ばばあもどきの日常と非日常 その8「差別のこと④」

カミングアウトは死活問題

前回(「差別のこと③」)の続きです。
実を言うとこの頃の私は、性自認は紛れもなく男であるにも拘らず、30代後半という身体の変化(多分ホルモンバランスとか?)に引っ張られて、何故か「子供が欲しい」と思うことが度々ありました。
しかし、事情により子供の頃からそれは叶わないと思って生きて来て(これについてはまた別の機会に書こうと思います)、
その誤解が解けた後も、病気をしてしまったせいで、お医者さんから「子供を持つことは難しいでしょう」と言われていました。

新しい職場で「結婚はしてるの?」「子供はいるの?」「今、彼氏いるの?」「子供は欲しくないの?」「もしかして子供は嫌い?」などとよってたかって矢継ぎ早に問われるのが心底面倒臭かった私は、

・バツイチであること
・離婚の理由は元夫の借金とDVであること
・性自認は男であること
・バイセクシャルであること
・子供は好きだが病気で難しいこと
・何より今は仕事を頑張ってお金も貯めて自分の店を持ちたいこと

……などを、問われるがままに話しました。
すると料理長が、真顔で「ルル子ちゃん、それはダメだよ?」と言ってきました。

……え? 「ダメ」って何が?

料理長は言いました:
「ルル子ちゃんは女だよ。それは神様がお決めになったことだから従わないと。
で、ルル子ちゃんは女だから男を愛すんだよ。
それが神様のルール、自然の掟だからね」と。
私からしたら、今どきまだこんな人っているのかー、
そんな仕事に関係ないことは放っておいてくれていいのに、と思っていました。
ところが料理長の側は違いました。

「俺の使命は、ルル山ルル子に料理を教えることのみならず、ルル子の心に巣食う悪魔を追い出してルル子を真っ当な人間に引き戻し、ルル子が幸せな人生を送れるようにすることだ」

「仕事の上司だからといって仕事ばかり教えていたのではダメだ、見て見ぬ振りは良くない、それではルル子が不幸になってしまう」

言われたことをまとめると、大体こんな感じです。
本当に余計なお世話だと思うのですが、彼なりの「正義」だったのだと思います。
そして、「正義」のために振るわれる暴力ほど始末の悪いものはない、と私はここで知ることになるのです。

料理長に殴られ続けていた先輩がある日 失踪し、料理長は暫くの間は落ち込んでいました。
落ち込む理由は「俺はなんでアイツを殴ってしまったんだろう」というものでは勿論なくて、
「俺がこんなにあいつのために心を砕いているのに逃げるなんて……」というものです。
そして標的を失った矛先は、やがて私に向くようになりました。
最初は、仕事上の些細な(と、やらかした私がいうのもなんですが)ミスが原因でした。
すぐに料理長にミスを報告して詫びた私の手から皿を引ったくって私に投げ付けました。
そして粉々になった皿を見ながら「あーあ、俺はこうなったらもう歯止めが効かないからな」と言いました。

それからは本当にその言葉通り、歯止めが効かない日々が始まりました。
些細なことで難癖を付けられ、頭を殴る、首を絞める、土下座をさせて頭を踏み付ける、唾を吐き掛ける、胴体や足を蹴る、腕を捻り上げる、階段(3段しかないけど)から落とす、私物を壊す、服を破かれる……
こうして書いていても、自分のことじゃなければ到底信じられないような過激な暴力でした。
「流石に女性にそれは……」と止めに入ってくれる同僚や先輩がいようものなら、
「コイツは女じゃないんだってさ」と言い返し、
私には「やめて欲しかったら『私は女ですからやめてください』って言ってみろよ」と迫りました。
そんなこと、言えるわけがありません。
いや、言って殴られずに済むなら言っても良かったのかも知れません。
でもその時はそんな発想が全くありませんでした。

料理長のやり方は巧妙で、時々、以下の2パターンを織り交ぜてきました。

パターン1:「今日はルル子を殴る代わりに鈴木を殴ることにする」「今日はルル子がムカつくから佐藤を蹴るけど悪く思うなよ」と言って、私の前で鈴木先輩を殴ったり佐藤先輩を蹴ったりしました。
勿論 私はすぐに止めに入るのですが、それでも先輩方は1〜2発は食らってしまいます。

パターン2:他の人のミスについて、やった本人も「それ、ルル山さんじゃなくて自分です、申し訳ありません」と言ってくれているにも拘らず「いいや、ルル子がやったんだ」とわざと濡れ衣を着せて私を殴ることもよくありました。

これの何が巧妙なのかというと、こういう理不尽なことが繰り返されると、「私のミスのせいで私が殴られている状況」というのがとても正しいことのように思えてきてしまうのです。
本当は暴力を振るわれていること自体が理不尽なのに、正しい、理に適ったことのように思えてきてしまうのです。
酷く殴られながら、どこか心の中でホッとしている自分がいました。

私は完全に頭も心もおかしくなっていました。
殴られるために出勤するのが辛くなりました。
でも「会社を辞める」という発想はありませんでした。
料理長は、万が一 私や他の人が社長や役員に告げ口をした時のことを考えて、上層部には「ルル山ルル子は過去にトラウマがあるみたいで心が縮こまってしまうことがあるけれど、幸い僕のことは信頼してくれているので、僕に任せてください。あまり横からあれこれ言わない方が良いみたいです」と先回りして言っていたそうです。
また、マインドコントロールというのか、「お前みたいな悪魔に取り憑かれた人間のことを、みーーんな嫌っているよ。恐れているよ。お前のことを愛しているのは俺だけだよ。俺がお前の心に巣食っている悪魔を追い出してやるからな。俺を信じて、俺の言うことだけを聞いていればいいんだからな」といつも言っていました。
私を精神的に孤立させ、周囲に救いを求めさせない作戦だったのだと思います。

ただ、容れ物と中身の性別が異なるだけで、
ただ、誰かを好きになるのに相手の性別が関係ないというだけで、
こんなにも酷い暴力(そして暴言)を受け続けることになろうとはとは思ってもみませんでした。
「カミングアウトは死活問題」というのは聞いたことがありましたが、私はそれまで「そんな大袈裟な」と思っていました。
自分の身の安全が脅かされて初めて、その意味が分かりました。



私は、この暴力の日々は私が殴り殺されるまで、或いは私が蹴り殺されるまで、或いは私が締め殺されるまで続くものだと思っていました。

……嘘です。
本当は、もう一つの「或いは」がありました。
「或いは、度重なる暴力に耐えかねた私が……



ただ、この日々は、暴力の始まりから1年ほど経った時に、突然 終わりを告げました。
私も、料理長も、周囲の誰もが思いもよらなかった理由で。

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