ばばあもどきの日常と非日常 その2「欲しかったのはこんなもんじゃなかった」

容れ物と中身が違うらしい

「LGBTQ」だとか「トランスジェンダー」だとか
はたまた「性同一性障害」だとかいう言葉がまだなかった昭和の中頃のこと
物心がついた時にはもう、私は自分のことを男の子だと認識していました。

「頭足人」ってご存知ですか?

一般的な頭足人
顔から手足が生えている


小さな子供の描く人間って、胴体がなくて
顔から直接 手足が生えているんです。
3歳頃の私の絵も御多聞に漏れず顔から直接 手足が生えておりました。
が、それだけじゃありませんでした。
私の描く自画像はまん丸い顔に髪の毛が僅かに生え、
黒々とした両目がグリグリと塗られ、
顔の横からは手足が生え、
そして何と、顎からちんこが生えているのです!

幼き日の私が描いていた頭足人を再現したもの
顔から生えているのは手足だけじゃない


しかも、自分でよく覚えているのですが、
ちんこは毎回必ず縞模様でした。
どの絵もどの絵も漏れなく顎からシマシマのちんこが生えているので、
母親はかなり心配していたようです。
「ルル子にはおちんちん無いよね?」と何度も訊かれました。
幼い私はその度に悔しさ・理不尽さを噛み締めながら「今はね」と答えます。
大きくなる過程で生えてくるんじゃないかという期待がありました。
私は一人っ子でしたが、幼稚園に上がると周りに男の子の友達が増え、
男の子たちは特に努力することもなく、みんなちんこが生えているのが羨ましくて妬ましくてたまりませんでした。
遊んでいる途中で、そこかしこで立ちションをする男の子たちを見て、私も負けじと並んで立ちションを試みます。
私には何も生えていないので、取り敢えず鼠蹊部やら太腿の付け根やらを摘んで引っ張ったまま放尿する訳ですが、
イメージの中ではカッコよく放物線を描いているにも拘らず、現実は毎回 悲惨なことになります。
男の子たちからは笑われ馬鹿にされ、
母親からは怒られて引っ叩かれます。
でもまた暫くするとチャレンジしてしまうのです。
だって男の子だから。

女子で、背中や脇腹の肉をエイヤッ!って持って来てブラジャーの中に格納して
「これは胸なの!」って言い張る人がいるじゃないですか。
私も小学校に上がる前くらいまで、下腹や鼠蹊部や太腿の付け根を引っ張っては「これはちんこだ!」と言い張っていました。
このままずっとキープしていたら、いつか本当にそうならないかな、と期待して引っ張り続け、
「ルル子、パンツの中から手を出しなさい!」と母親に引っ叩かれる日々を送ってきました。

欲しかったのはこんなもんじゃなかった

小学校に上がる頃になると、自分はカタワなんだな、と思うようになりました。
「カタワ」という言葉は、今は使っちゃいけないみたいですね。
でも70年代当時、「カタワ」という言葉は今で言う身体障害者を指す言葉として一般的に使われていて、
子供の頃の私は、自分自身をハッキリと「私はカタワなんだ」と認識していました。
だってあるべきものがそこにないから。
しかも! あろうことか!
9歳になったら、何と 両胸が膨らみ始めたのです。
いやいやいや、膨らむトコそこじゃねーだろ!

ここに来て漸く私は気付くのです。
私はカタワなんじゃなくて、身体自体は(割と病弱だけど)五体満足で、
ただ、容れ物と中身が違っちゃってるんだ、と。
何の手違いか、女の容れ物に入って生まれて来てしまったんだ、と。

因みに9歳から始まった両胸の成長は、その後とどまるところを知らず、
女子から「いいなぁ」と言われるたびに「ただの脂だぜ、こんなもん。欲しけりゃくれてやるわ」と思い、
男子から「埋もれたい」と言われるたびに「窒息させてやろうかこの野郎」と思い、
着替えのたびに格納に苦戦し、重さのあまり肩凝りに悩まされ
40年以上経った今も、何となく持て余し気味です。
それに、胸が無駄にデカいとネタT(面白い言葉とかが書いてあるTシャツ)が着こなせません。
“軒下”の部分の文字が読みづらくて。

「欲しかったのはこんなもんじゃなかったのに」
この思いは51歳になった今でも消えません。
もういい加減50年以上もこの女の容れ物に入って生きて来たので、
慣れたといえ慣れたのですが、
きっとこの気持ちは「慣れ」ではなくて「諦め」なのです。

今はただ、この両胸がここ(私の上半身)ではなくて湯船の縁にでもヘッドレスト的な感じでくっ付いていたらいいのになぁ、
寄り掛かったら首から肩にかけての辺りが気持ちよさそうだなぁ、と思いながら
毎日を過ごしています。

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