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語学の散歩道 #特別企画 B面のアリバイ

フランス語の辞書をパラパラとめくっていると、たまたま面白い例文を見つけた。

Elle trouvait un alibi à la tristesse dans la musique. 彼女は音楽で悲しみを紛らしていた。

<出典:ロワイヤル仏和中辞典>

alibiは日本語でもアリバイ(犯行時刻に犯罪現場ではない他の場所にいたと証明すること)と言うが、フランス語には「気晴らし」や「気慰み」という意味もあるのだそうだ。

なんとなくわかるような、わからないような気持ちで英語の辞書を紐解いてみると、ラテン語のalius 他のibi 場所に、というのが語源だとわかった。

なるほど、これなら腑に落ちる。

すなわち、何かが「他の場所」にいる(ここでは悲しみが「他の場所=音楽」にいるという)ことから、気晴らしという広い意味を持つようになったと考えられる。

ほかにも、口実言い訳という意味があるが、これも事実が「他の場所(事実)」にある、と解釈できそうである。

要するに、何かが「他のところ」にいる、というのがこの単語の本来の語義なのだろう。

そう、何かが、他のところに…。

私は、遠い記憶の中にA子の姿を見た。


* * *


私たちは親友だった。多分。少なくとも、私の方ではそう信じていた。性格は対照的で、好きなものも同じではなかったのに、どうしていつも一緒にいたのか、よくわからない。

A子のことで思い出すのは、歌が好きだったことだ。とりわけ彼女のお気に入りは流行りの歌で、いつも鼻歌まじりに口ずさんでいた。しかも、歌うのは絶対にA面の曲だった。

一方私はというと、むしろB面派で、ヒット曲の裏側にある日影者のようなB面には、眩しい光を浴びるA面とは違った、どこか粋で自由な感じがあって、存外名曲も潜んでいたりするのだ。そんな私にA子は、「B子」というあだ名をつけた。

ところが、ある日を境にA子と私は「疎遠」になってしまった。今考えると、ことの発端は、学生時代最後の一年間にまで遡るのかもしれない。


私たちは同じ学部に所属し、卒論を書く傍ら就職活動をしていた。

大学の単位はほとんど取り終えていたから、A子も私も、大学へは週に一度だけ通えばよかった。就職氷河期でなかなか就職先が決まらず、なんとなく二人とも焦っていた。そんなある日、A子がちょっとした気晴らしを持ってきたのだった。

当時、大学の近くに「pâtisserie ibila」という小さなケーキショップがオープンした。オーナーの伊平さんは、パリにある有名パティスリーで5年ほど修行を積んだ経験があるというので、巷で話題になっていた。この店の一番人気は、ドーナツ型に焼いたシュー生地の中にヘーゼルナッツのクリームを入れたパリ・ブレストで、ケーキ好きのA子は、すぐにこの店の常連になった。

反対に、私はケーキが苦手で、どちらかというと和菓子党だった。しかし、A子は1人で2個もケーキを買うのは恥ずかしいからと言って、いつも私を連れて行った。

ショーケースに並んだ美しいケーキたちを見ながら、これらのケーキが食べられたら幸せだろうなと思っていた。どういうわけか、私の胃は乳製品をうけつけず、唯一食べられるのはチーズだけだったのだ。A子は私の分まで注文するような顔をして、いつもケーキを2つ買った。

別に1人で2個買ったって構わないのでは、と言うと、A子は「食いしん坊だって思われたくないもの」と、キラキラする瞳をさらに輝かせながら茶目っ気たっぷりに言い訳をした。

私たちは、どことなく面立ちが似ていた。

何かの統計によると、仲のいい恋人同士というのは、お互いに顔が似ているのだそうだ。もともと似ているという場合もあるだろうが、相手に愛情を感じれば感じるほどお互いに見つめる時間が長くなるから、次第に顔が似てくるということらしい。

私たちは恋人同士というわけではなかったが、当時はお互いに付き合っている人もおらず、いつも一緒にいたから、知らないうちに似てきたのかもしれない。


そんな私たちの関係が少しギクシャクし始めたのは、A子の行きつけのパティスリーで二人してバイトをすることになってからだろうか。

パティスリーイビラには、もう一人、アルザスで修行したとかいうパティシエの有馬さんがいた。その二人が黙々と芸術的なケーキを作り出す厨房で、調理器具を洗ったり、卵を割ったりしている見習いのC君がカウンター越しに見えた。

