ばばあもどきの日常と非日常 その4「差別のこと①」

こんにちは。
“ばばあもどき”のルル山ルル子(ルル)です。
女の容れ物(身体)に男の魂が宿っています。
「トランスジェンダー」とか「FTM」とかの呼称がどうもしっくり来ず、
普段は「見た目は女 中身はおっさん」と自己紹介をしています。

「差別なんて知らずに生きていた頃のこと」

さて。
自分は男の子だと思って生きて来て、
それゆえに小学校低学年の頃は自分を「カタワ」だと思っていて(昭和の子供が実際にこの言葉で己を認識していたので、敢えてこの言葉を使います)、
中学年で「そうじゃない、容れ物が間違ってるんだ」と気付き、
高学年の頃には自分は同性愛者だと思うようになった私ではありますが、
途中まで(中学生くらいまで)そのことで大して悩むことなくのうのうと生きて来ました。
他の方のエッセイや自叙伝などを読むと、同性に惹かれる自分をおかしいと思ったり人と違う自分を責めたりして、辛い青春時代を送って来たエピソードを多く目にします。

何故 私はそうならなかったのか。
これには理由があります。
「性」というものに目覚め始めるきっかけは人それぞれだと思いますが、
私の場合は、習い事で一緒になる違う学校の同級生、ゆきちゃん(まあまあ実名)の存在でした。
ゆきちゃんが貸してくれたある漫画を読んで、少年(ただし容れ物は少女)は目覚め、世界が急速に拡がっていくのです。
ただ、その漫画というのが……

一般的な少年少女の辿る道としては、大人びた友達から大人びた漫画を貸してもらって
「男と女ってこんなことするのか……‼︎」となるのだと思います。
ところが私の場合、ゆきちゃんの貸してくれた漫画というのが、あの魔夜峰央さんの漫画だったんです。
最近だと「翔んで埼玉」の原作者として再注目されている、魔夜峰央さんです。
「パタリロ」の作者である魔夜峰央さんです。
魔夜峰央さんの作品の中で「こんなことするのか……‼︎」の“こんなこと”をしてるのは、大体の場合、男と男です。
もっと言うと美青年と美少年です。
私は素直に「大人ってこんなことするのか……‼︎」とワクワクしながら貪るように夜な夜な「パタリロ」を読み耽っていました。
しかも(この文章を書くにあたって出典を探したけど見付からなかったのですが)、登場人物の台詞の中に「愛し合うことは素晴らしい。たとえそれが男同士であっても」というのがあったものですから、
自分のありように何の疑問も持たず、ただただ女の子と桃色遊戯がしたいと思いながら日々を過ごしていました。

中学生くらいまで、自分が差別される対象だなどと全く思わずに生きていました。
そりゃ確かに辞書で「同性愛」と引けば「変態性欲のひとつ」と書かれていたような時代でした(これも例によって出典が見付かりません)が、
当時の、所謂「やりたい盛りの少年」にとって「変態」なんて言葉はもう“勲章”でしかなかったので、
傷付くどころかますます調子に乗っていました。
アホですね。
中学・高校時代、男子からは全くモテませんでしたが、女子からはそこそこモテました。
女子から貰ったラブレター・ファンレターが、1000ピースのジグソーパズルの箱に2箱分ありました。
その後の人生で、自分が受けることになる差別の数々を思いもせずに生きていた時代は、
ここまででした。

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