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語学の散歩道#番外編 冬に微睡む

寒い。

突然やってきた木枯らしが、まだ残暑を羽織っていたはずの初秋からあっという間に木々の葉を払い落としていった。

年々寒さに耐えられなくなっている気がするが、考えてみれば子供の頃はもっと寒かったのだ。
地面から霜柱が伸び上がり、屋根からは氷柱がぶら下がっていたのだから。今では手や足に霜やけができることも、もうなくなった。

でも、やはり寒い。


私はふだん、甘い飲み物を全く口にしない。コーヒーや紅茶にも砂糖は入れないし、フルーツジュースすら飲まない。

ところが、なぜか冬のヨーロッパに行くと、急にホットチョコレートなどを飲みたくなる。朝食のパンにNutellaヌッテラ(イタリア語の発音はヌッラらしい)をたっぷり塗るようなことまでしてしまう。寒さが苦手なくせに、やたら街を歩きたがる。まるで人が変わったかのようだ。


欧米を旅行する日本人には、日本食を持参される方が多い。団体ツアーで出かけると、大半の方のトランクに煎餅やおにぎり、日本茶、インスタントの味噌汁などの日本食が詰まっている。私も時々お相伴に預かることがあるが、大抵の場合はお断りしている。旅先で食べるためにわざわざ持ってこられているのをいただくのはなんだか気が引けるのだ。

経線を跨ぐたびに時間と味覚が変わるのか、私は現地に着いても日本食を欲することがない。時差ボケもしない。それなのに帰国した途端、空港で蕎麦やうどんが食べたくなったりする。どうやら現地時間と味覚が完全に一致する体質のようだ。


あの日の朝も、やはり寒かった。
私たちは凱旋門に上り、眼下に灰色のパリの街を眺めた。私は、灰色に燻んだ冬のヨーロッパが好きだ。夏も好きだが、冬の、曇天の、ずっしりと重い灰色の空に包まれた街が好きなのだ。


夜、エレベーターでエッフェル塔に上り、パリの夜景に酔いしれた。通りという通りを照らす街灯がまるで地図のようだった。しばらくして、寒くなったからもう降りようということになったのだが、なぜか私たちはこんな夜中に階段で降りる方を選んでしまった。エレベーターには途中から乗れないため、もはや最後まで歩き続けるしかない。


人間というのは、ときにおかしなことを考えるもので、友人と私は美しい夜景を足下に見ながら、「高所恐怖症の人はこの夜景が楽しめないのだろうね」と話していたのだが、急に「高所恐怖症の人の気持ちになってみよう」という妙な発想が飛び出した。そこで、気持ちを集中して自分は高所恐怖症なのだと思ってみた。すると、その瞬間に二人とも階段を降りられなくなってしまった。足がすくんで、もう一歩も降りることができない。階下に着くまでにはまだ相当ある。下からの風も強い。私たちは階段にしがみつくようにしてなんとか次の踊り場までたどり着いた。

「怖かったね」

二人して笑ったが、それどころではなかった。
このままではとても下まで降りられそうもないから、一度深呼吸をして遠くを眺める。

「翼よ!あれが巴里の灯だ!」
と、リンドバーグは実際には言わなかったのだそうだが、宝石のようなパリの街は実に美しい。


< シャイヨ宮 >


ようやく焦点を遠くに合わせることができたところで、再び階段を降り始める。足が地面を踏むまでどちらも高所恐怖症の話は口にしなかった。


冷え切った体を温めようと、近くのカフェでホットチョコレートを飲んだ。全身に沁みわたるような心地よさが広がっていく。

「高所恐怖症の人は焦点が近いから怖いんだね」と、友人が言った。
「そうだね」
と、私は答えた。

まさかあんなことになるとは二人とも予想していなかったのだ。
焦点を位置を少し変えただけで、そこにはまったく違う世界が広がっていた。視点を変えてみるというのはこういうことなのかもしれないねと、二人でしみじみ語り合った。そして、もうしばらく夜のパリを楽しむために対岸のトロカデロ広場へ向かった。今度はシャイヨ宮の正面に、先ほど上ったエッフェル塔が全身に電飾を纏いながら黒い空を目がけて屹立しているのが見えた。


次の日の朝、小雪が舞っていた。
街がうっすらと白い薄化粧をしている中、私たちはカルナヴァレ博物館へと出掛けた。

開館時間まで少し待たされた。
その日の夕方帰国する予定だったから、大した観光はできないだろうと小さな博物館で午前中を過ごすことにしたのだが、後年この博物館がルブランの『奇岩城』に登場するあの博物館だと知り、今になってほとんど記憶が残っていないことが残念でならない。


館内を見終わると、少し早めの昼食を取ることにした。私たちはフランの残高を数えながら、記念に幾らか残すか、使い切るかで迷っていた。その年はフランがユーロへ切り替わった年だった。次にいつパリに来るのかわからないし、新札でもないのだから、どうすればよいだろう。