C君は、オープン当初からこの店で働いていた。

短く切り詰めた髪の下に色白のうなじを長く伸ばし、白魚のように細い指で懸命に雑用をこなしている。C君もまた口数の少ない人だった。私は、A子がケーキを物色している間、いつしかC君のことを見つめるようになっていた。


ある日、パティスリーイビラがアルバイトを募集している、とA子が私に言った。レジの女性が急に家の事情で田舎へ帰ることになったのだそうだ。A子は私に一緒に働かないか、と持ちかけてきた。私はあまりケーキが好きではないから、パティスリーでバイトをするのは気乗りしなかったし、しかも募集しているのは1名だけである。

すると、A子は澄ました顔で、
「それはそうだけど、ほら、私たち就職活動してるじゃない? だから、交代で店番をするのはどうかってオーナーに話したの。そしたら、しばらく考え込んでたけど、それで構わないって言ってくれたのよ」
と、すでに話をつけてきていた。

私は、A子のこうした積極的な態度と、1人で2個のケーキを買うのを恥じらう態度がどうしても頭の中で結びつかないのだが、A子はこういう人だった。つまり、よくわからないのである。

パティスリーで働くことには格別魅かれなかったが、ひょっとしたら厨房にいるC君と話す機会があるかもしれないと思って、結局私はその話を引き受けることにした。

ところが、ケーキ屋の店番というのも楽ではない。第一、ケーキの名前が難しすぎた。私が第二外国語で習ったのはスペイン語だったから、フランス語で付けられたケーキの名前を覚えるのは骨が折れた。一方、A子はフランス語を選択していたので、割合簡単にそれらの名前を覚えられたようだった。

「ねえ、La mer blancheってどういう意味?」
と私が聞くと、
「“白い海“よ。たぶん生クリームが白いから、そこから連想したんじゃない?」
「へえ、フランス語では、mer は女性名詞なのか。スペイン語だと男性名詞なんだけどね」
「同じラテン系でも名詞の性が異なるなんて、面白いわね」


やがて、A子は翻訳関係の会社に就職が決まり、私の方は地元の製菓メーカーの商品企画部で働くことになった。パティスリーイビラでバイトをしている時、ケーキの名前を覚えるためにスケッチした私のイラストを見て、伊平さんがこの製菓メーカーに勤めていた知人を紹介してくださったのだ。


A子と私は、卒業後も週末に時間があると、一緒に食事などを楽しんでいた。A子はいつかパリで働きたいと言って、フランス語の語学教室に通い始めた。私は、その時はまだ語学に苦手意識があったから、週末はスイミングスクールに通っていた。田舎育ちで、子供時代に近所の子供たちとよく川で泳いでいた私は、水泳が得意だったのである。

A子は何でもできる人だったが、なぜか水泳だけは苦手だった。
幼い頃に池で溺れた経験があって、それがトラウマになったのだと、いつか話してくれたことがある。誰にでも苦手なものはあるものだ。


商品企画部での仕事も三年目を迎えた頃、営業部との合同企画で地元のイベントに出品することになり、私もメンバーの一人に選ばれた。

会議室のドアを開けようとした時、不意に後ろから声をかけられた。

「B子ちゃん?」

振り返ると、それはパティスリーイビラで見習いをしていたC君である。まさかこんなところで再会するなど思いもしなかったので、「ここで何してるの?」と、つい不躾な質問をしてしまった。

「実は、パティシエになりたくて見習いをしてたんだけど、どうも僕は不器用で」

そう言って、照れ臭さそうに頭を掻いた。
C君は、将来パリでパティシエになるという夢をあきらめて、その年の初めに中途採用で営業部に配属されたのだそうだ。

パティスリーイビラでアルバイトをしている時はほとんど話をしたことがなかったC君だったが、話してみると案外気さくで話しやすかった。実を言うと、あんなに無口だったC君が営業部に配属されたことに驚いていたのである。

たまたま食堂で出会ったときにそのことを話すとC君は笑って、
「あの頃はパティシエになろうと必死だったから、誰かと話す余裕なんてなかったんだよ」
と、当時のことを思い出しながら話してくれた。


ある週末、行きつけのイタリアンの店でA子と食事をしていた時、私はC君のことを話してみた。A子はパティスリーイビラのケーキに夢中だったから、厨房の奥にいた地味なC君のことなど覚えていないだろうと思っていた。

ところが、A子はC君のことを覚えていた。口数が少ない人だったから、A子も挨拶ぐらいしかしたことがなかったという。
私たちは当時のことを懐かしく語りながら、学生に戻ったような気分ですっかりくつろいでいた。A子はC君のことをあれこれと尋ねてきた。

