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ふつうの一日が、特別な一日になるとき

仕事がお休みの日は前日は、本を読んだり、音楽を聴いたりして、つい夜更かしをしてしまいます。
昨夜も眠りにつくのがおそくなり、今朝は少し頭がぼんやりしていました。

お休み、とはいえ。
仕事の日の生活をとどこおりなく進めていくための準備に追われて、せわしなくなります。
5時には起きて、お風呂など水回りの掃除をしてから、朝ごはんをつくって食べて。
晩ごはんの下ごしらえや、野菜の切りおき、お弁当用のおかずのつくりおき。
掃除機をかけたり、そのほか細々としたことをしたりしていると、あっという間に9時をまわってしまいました。

食材や日用品の買い出しをしたあと、いったん帰宅して、パン屋さんへ行くために、ふたたび外へ。
曇り空ですこし蒸すような、でもひんやりもするようなあいまいな空気の中を歩いていると、紫陽花にほんのりとうすい青や紫の色がさしているのが目に留まり、もうそんな季節なのだなぁ、と思いました。

パン屋さんにたどりつく前に、朝からの全力疾走のせいかおなかが空いてしまっていたので、カフェに立ち寄りました。
すみっこのカウンター席に座って、モーニングセットを食べることに。
ふんわりもっちりしたトースト、カリカリの目玉焼き。
ハッシュドポテト、ウインナー、サラダ、ヨーグルトがセットになっていました。
温かいコーヒーを飲みながら食事をしていると、今この瞬間、本当に幸せだなぁとしみじみと思います。

美味しかったなぁ。
余韻にひたりながら本を読んでいたところ、次の一節ではっとしました。

でも、思い出して、その日について書いてみると、その日は特別なものになり、束の間、その日を中心に自分の人生が編み直されるような気持ちにもなるもので、書くというのは不思議だし、思い出すというのも不思議で、思うようにコントロールできませんね。思い出す前と思い出したあとでは人生が変わってしまうし、書く前と書いたあとでもそう。

「さびしさについて」植本一子 滝口悠生

ちょっとずつ読み進めている、写真家の植本一子さんと小説家の滝口悠生さんとの往復書簡。
子育てのことや、ものを書くことについて、おふたりのあいだで交わされる誠実な言葉のやりとりは読んでいて心地良く、読み終わるがもったいないような感じです。

この頃、noteで言葉を綴っていくなかで、確実に何かが変わっていくような気がしていたのですが、それが自分のなかでうまく言語化できずにいました。
でも、引用した一節を読んで、そうか、書くことって人生を変えてしまうようなことなのか、という驚きを感じたのです。

確かに、今日という一日を書き残さなかったら、すこし寝不足だったことや、色づきはじめた紫陽花を見たことも、きっと忘れてしまう。

忘れたら、無かったことになるわけではない。
けれど、書き残すことでその日が特別な一日になるし、誰かと気持ちを共有するきっかけになったり、あとになって自分で読み返して楽しい気持ちになったり…、そういう可能性がうまれるわけで。
なんというか、普通の一日が未来につながっていくことになるのだなぁ、と思いました。

思わぬ発見にうれしい気持ちになりながらカフェをあとにして、パン屋さんへ。
美味しそうなパンをいくつもトレーに乗せてレジでお会計をしていると、店員さんが、「食パンの耳、よろしければどうぞ!」と声をかけてくださり、ありがたく受け取りました。

今日はいろいろなギフトに恵まれた日だっだなぁ。
満ち足りた気持ちで家路につきました。


モーニングセットですが、お昼ごはんとして。



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