友人も私も実際家だった。
お土産はすでに買い終わっていたし、今日は最終日だから、空港までの交通費を残して少々贅沢な昼食を食べようという話になった。


ところが、まだ少し時間が早かったのか、界隈に開いている店があまりなかった。ホテルの方角に向かいながらようやく見つけた店に入ると、若いお姉さんに二階へ案内された。窓際の席からは通りと広場が一望でき、店内のお客さんも観光客というよりは地元の人々のように見受けられた。当時はフランス語が一言も話せなかったので、いまいち状況が把握できなかった。

案内された席につきメニュー表を見ると、50ほど並んだメニューの横に「20フラン」とだけ記載されている。

私たちは一瞬あ然となった。

「まさか、これ、全部出てくるわけじゃないよね?」
「それはないでしょ。所々に太字があるから、前菜やスープをここから選ぶってことじゃない?」

と、互いに少々不安顔で20フラン紙幣を握りしめていたのだが、一向にオーダーをとりに来る様子がない。私も友人も片言の英語とそれより少しマシなスペイン語が話せるだけの語学力しか持ち合わせていなかった。


しばらくして、前菜と思われる料理が私たちのテーブルへ運ばれてきた。
あとはもう、何が何だかよくわからなかったが、ゆっくりと、しかし確実に何皿もの料理が運ばれてきた。

「今メニュー表のどのあたりかな?」
「全然わからない。注文もとられなかったし、選べるメニューじゃないのかも」
「ということは、やっぱりこれ全部出てくるってこと?」
「まさか」

何度もメニュー表に書かれたフランス語から英語を想像してみるのだが、見当すらつかない。料理はゆっくりと、しかし確実に増えていく。

そこで、料理を運んできてくれたお姉さんにメニュー表を指して、これはmeatなのかfishなのかと尋ねたところ、英語はまったく話せないのだと言って笑った。私たちはすっかり驚いてしまった。私たちより少し若い程度だったのだが、彼女たちの年代で英語をまったく解さないのは普通なのだろうか。しかも、meatやfishといった簡単な単語までわからないとなると、メニューについてこれ以上尋ねてみても何も分かりそうにない。

「飛行機の時間には間に合うから大丈夫だよ」
「そうだね」
などと言いながら、先ほどからお互いに何度も時計を見ていた。もうすでに2時間以上経っているが、料理が止まる気配はまったくない。


最初の一皿から十品以上運ばれてきたところで、私たちはとうとうギブアップしてしまった。

そこで、例のウェイトレスが近くを通ったのを見計らって声をかけ、「お腹がいっぱいだ」とジェスチャー混じりで伝えてみた。ところが、彼女は怪訝顔で、どうやら「まだ料理の途中だけど」というようなことを言っている。

私たちはもう一度両手で大きなお腹を描いてから両腕を大きく交差して、
「お腹がいっぱいでこれ以上食べられないから、料理はもう結構です。20フランはここへ置いていきます!」
と、二人して全身で伝えた。

すると彼女は、両手でお腹を抱えて笑いながら、「わかったわ。もういいわよ!」という手振りで、ようやく私たちを解放してくれた。


レストランを出ると急いで近くの地下鉄に乗り、ホテルへ向かった。
なんとか空港バスにも間に合い、無事に空港へたどり着いたのだが、その間の話題はもっぱら先ほどの謎に満ちた昼食のことだった。英語のわからない若いウェイトレスと、20フランとだけ書かれたメニュー。フランス語がわからない私たちにとって、この出来事は永遠の謎となった。


このときの昼食がトラウマになったわけではないが、ちょうどその1年後、私はたまたま見つけたフランス語の教室に通うことを決め、気がつけば今年で二十年が過ぎた。歳月だけみればとても長いが、勤勉家ではないからなかなか上達しない。単語や熟語は覚えるよりも忘れる速度の方が格段に早い。

習い始めて一年半が経った頃、肝試しと称して参加したスピーチコンクールで大使館賞を受賞し、フランスへ三週間の語学研修へ行ったことはすでにどこかで述べた。

滞在先のアンジェからパリに戻って第5区カルチェ・ラタンのホテルに宿泊した際、フロントの女性と少々会話をした。まだろくにまともなフランス語が話せなかったのだが(今も大して上手くない)、私がフランス語を話せることがわかると、とたんに愛想が良くなった。そして、どこでフランス語を習ったのか、どれぐらい習っているのかと次々に質問が飛んできた。しまいには、「あなたの街にはどれぐらいフランス人が住んでいるの?」と聞かれたのだが、「欧米人はみんな似ているから、どこの国の人かわからない」と答えると、「確かにそうよね。アジア人も私にはみんな同じに見えるもの」と言って片手を振り振り大笑いしていた。


< リュクサンブール公園 >


こうして長い年月フランス語を学び続けているのも、あの日の会話があったからだと思う。

寒い季節が訪れ、温かい物が欲しくなると、私は決まってあのホットチョコレートの夜とボディーランゲージの昼食のことを思い出す。


<語学の散歩道>番外編

※このシリーズの過去記事はこちら↓



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