私が、打ち合わせで顔を合わせるだけだからあまりよく知らないのだと言うと、
「C君って大人しい印象だったけど、結構いい感じだったよね」
と、うっとりするような顔をした。もしかしたらA子もC君のことが好きだったのではないか、そんな思いが私の脳裏をよぎった。

しかし、A子はその時点でかなり飲んでいたから、ただ単に酔った弾みで口から出た言葉のようでもあった。
その日のA子は楽しそうだった。


会社のイベントは大盛況に終わった。
イベントの後の祝賀会で、無事に終わったことを祝ってC君と軽く乾杯をした。その日以来、私とC君は時々ランチを一緒に食べるようになったのだが、話はもっぱら仕事に関するものだった。


あの日は、雪が降っていたと思う。

バレンタイン商戦の最終日を終えて帰ろうとしたとき、廊下の角でばったりC君に出くわした。

「パティスリーイビラで見た時から、B子のことが好きだったんだ」

C君は出し抜けにそう言うと、赤いリボンがかかった小さな箱を私に差し出した。

パティスリーイビラのケーキだった。
私は恥ずかしさと戸惑いで俯きながら、しどろもどろに言った。

「えっと、ごめん。私、実はケーキは苦手で」
「あれ? そうなの?A子ちゃんがいつも2人分のケーキを買っていたから、てっきり君の分だと…」

C君は驚いて、手に持った小さな箱を引っ込めたものかどうか迷っていた。

実は、A子が1人でケーキを2つ買うのを恥ずかしがって私を連れて行っていたのだと打ち明けると、C君は、
「まいったな」
と苦笑いをした。

私は、明日A子と会う約束をしているからケーキはA子にあげてもいいかと聞いてみた。冷蔵庫に入れていれば明日までは大丈夫だろうと言ってくれたので、私はそのケーキを受け取った。

翌日、A子に会ってその話をすると、A子の瞳に激しい憎悪のような煌めきを見て、私は背筋にゾクっとする感覚を覚えた。しかし、それはほんの一瞬のことだったから、すぐに自分の思い過ごしだろうと思い直した。


C君と付き合うようになってから、A子は盛んに私たちの話を聞きたがった。どんな話をしているのか、何処へ行ったのか、そんなことを矢継ぎ早に聞いてくるから、さすがの私も閉口してしまった。付き合っているといっても、その頃は二人とも仕事が忙しくてなかなか会うことができず、こうして週末は時々A子とも会っているわけだから、色めいた話などはそれほどなかったといった方がいいだろう。

どうしてそんなに気になるのかと尋ねると、
「私、他人の惚気話を聞くのが好きなのよ」
と、あっけらかんとした顔で笑った。今思えば、あの時のA子の目は笑っていなかったと思う。

A子は会うたびに疲れた顔をしていた。仕事が忙しいという話だったが、私は心配になった。

「フランス語のクラスの先生がね、イケメンなの。いかにもフランス人って感じで、クラスの女性の大半は先生が目当てなんじゃないかって思うほどよ」

A子はそう言って、笑った。


それから半年近く経った八月の初め、C君から花火大会へ誘われた。
その日は二人ともバタバタと仕事を片付けて、花火大会が行われる河岸へ向かった。河岸はすでに家族連れや浴衣を着たカップルで埋め尽くされていて、私たちは端の方にようやく小さなスペースを見つけた。

夜空に大輪の花が咲いていた。
花火が打ち上げられるたびに歓声が沸く。

私とC君は何も言わずにただ空を見上げていた。

最後にひときわ大きい花火が上がると、辺り一面がパッと明るくなった。C君が私の方を見ていた。

「僕と結婚してくれないか?」

その一言が、周りの音をすべて包み込んでしまった。


夜空にこぼれた花火のかけらが宵の闇に吸い込まれていく間、私はどんな顔をしていたのだろう。C君の言葉はとても嬉しかったが、私はA子のことが気になっていた。A子はきっとC君のことが好きなのだ。なぜかその時、そう確信した。

