屋は実在するだろうか。実在させられるだろうか。 時間という限られた資源を最大限活かすためにはどうしたらいいだろうか。 自分自身の経済活動もそうだが、人にモノを教える仕事としては、限られた時間でその子その人を如何に引き上げられるかは考えなければいけない。 そんななかで少なくともスポーツに関して考えていくと、精神と時の部屋は作ることが可能なんじゃないかという仮説。 先に結論だけ言うとそれは自主練習になるのではないかと。 主

          精神と時の部屋

          チームについて

          学業、人間教育、勝利と育成 ウィゾーラとして活動するために必要なメンタリティーとして 自己理解、他者理解、多様性、優先順位。 「勝利とは何か」 イニシアチブを持ってサッカーに望むこと。 状況判断の力を磨くこと。目に見えないもの。 「戦う術」としての「戦術」を身につけること。理解すること。 まずは自己理解としての、「戦う術」としての「戦術」を身につけること。理解すること。 これは自己分析能力と同じで、社会に出ても通用すること。テクニックや身体能力が未熟なプレーヤ

          チームについて

          間違い探し。答えあわせ。

          今回のオリンピックに関して黙ってはいられない。 結局のところ、ロンドン五輪のころから前には進んではいないし、ワールドカップだってベスト16から前に進んでいない。 答えのない問題に対して答え合わせをする方法なんて、結果をみるしか方法はなくて、その結果から逆算して導いた道標(方法)がまたもや間違っていたと認めざるを得ないと僕は思う。 つまり極論だが、日本サッカー協会が導きだした育成方針は果たして正しかったといえるのかということ。 もちろんサッカー協会のみならず、多角的に見

          間違い探し。答えあわせ。

          価値基準の制定

          今日の練習もみんなが笑ってくれているととても楽しい。 意味のある練習を楽しくできるように、真剣に取り組めるようにオーガナイズしていくことが本来のあるべき姿なのではないかと再考させられた1日だったように思う。 あとは欲しいものをリストアップすること、1日の流れをある程度マニュアル化したいというのが今日の反省点。 欲しいのは富の再分配というと大袈裟だけれども、みんなが笑顔になれるような物品を揃えたいと思うし役に立てるものに投資したいなあと思う。例えば電光掲示板だとか体育館に

          価値基準の制定

          The 3rd Place

          帰る場所を作る。最初に目指したもの。どこかに所属していても、肩の力を抜いてプレーできる場所がある。最初に目指したのはそんな場所。だからこそ、その都度で参加できるような仕組みを作りたいと思ったし、アットホームな空間をもうひとつ作りたいと思った。 プレーする子どもは大変である。最近聞く話では週5や週6同じ場所でプレーに打ち込む子も多そうである。しかもその時間は「品定め」も含まれている場合があり、トップチームに上がれるか、週末の試合に出られるかが掛かっているケースも多い。少なくと

          英才教育のその先に

          先日は友人の結婚式に招待されて出席して参りました。その友人はサッカー関係ではなかったのだけれども、とりあえず感動した。 何に感動したのかが未だ自分で理解できていなくて悩んでいる。が涙が溢れて、言語化する必要のない感情ってあるとは思うんだけれどどうにかしたい。 さて、テーマに。これは1,2年前かな?小学校の頃のチームメイトの結婚式に感じたこと。これを羅列していきたい。 先に何を感じたかというと、チームっていいなあと。招待されたのは当時の同期(同年代)のチームメイト。久しぶ

          英才教育のその先に

          「君と俺とでは価値基準が違う 俺は如何なる理由があろうとも 鬼にならない」

          「老いることも死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ。 老いるからこそ死にからこそ 堪らなく愛おしく 尊いのだ。 強さというものは肉体に対してのみ使う言葉ではない。 この少年は弱くない 侮辱するな 何度でも言おう 「君と俺とでは価値基準が違う 俺は如何なる理由があろうとも 鬼にならない」」 鬼滅の刃に見る価値基準の相違と相互理解。 価値基準について考えることが多くて、その中で鬼滅の刃の映画を見たときにピンときたもの。 「君と俺とでは価値基準が違う 俺は如何なる理由があ

          「君と俺とでは価値基準が違う 俺は如何なる理由があろうとも 鬼にならない」

          日常に塗れ有り触れるカオス

          創りたいものはなんなんだろうか。 時々そんなことを考えたりするわけなんだけど、特にこれといって毎回決まることもなく思考の海の中へ流れていく。 フットボールという再現性のほぼ皆無的なスポーツの中でどのように指導したらいいのか迷うことも正直多々有り、その中で軸になるのはやっぱり自分の経験だとか考えというもので哲学的なもの。ただその哲学というものも怪しいもので、確実性は無いし正解は無い。 そもそも教育やら育成やら、正解がないものを模索し続けるという点で、なんと芸術的で文化的な

          日常に塗れ有り触れるカオス