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語学の散歩道#12 お茶はいかが?

一杯の紅茶。
それはイギリス人が求めてやまないものである。

2011年からBBCで放送されたドラマ『ミステリー in パラダイス』。原題は『Death in Paradise』。アガサ・クリスティの『Death on the Nile(ナイルに死す)』を捩ったようなタイトルに甚だ期待が薄いが、これまでベタなタイトルには何度も裏切られた経験がある。パラダイスというからには、常夏の島が舞台だと思われる。大西洋に浮かぶセント=ヘレナ島あたりか。10秒考えた。

ヒマなので、見てみた。


カリブ海だった。


カリブ海の英国領というと、ヴァージニア諸島かジョン・グリシャムの小説で覚えたケイマン諸島くらいしか知らない。

物語の舞台はセント=マリー島といういかにもありそうな名前だが、実は地図上に存在しない架空の島。ロケ地はグアドループということだ。配役も私には馴染みのない名前ばかりだ。はたして面白いのか。

まずはオープニングテーマに乗って、いざカリブの海へ!


サルコム卿の家で催されたパーティーの最中に銃声が聞こえ、警報器が鳴る。通報を受けて警察が駆けつけると、施錠された小部屋の中で死体が発見された。殺されたのは、イギリスからオノレー署へ配属されていたチャーリー・ヒューム警部補。同僚の死に際して事件解決にあたるのは、MET(ロンドン警視庁)から派遣されたリチャード・プール警部補である。

小型機で空港に到着したリチャードを待っていたのは、お決まりの荷物紛失。Lost luggage deskは何処か、と迎えにきたオノレー署の署員に尋ねるや否やそのままカウンターへ向かい、窓口の営業時間を尋ねる。「6時です」と答えた女性に、「では6時1分に電話するよ」と言うリチャード。そして、常夏のカリブ海にスーツとネクタイ姿でやってきたリチャードが空港を出た直後の一言は、「Christ (暑いな)!」。


オノレー署への道すがら、署長がセント=マリー島の歴史を説明する。最初は仏領だったがのちに英領、そしてオランダ領となり、再びフランスへ返還され、1970年代半ばに再度イギリスに返還されたという。架空の島の話とはいえ、カリブ海の多くの島々が同じような運命を辿ったことを思うと、明るい太陽の影に悲しい過去があるということを考えずにはいられない。

ところが、私の感傷をよそに、「So, about 30% of the population is still French(だから、島民の3割はフランス人だ)」と言う署長に、リチャードの反応は、「French, great. Just when I thought it couldn’t get any worse.(フランス人ね。まったく最悪ですよ)」

イギリス人とフランス人の間にはある種の「距離」があって、ドーヴァー海峡を挟んでわずか34kmの間に隣国同士のしがらみが流れている。
そのため、英国ドラマではこういうフランス人への悪口が割に飛び出すのだが、これを悪口とみるか軽口とみるかは判断が分かれるところである。以前、タレントのコロッケさんが瀬川瑛子さんの目の前でご本人のモノマネを披露したとき、当の瀬川さんは「んまぁ、お上手!」と満面の笑みを浮かべて一緒に笑っておられた。そのとき、瀬川さんの懐の大きさに深く感じ入ったことを今でも覚えている。

相手が寛大な個人の場合はともかく、国となると微妙なのではないかと心配していたら、配信会社にFrance2が入っていたので、ひとまず安心した。他人への諧謔というユーモアの限界値は実に不可知であるが、こういうイギリス人のユーモアは他人だけに向けられるものではない。


殺されたチャーリーはリチャードとは違い、アロハシャツ姿で島の空気にも時間にも馴染んでいた。リチャードからチャーリーのことを尋ねられた人たちは口を揃えて、「(チャーリーは)not your typical English man(イギリス人らしくなくて)」と答える。それに対してリチャードは「典型的」なイギリス人として描かれている。ベン・ミラー演じる「イギリス人」リチャードがかなり笑える。暑い太陽の下でもスーツにネクタイ、アタッシュケースというビジネスマンスタイルを貫き、時間を気にし、堅物で何事にも動じず(動じてても)、ロンドンの天気のようにムッツリしている。こういう「世間一般の英国人」を自虐ネタにしてしまうのもイギリス人のユーモアである。

登場人物たちの会話や表情に現れる皮肉まじりのユーモアは、地味なジャブのようにしだいに効いてくる。


オノレー署に到着後、早速報告書を確認しようとするリチャードは、ドウェインから「Pen-pusher. This is not going to go well.(退屈なヤツだ。ソリが合わない)」と評される。殺害現場では自前のレーザー計測器で計測を始め、「署にもメジャーはあるわ」とリリーから言われても、「こっちの方が正確だ。ミリ単位で計測できる」と譲らない。