私は、C君に返事を少し待って欲しいと頼んだ。
返事をする前に、プロポーズされたことをA子に話しておきたかったのだ。

翌日、A子にメールを送った。面と向かって話すのは気恥ずかしかったし、A子がC君のことを好きなら、顔を合わせたところでどう反応したらいいかわからなかったからだ。

メールの返事は来なかった。


それから三日ほど経ってA子から返信が来た。

『仕事でフランスに行くことになった』

週末の便で出発するから、明日の夜二人でお別れ会をしないかと書いてあった。
随分急な話である。

私は、A子としばらく会えなくなることに、寂しいようなホッとしたような気持ちになった。それから、いつものイタリアンの店で食事をしようと約束をした。


A子に勧められるまま、その夜は私も何杯かワインを飲んでみたものの、飲めないお酒に頭がのぼせてぼうっとなってしまった。もう遅いし、心配だから家まで送って行くと言って、A子は私を店から連れ出した。

どこをどう歩いたのか覚えていないが、私たちは人気のない濠のそばに立っていた。蓮の花はもう見頃を過ぎている。しばらく濠を眺めていたA子が突然口を開いた。

「ごめん、もう少しここにいたいの。B子、一人で帰れる?」

私はまだ少し頭が回っていたが、なんとか歩いて帰れそうだから大丈夫だと答えた。そうして、「寂しくなるね」とA子に言った。

A子は遠くを見つめながら、小さく「そうね」と呟いた。

それがA子と交わした最後の会話だった。


1ヶ月後、この濠から女性と思われる腐乱死体が発見された。
その夏はかなり暑かったうえ、長時間水に浸かっていたことで遺体の損傷が激しかったのだが、所持品と背格好からこの女性がA子であると確認された。

A子の遺体が発見されたその日、市内で男が数人を人質にビルに立て籠るという事件が発生した。何人かの人質と警察官が事件に巻き込まれて死亡し、警察庁の応援要請で特殊部隊が出動する事態となった。

私はA子に会った最後の人物ということで、人気のない取調室で冴えない感じの警察官に調書を取られていた。あの夜A子はかなり飲んでいたし、もともと泳ぎは得意ではなかった。あとから聞いた話だが、あの花火大会の翌日、A子は会社を退職し、フランスへ渡航する予定などもなかったということだった。状況からみて事故か自殺が疑われた。柄にもなく泣きじゃくって上手く話せない私を気の毒に思ってか、その人はあらかた調書を書き取ると、「君も辛いだろう、もう帰っていいよ」と言って署の入り口まで案内してくれた。


警察署を出ると、C君が待っていた。
A子と会った日以来、私は体調がすぐれず、四週間の病気休暇を取っていた。C君への返事も先送りにしたままで、顔を合わせるのは久しぶりだった。泣き腫らして憔悴しきった私の顔を見て、C君は一瞬ギョッとした表情を見せたが、すぐに心配顔になって「家まで送るよ」と言うと、私の手を引いて駐車場まで歩いた。
車の中で、私たちは一言も口を開かなかった。

アパートのドアまで来たとき、C君は心配そうに私の顔を覗き込んだ。
そして、唐突に私の唇に自分の唇を重ねてきた。
私が驚いた顔をすると、C君の方でも自分の振る舞いに驚いたようだった。

「ごめん、こんな時に」

そう言って立ち去ろうとするC君の手を、私は思わず握り返した。
そうして、ゆっくりと部屋の中へと引き入れた。


二ヶ月後、私たちは結婚した。
急な挙式だったが、私のつわりがひどかったことと授かり婚ということで、身内だけで簡単に済ませたかったのである。母はかなり心配していた様子だったが、Cもいるから大丈夫だと安心させて帰ってもらうことにした。そんな私を母は別人でも見るかように眺めていたが、私の気持ちを察したのか翌日父と共に実家に帰って行った。

その間にA子の告別式があった。

遺体の損傷が激しかったことと、自殺の可能性が高かったことで、A子の両親は家族葬を希望した。親友だった私も参列したかったが、私を見るとA子を思い出すから、申し訳ないが控えて欲しいと請われてしまった。その頃、面立ちがだんだんA子に似てきていたのを自分でも感じていたから、結局参列は控えることにした。


翌年、娘が産まれた。
私は、A子の名前を一文字とってA美と名づけたいとCにせがんだ。Cはあまりいい顔をしなかったが、私の気持ちを優先してくれて、B子がそれでいいなら、と言ってそれ以上何も言わなかった。


* * *


フランス語の辞書をパラパラとめくりながら、私はA子のことを思い出している。

私はいつしかA子の不在を「渡仏した」という考えに置き換えるようになっていた。A子はきっとパリの何処かで元気に暮らしている。そう思うことで自分を慰めていた。alibiという単語はこういう場合に使うのかもしれない、そう思いながら、開いたままになっているページをじっと眺めた。


