書くことを特別視しない。場数を踏む。

「書く」という体験は小さい頃から慣れ親しんだものではありません。

話すことはしないと生きていけないので、幼少期から徹底的に場数をこなしていますが書くとなると、積極的に経験する機会は少ない。

一応、学校でも作文の授業はありますが、評価されるのは読解力です。

僕の小学校卒業時の作文なんかを見返してみると、支離滅裂もいいところで何を伝えたいのか完全に意味不明です。

では、小学生の僕と会話しても意味不明なのかというと、そうでもない。

会話はできても書くことはできない子供だったわけですね。

同じ言葉でも、話し言葉と書き言葉では、言葉を扱うときに要求されるテクニックがぜんぜん違うんだなぁと思います。

そこで、何事にも遅すぎることはないわけですから、書くことも、とにかく場数を踏むことが大事になってきます。

息をするように書く

だからこそ、書く習慣がものを言う。

友達と遊んでいるときでも「ちょっと席を外すね」などと言って、10分~20分もあれば「noteを1本書く」くらいの気軽さが欲しいところです。

あるいは、お昼休みが1時間あれば15分くらいとって、1本は記事を書きたい。

もっと言えば、家に帰ってから眠るまで、数時間あるなら、1時間くらいは書く時間に使いたいものです。

何が言いたいかというと書くことを特別視しないで、なんでもいいから気軽に書いて場数を踏む習慣が必要だと思うのです。

会話は多かれ少なかれ、1日何時間もしているのに、同じ言葉でも書くとなるとどうしても構えてしまう。

たいていの人にとって、泳ぐことが特別で、歩くことが日常なように、書くことは特別で、話すことは日常です。

でも、書くことも、話すくらい気軽でいいんじゃないかと思います。

友達とファミレスで雑談するとか、ちょっとご近所の人と世間話をするくらいの感覚で、何も考えずに書き続ければ、文章に親しみがもてるようになる。

実際、頭の中はいつも言葉にあふれているのに、書こうと思うと言葉が出てこなくなることがあります。

これは、考えがまとまらないとか、書くのが苦手なんじゃなくて、そもそも書くという行為を神聖に考えすぎていることが原因だと思います。

  • 「うまく書かないといけない」

  • 「こんなこと書いても仕方ない」

  • 「書くときはこういうルールを守ろう」

みたいな雑念が頭に浮かんだら、

「うるせー!バカ野郎!」

一蹴いっしゅうして、勢いでバーっと書いてしまえばいい。

書けば書くほど文章力がつくのは当たり前ですが、それ以上に、書くことが身近に感じられる方が場数を踏む機会が増えて望ましい。

書くことを身近に感じる工夫をする

だからnoteを更新する最初の目標は文章がうまくなることではなく、書くハードルを下げて、書くことに親近感を感じることなんだと思います。

最初はいろんなことを意識しながらなんとか書くという感じかもしれません。

けれども書いているうちに、何も考えずに言葉がでてくるようになります。

この文章も何を言いたいのか自分でも分からないまま、テキトーに書いています。

とにかく時間があれば気軽に書いてみて「いつか良作ができればいいなぁ」くらいの感覚で十分。

書くことを特別なこと、神聖なことと思い込まずに、気負わず構えず、リラックスして書きまくればそれでいいと言えます。

以上、みず(@mizuxyz99)@Twitterフォローお気軽に◎でした!

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