次にリチャードは、遺体と証拠品を見たいと要求する。ところが、島に鑑識がないのでバス=テールに送ったという。「Fine, we’ll get some sandwiches on the way(字幕では字数の都合か「昼食後に向かおう」となっていた)」というリチャードに「バス=テールはグアドループよ。こことは別の島なの」とリリーが教える。しかも検死と鑑識の結果もいつになるのかわからないらしい。ロンドン警視庁との勝手の違いにたびたび困惑するリチャード。グリニッジ標準時と島の時間の「時差」が面白い。

ここへは自分の意向ではなく、上司の命令で来たから長居はしないというリチャードが連れて行かれたのは、海辺のコテージ。というと聞こえはいいが、実際にはペンキが剥がれた古びた小屋である。外国から来た警察官用の宿泊施設で、生前のチャールズもここで起居していたという。中へ入ると床は砂だらけ、ベッドどころか部屋中散らかり放題で、ワンルームしかない部屋には木が生えている。一方、バルコニーへ出ると目の前には美しいカリブの海が。ところが、砂浜に反射した眩しい光に目が眩んだリチャードは「Christ(まったく)!」とご機嫌斜め。それでも上司への報告は「ええ、署員たちも歓迎してくれましたよ。感謝しています」と礼儀を忘れない。


捜査では新たな手がかりが見つかり、リリーが車で令状をとりに行く。リチャードは港まで連れて行ってくれとドウェインに頼むが、ドウェインは動こうとしない。「It’s just the one car, isn’t it? What do you do in emergency?(まさか1台しかないのか?緊急時はどうするんだ?)」と驚くリチャードに、「I thought you’d never ask(聞かないほうがいい)」というドウェイン。そもそも大都市ロンドンではないカリブ海の小島で、緊急事態が頻繁に発生するとは思えない。


しかし、リチャード警部補は優秀なのである。300ピース以上はあろうかと思われる証拠品の花瓶の破片を何時間もかけて復元し、死体の手に握られていた旅行ガイドを1ページずつ検め、木の上にいるかもしれない蛇に警戒しつつ薬莢を探す。

本国との「時差」に苦しみながらもコツコツと捜査を続け、最後は名探偵ポワロのように一同を集めて事件の謎解きを披露する。コメディーながら本格ミステリである。主役が数シーズンごとに替わるのも面白い。


さて、イギリス人といえばアフタヌーンティー。
お茶の時間は欠かせない。

小説でもドラマでも、もちろん映画でも、紅茶はよく話のネタに使われるが、そもそもこれほどイギリス人に愛飲される茶の生産地は、イギリス本国にはない。

茶の栽培は高温多湿で水捌けのよい土地に限られる。いかに七つの海を征服した大英帝国といえども自国での栽培は、地理的に不可能である。
ところが、インドやアフリカにとっては不幸なことに、イギリスにとっては幸運なことに、19世紀以降、英国人は茶の一大生産地を支配下に治め、麗しき黄金の滴を生涯我がものにしたのだった。

このドラマでも「紅茶」ネタは健在である。

第2話の冒頭シーン。
5分おきに時計を見ていたリチャードがそわそわしながら署から出てくる。署前の広場にある青空市場の人混みをかき分け、決して「走らずに」駆けていく。イギリス人たるもの、どんなときも落ち着いて礼儀正しく振る舞わねばならない。

ーWhat some coconuts? ココナッツはどうだい
ーI’ve got a coconut 間に合ってる
チリドッグ(?)を差し出されて
ーSorry, not really a Chilli man myself
 チリは好きじゃないんだ
食べ物を勧められると
ーYes, it looks absolutely delicious
 すごくうまそうだね
お次はサンダル?
ーIt’s not my size, I don’t think    
 サイズが違うみたいだ
最後はアロハシャツ
ーYeah, perhaps on the way back 
 帰りに寄るよ

イギリス人らしいマナーで断りながらリチャードが向かった先は、海辺のオープンカフェ。

Am I too late? Uh, for afternoon tea?
 お茶の時間に間に合ったかな
I’m sorry, sir 
 残念ですが


するとリチャードは警察手帳を取り出して一言、

“I am a police officer. I want a cup of tea!”


お茶の時間は大切だ。
なぜなら、彼はイギリス人だから。

<語学の散歩道>シリーズ(12)

※このシリーズの過去記事はこちら↓


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