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「366日(第5話)」確かに記憶喪失が人生のリセット的なドラマを作り出すということはあるよね

父親の北村一輝とのキャッチボールで、父親の記憶を思い出す眞栄田郷敦。なかなか、テーマ曲も被せながら、涙腺崩壊シーンになっていた。今回は、記憶を失くして目覚めてから、その記憶が少し戻ってくるまでを、なかなか手際よくまとめていていた。このドラマ、大きなドラマはないが、徐々にギアチェンジしていて、多分、テーマはやはり、高校の夢見る時代をもう一度振り返って、今いる苦境から前に進むということなのだろう、そう、多くの同じ世代に向けて・・。

しかし、このクールに記憶障害のドラマが、重なって出てくるのは、ただの偶然ではない気がする。今の日本という国が、記憶喪失にもなってリセットしたい人が多いということではないだろうか?このドラマでは、12年前と今を繋げるわけだが、その間を記憶をなくすものが一人でることで、その12年間のことを皆が必死に思い出し、考えても無意味だと思っていることに思いを向ける。多分、そうすると、今の自分がここにある意味がわかってくるのだ。そう、そこから、ではどの未来に進むのだというドラマが展開しやすい。世の中では、失われた30年とかいうが、そんな言われ方をしても、今30歳の人に取ったらかけがえのない人生である。簡単に「失われた」などというマスコミにはそんな人の気持ちはわからないだろう。つまり、過去に囚われ前を見ない人々には、失われたままの記憶しか残らない・・。

このドラマ、前にも書いたが綱啓永が仲間に戻ってきてから、ギアチェンジされてきている。2回目までで見るのをやめた人には可哀想なことだったが、久々に月9で見たいようなドラマが展開されてきている。本当に、見るのをやめた人は、今からでも遅くない、このドラマ見ると、色々と優しさを感じられますよ、戻っておいで。

それは、今回の眞栄田が事故する原因になった少年が花を届けてくる話から、結果的には病院からいなくなった彼を助け、そして、キャッチボールをするまでの話に持っていくところなど、お見事。そう、人間のサークルというのは、不幸と幸福がちょっとした差の中に収まってくる。それを現実化するのは、お互いに対する愛であり、その前に自分を愛することだということが、この小さなシークエンスの中にすごくうまく詰まっていた。

あと、眞栄田郷敦の記憶障害演技は、他のドラマでそれを演じてる俳優と比べると群を抜いていたという気はする。目が定まらない演技もすごいのだが、リハビリで挫けるところとか、まだ記憶が戻らないのに集まってくれる人たちへの敬意とか、親に対する対応とか、たまらなく心を刺激してくる感じはすごい。本当に、彼はすごい俳優に化けていきますよね。

ラスト、看護師の夏子が持っていた眞栄田の高校時代の名札は、何をあらわしているのか?やはり、彼女には眞栄田に対する恋心がある?さあ、新たな展開も期待が持てるドラマになってきましたね。


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