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Le jardin de l’écriture :#7 自由意志についての教理問答

〜このシリーズについて(全10回)〜
本シリーズはフランス文学をフランス語で読み、作品にちなんだ課題についてフランス語で書くことを通してフランス語の表現を楽しむというものです。オリジナル記事は全てフランス語のため、今回邦訳をつけて再編集しました。
再掲載に際しては、収録する作品を再度見直し、未公開分の2作品を加えて、全10話としました。
本編は、拙作の仏作文のみ掲載しています。拙いフランス語ではありますが、フランス語学習中の方々の一助、あるいは励みになれば嬉しいです。


2月22日は猫の日だそうで。

1987年に猫の日実行委員会が制定した日から遅れること三日。

今回の課題は、Joann Sfar ジョアン・スファールの『Le Chat du Rabbin』(邦訳:『長老の猫』)というBDバンド・デシネ

ある日、ラビ(ユダヤ教の長老のこと)の飼い猫は、おしゃべりなオウムを食べてしまったことから言葉が話せるようになる。オウムはどこへ行ったのかとラビに尋ねられた猫は、「急用で買い物に出かけた」と答えるのだが、口の周りにはオウムの羽がいっぱい。この猫、頭は良いが懐疑的、おまけにラビの娘に恋をしている。嘘つき猫が娘へ与える悪影響を懸念したラビは、トーラやタルムードを教え、猫を「正しい道」へ導こうとするのだが…。


ジョアン・スファールは、1971年にニースのユダヤ人家庭に生まれた。『Le Chat du Rabbin』は2002年に発表された作品で、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が共存する1920年代のフランス領アルジェが舞台である。

本作は自分の自由意志はどこまで及ぶのか、絶対的自由意志は存在するのかなど、哲学的なテーマを投げかけているベストセラーシリーズである。



Le jardin de l’écriture

〜エクリチュールの庭〜


<第7回> Writing  仏作文課題
「自由」とは何だろうか。『ラビの猫』の猫が言うように、全ての人に「絶対的自由」は許されるのだろうか。それともラビが言ったように「自由とは他人の自由との境界を以て終わる」のであろうか。


*  *  *

Le catéchisme du libre arbitre

●L’opinion d’une chatte bicolore

ーJ’ai passé avec la famille pendant seize ans. Étais-je libre? Oui, relativement libre. Je sortais quand j’aimais. Je savais aussi ouvrir de porte seule sauf celle de l’entrée. On me faisait toujours des compliments sur ma sagesse. Quand je apportais des oiseaux que j’avais chassés, ma serviteurice* me félicitait, mais elle n’aimait pas les souris. Je ne savais pas pourquoi.
 En hiver, J’aimais entrer dans le futon de mon serviteur. Ma sœur aimait rester sur la bouillotte de la serviteurice. À la fin, elle est morte dans les bras de la serviteurice six mois avant ma mort. En été en 2020, je tombai malade et ne bougeais plus. Mais, toujours quelqu’un restait à côté de moi, et je n’avais pas d’occasion. Finalement, j’étais fatiguée. Alors, je m’en allais discrètement pendant une minute où personne ne me voyait. À ce moment-là, j’étais absolument libre.


●L’opinion d’un chat gris tigre.

ー Oui, j’aimais ma famille, bien sûr. Toute la famille était gentille et ils me soignaient bien. Alors, pour ma part, je les écoutais très bien et j’étais extrêmement sage, bien que je fisse parfois des bêtises.
  Un beau jour, je dormais dans une des pépinières de rhododendron à l’arrière-cour. Le père était vraiment déçu, parce que je gâchais des plants. Il ne m’accusa rien, mais je le plaignais. Et je me couchai dans l’autre pépinière. Il semblait plus triste.
 J’étais très heureux avec la famille, mais je voulais goûter le libre arbitre. Alors, un matin froid en février, je décidai de partit. Désormais, je ne rentrais jamais. Qu’est-ce que c’est l’absolument libre? C’est la solitude suprême.

*seriviteurice:筆者の造語で女性の下僕の意


自由意志についての教理問答

●ブチ猫の見解

ー 私は16年間あの家族と一緒に過ごしました。自由だったかですって? ええ、かなり自由でしたよ。外出したいと思えばいつでもできましたし、玄関以外のドアなら自分で開けることもできました。皆んな私が賢いって褒めてちぎってましたね。鳥を捕ってくると凄いねって言ってもらえるんだけど、ネズミは嫌いだったみたい。何故だか知らないけど。
 冬になったら、下僕しもべの布団に入って眠るのが好きでした。妹は女僕しもべの湯たんぽの上で寝るのがお気に入りでしたが、私が死ぬ半年前に女僕の腕に抱かれて死にました。2020年の夏、私は病気になって動けなくなってしまいました。でも、いつも誰かが私の側にいるからなかなか機会が得らなくて。それでとうとう疲れはててしまったのです。だから、誰も私のことを見ていない瞬間を見計らって、こっそり旅立ったのです。あの瞬間は間違いなく自由でしたね。

●トラ猫の見解

ー ええ、もちろん僕はあの家族のことが好きでした。みんな親切で、僕のことをとても可愛がってくれました。だから僕の方でもあの人たちの言うことをよく聞いて、とてもお利口さんにしていました。ときにはバカなこともやりましたけど。
 ある晴れた日に、僕は裏庭にあった石楠花の苗床で寝ていました。父さんは僕が苗を台無しにしたってガッカリしていましたけど、僕のことを責めたりしませんでした。僕は気の毒になって、隣にあった苗床に移動してまた眠りました。すると、ますますガッカリしていたようでしたね。
 僕はあの人たちと一緒にいて、とっても幸せでした。でも、自由意志というものを味わってみたかったのです。だから、あれは二月の寒い日でしたけど、旅に出ようと決めたのです。僕はあの日以来、一度も家に帰りませんでした。「完全なる自由とは何か」ですって? それは完全なる孤独のことです。


< Sempé のLe Petit Nicholas 風の挿絵 >


— FIN —


◆<第7回> Reading 読解
BDは左から右へ読む。

<最後のコマ(右下)にメノーラー(7本燭台)がある>


< 自分の自由意志を謳歌するラビの猫 >


オリジナル記事の最後に本文の一部を掲載していますので、ご興味がある方はご参照ください ↓

《Le Chat du Rabbin》 Joanne Sfar


自由とは、自分の権利が絶対的に行使できることだと思うのだが、社会生活において完全なる自由を得ることは難しい。絶対的自由を得るには、社会と断絶した孤高の世界しかないのではないか。わが家の猫たちから、そんな猫哲学を学んだ気がする。

自由意志とは何かを考えるとき、同時に他人の権利と、その対義語としての義務を抜きにしては語れない。本作とともに権利と義務について考える機会を与えていただいた世界の人に聞いてみたさんの記事と、さらにそのきっかけとなったNanaoさんの記事。


この作品は映画化もされている。


こちらもスファールの作品↓


※このシリーズの過去記事はこちら↓





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