すると突然、玄関のドアが開き、「ただいま」と言ってCが帰ってきた。
明日まで出張だと思っていたCが急に帰ってきたので驚いていると、

「相手先の都合でね、明日の打ち合わせがキャンセルになったもんだから、一日早めに帰ってきたんだよ」

そう言うとCは、寝巻き姿でテーブルに辞書を広げている私の方を見た。

「コーヒーなんて珍しいな。しかもケーキ付きだなんて」
と、怪訝そうに私の顔をうかがっている。

「ほら、出産すると味覚が変わるっていうじゃない。それに、もうすぐA子の一周忌だから。A子の霊が乗り移ったのかもね」
と私が笑って言うと、Cは、
「そういえば、なんだか笑い顔がA子ちゃんに似てきたね。右頬のエクボとか」
と笑った。

その瞬間、二人ともお互いの口から出た言葉に呆然として、口をつぐんでしまった。

気まずい雰囲気が流れた。

「なんだか疲れたから、俺、風呂入って先に寝るわ」

Cは、私と視線を合わさないように、そそくさと寝室に向かい、しばらくすると水を流す音が聞こえてきた。

私はすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、食器を片付けてからリビングの電気を消した。


その晩、私はB子の夢を見た。
二人で飲んだあの夜、私はB子を濠に連れて行き、酔っ払って足元がおぼつかなくなっているB子を濠へ突き落としたのだ。

B子は泳ぎが得意だったが、さすがにアルコールが入った状態では上手く泳げなかった。私の手に縋って這い上がろうとするB子の頭を私は懸命に沈めた。私は必死だった。B子も必死だった。
やがてB子の抵抗が弱まり、B子の頭は暗い夜の水の底に吸い込まれるように消え、あとにはただ静かな水面みなもだけが残った。


そう、あの夜、私はB子を殺したのだった。


ー FIN ー



いつもの語学エッセイだと思っていたら「フィクション」だったというのが『最大のトリック』というオチに、なんと姑息な、とお怒りの方もおられたかもしれませんが、かのクリスティ女史のあの傑作に免じて、ここはどうかご容赦いただきますよう。

冒頭に「これはフィクションです」とか「これはミステリです」とでも書こうものなら、ただちにネくずれならぬネタばれを起こすという非常に脆いトリックを使った本作を執筆することになったのには、ちょっとした訳があるのです。

7月の初め、コメント欄での私の軽はずみな、いえ、不用意な、いえ、ふとした遊び心がきっかけで、みらっち、こと吉穂みらいさんと『alibi』という言葉をテーマに、それぞれ作品を書いてみましょうか、という企画が持ち上がりました。

※発端となった記事がこちら↓


吉穂みらいさんといえば、フィクションの女王。
note上でも数々の読み応えのある作品を生み出して、出版までされている実力派です。

一方私は、好きなものを勝手気ままに書き散らしている自由人。この話が出た時点では、いつもの語学エッセイを綴る予定でしたが、こちらも毎回素敵な記事を投稿しておられるジェーンさんからの熱い煽り風(笑)を受けまして、のっぴきならぬ状態となり、初のフィクションに挑むことになったというわけです。

読むのは好きでも書くのは初めてというミステリ。勝手の違いに戸惑いながらも、ラスト一行のためだけにいつもよりぐっと筆致を抑え、要所要所で結末を暗示しつつ、中距離ランナーのようにどこで仕掛けようかと虎視眈々と狙いながら「表現」よりも「計算」に徹した創作活動は、私にとってとても貴重な経験となりました。
(たとえば、パティスリーイビラ ibila がalibi reverse-spelling 倒語(逆さ言葉)になっていたこと、お気づきでしたでしょうか?)

私の突飛なアイディアを快く引き受けてくださった吉穂みらいさん、本当にありがとうございました。考えてみれば、なんと無謀な共演(狂宴?)の申し出であったことか。筆の遅い私に脱稿の日を配慮いただいたお心遣いにも感謝しております。また、尻込みする私の背中を押していただいたジェーンさん、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

そして、毎回長文にもかかわらず、最後までお読みいただいた皆さまにも最大の謝辞を捧げます。

第二弾があるのかないのかわかりませんが(笑)、その日まで、どうか皆さまごきげんよう。

あ、いつものオタネタエッセイは普通に書き続けますので(笑)!

※吉穂みらいさんの作品はこちらです!


<語学の散歩道>シリーズ 特別企画

※このシリーズの過去記事はこちら↓


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