記事一覧
『熊を放つ 下』を読んで
だから笑ってくれよ。アックリーちゃん。
『熊を放つ 上』を読んで
そのことで僕はだんだんと気分が落ち込んでいった。そのことは知ってた?
『頼むから静かにしてくれⅡ』を読んで
ぐずぐずした気分になったんだ。そのことは知ってた?
『頼むから静かにしてくれⅠ』を読んで
僕はどんどん落ち込んでいった。そのことは知ってた?
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んで
掛け値なしに最高の気分だよ。冗談抜きで。
そのことは知ってた?
『13歳からのアート思考』を読んで
メモ帳を持って何時間も博物館に居続けるおじいさんを思い出した。
人の目をとかく気にする美術館では、メモ帳を持てばいいのかもしれない。とことん見ることができる。
心に残るものはメモに取る必要はないとも思うのだが。
稚拙でもいいから何か作り続けることで、実感が掴めてくるのではないだろうか。
『街とその不確かな壁』を読んで
どうしようもないと思える時、やけに混じり合い、溶け合う。素直さが惹かれ合う。
整合性や順序、可否なんかない。
ただ、それを純然たる軸で表してしまうとは。
きっと曲がりなりにも、重なる部分を歩んでいるのだろう。
ひどく心を揺さぶるが、何か変わるのだろうか。
自分では気づかないのかもしれない。
『「大人になりきれない人」の心理』を読んで
生々しく、生き物が頻出する比喩表現。
断定口調。裏付けされうる確かな経験。
私たち読者がそこにいると知っていての問いかけ。
耳馴染みのない、独自の四字熟語。
包み隠さず、明示する恥じうること。
時間を置き、以前感じた奇妙さを言葉に起こすことができるとは。
何かと引き換えることには変わりなく。
『フラニーとズーイ』を読んで
免疫細胞になった。
内容の良し悪しに関わらず、いかにも人工的なものに対して反応し、追いやろうとした。
干からびかけた硬い水路には、あってもなくてもいいような標識があるが、とにかくそれを目印に進む。他の道を探り当てる気には当分なれなかった。
時には、水気を含んだ服でまた水路を歩き続けた。
『泣きたい日の人生相談』を読んで
久しぶりに読んで思う。
「これ私が考えたことじゃなかったのか…」
それだけ身に馴染んでいると言えるし、それだけ影響を受けやすいのだとも言える。
また、改めて思うことがある。
「やってみると違うことが見えてくる…」
至極当然のように感じるが、いかんせん言葉で物事を片付けているのも事実である。
『クジラアタマの王様』を読んで
商業的に描くのか、個人的/趣味として描くのかで、だいぶ異なると感じる。
とは言えど、個人的に描くとは何だ?
現実を凌駕する何かに突き動かされた時だろうか?
そうだとしても、創作するだろうか?
考えても方法論にならない。
少し溜息をつきたくなるが、感情と願望に依存するのだろう。では理性とは?