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歩きながら はじまること

初めまして。


また始めてみようと思う。

何回も何回でも始めてみようと思う。

こいつは懲りねえなあ、そんなよその声が聞こえてきたような気がしますが変わらず。

始めてみようと思います。


国家試験に落ち、仕事を辞め早4ヶ月が経とうとしている。

ここまで聞くと何だか悲劇的だが夢と現実の狭間を行ったり来たりしながら日々思う事があるのですが思考は引き出し数ありゃ便利といういつかどこかで師匠に言われた言葉を思い出したのですが思考はあれども引き出しの整理まずしなきゃ数あっても邪魔なだけだなと思ったので始めました。


こうも前置きとか話の道順がゴタゴタで分かりづらいところ、今も昔も変わってないようです。


まあいい。


最近は自分の幼少期まで記憶を遡る事が多くて

なんでそうもなったかというとまた話はつもる

国家試験に落ち一番大事な時に今後を見据えて動けなかった、言えば動かなかった私が悪いのだが自分は一体何がしたくてこれを始めてなんでここにいてというのをあからさまに見失って

大切にすべきものや人を後回しにしてきたのだと気付いた。

自分に自信がないとぼやいていた私に彼は言った

自分が好きすぎるんじゃない?

ある人はこういう

あの人が逆さまなのか 私が逆さまなのか


私はいう、人は変われない。

彼はいう、そんな事はない。


腐らず続けてきて良かったなあ


俺の生き様見ておけ


言葉なくとも伝えてくる人

言葉で伝えてくる人

どちらにせよ自分の生き方を全うしている人はかっこい


自分もそうなりたいのでゆっくりと吸っては吐いて考える日々


好きを誤魔化してはいけないね

比べずにいうのなら


私は音楽が好きだ

よくどんな音楽が好きなの?と初対面の人に聞かれるけど

そんな正直のよくわかってないしその時の気分で違う。

それをスパンと答えられないと音楽は好きって事じゃないの?って幼い頃の私が脳内で言う。

いろんな種類があるみたいだけどごめんなさいまだそこまで整理はできていないみたい。

私はdjしている時にそれを伝えたいみたいなんだけどまだ上手くいっていない

それに落ち込むのは日常茶飯事なんだけど

他には写真が好き

心が落ち着くからで

この瞬間を閉じ込めたいと言う時に瞬発的に撮る

作り込んで撮るのもワクワクするけど瞬時にこれというのが好き

例えば日が落ちる時間帯高校生の頃よく家を飛び出して近所の河原まで撮りに行っていた


つらつらと書いてはいるけど

なんで撮り続けるのか分からずただ撮り続けている

意味はあるようでない

ただ撮りたいから撮っている

主に撮るのは風景、自然、光、影で実際的にはそこに存在はしているのだけど

掴みようのない雰囲気に取り憑かれている

自然は美しい

つい納めたくなる

人を撮りたいとはあまり思わない

心から撮りたいと思わないと撮らない


美しいと感じたものに


魔法のような


夢見すぎなのだろうか

いつだって夢の中で居たいものです


トンチンカン


今日はここまで。


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