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この前のりんごのこと

青森で生まれ育った義母はりんごが大好物です。
50年以上暮らした北海道を離れ、我が家に同居していた8ヶ月間も毎日のようにりんごを食べていました。
一緒に買い物に行くと、まだ家にあると言っても必ず売り場の前で立ち止まるので、りんごを欠かした日はありません。

施設に移ってからは、訪ねる度に皮を剥いてカットしたものを持参しています。1つの半分、大きいものなら4分の1を一口大に薄く切り、キウイやイチゴを添えて持っていくことが多いです。

先日行った時のことです。
とちおとめばかり口に運びながら

「りんごは美味しいね~。ちょうど食べたかったところで嬉しい。この前、向こうに行った時にお土産にもらったりんごを忘れてきちゃってね」

「あら、忘れてきたのは残念でしたね。どちらにいらしたのですか?」

「久しぶりに母親の顔を見に行ってきたの」

義母の母親は青森で息子(義母の弟)夫婦と暮らしていましたが、三十年以上前に94歳で亡くなっています。

「お母さんはお元気でしたか?」

「入院していると思っていたけど、ちょうど家にいてね、元気にしてた」

「会えて良かったですね」

義母が施設に入ってから1年半が過ぎましたが気がかりなのは、息子のことでも孫のことでもなく、自分の母親のことのようです。
「母親は元気にしているだろうか、何歳になったのだろう」と何回聞かれたかわかりません。その度に夫が「ずっと前に亡くなっているよ」と教えますが「そうなの?」と驚くも、次に会った時には忘れています。
幾つになっても母親のことは恋しいものなのでしょうか。


もうすぐ自分の母親が亡くなった年になる義母に

「今度のお誕生日で何歳になられますか?」

と聞いてみました。

「ええーっと、あれ? わからなくなっちゃった」

「お母さん、94歳になられますよ」

「ええーっ、もうそんなになるの?
じゃあ母親と年が変わらなくなるね」

「そうですね、青森のお母さんと同い年になられますね」

「へぇー、ビックリだ!」

驚いてはいましたが、自分の母親が亡くなっているという認識はないようでした。

施設に行く度、顔見知りになった入居者の方が年を取られ弱っていくように見えることに寂しさを感じます。団欒スペースにいつも車椅子の方が7、8人おられますが、皆さん覇気がなく、ただ座っているだけで会話をされている様子もありません。
個室を掃除するために部屋を出されているのではないかと思います。

徘徊グセがあるのか、しょっちゅう義母の部屋に勝手に入ってきていた女性も、最近突然車椅子に座っていて驚きました。あんなにおしゃべりだったのに、いつ見ても車椅子で目を閉じて眠っているような感じです。
義母も施設で転んで大腿骨を骨折してからは車椅子になりましたが、他の方から見ると、まだちゃんとしているし元気そうに見えます。

義母は毎回、持参したりんごを
「美味しい、美味しい」
と喜んでくれますが、最後には必ず

「この前のりんごの方が美味しかった」
と言います。

この前というのが、前回のことなのか、昨年のことなのか、いつのことなのかはわかりません。

自分が子どもの頃に母親が切ってくれたりんごのことを言っているのかもしれない、と、義母の無邪気な笑顔を見ていて感じました。



最後までお読みいただきありがとうございます<(_ _)>


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