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「君が心をくれたから(第11話)」一緒にいられる時間ができた奇跡ということだろうけど、何に感動すればいいのか分からない。

永野芽郁と山田裕貴の高校の時から惹きあっていた二人が、大人になって結ばれるのに、どちらか一人があの世に行かなければいけなかったというファンタジー。それだけのドラマだった。そう、そのファンタジーを11回もの時間を使って、音楽をたっぷり流しながら、どうだ!こんなに感動できるものを作ったとばかりに月9で流して、どういった反応があるか?試したみたいなドラマでしかなかった。

永野に暗い過去を負わせた母親の真飛聖までが、最後には永野芽郁を応援して、少し、意地悪な心はあっても、演者が皆、とても善人であり、とても良い笑顔を見せながらワンクールドラマを彩ってきた。そういう意味では、どのシーンをとっても、ある意味前向きであり、見ていて心地よかった作品だったのかもしれない。舞台になる長崎はさまざまな意味で、心を穏やかにする空気感があるし、それと裏腹に過酷な過去を背負っている街である。それをバッグに演者が思いっきりいい顔でいたという印象は悪いものではないが、面白くはないだろう。

最後にわかったのは、つまり、山田が死に、それを助けた永野が3ヶ月でが五感を失くすという、何度考えても変な約束をした。そして、その3ヶ月が二人の恋の延長戦であり、その3ヶ月で二人が寄り添って愛を確認できたことが「奇跡」だったということらしい。

とはいえ案内人、松本若菜は二人のために月に溶けて成仏した感じがするが、斎藤工の汚らしさと貧乏臭さは最後まで変わらなかった。こういう汚らしい霊みたいなものには会いたくないと私は明確に言える。そう、永野と山田の不幸は彼に出会ってしまったことと言って間違いない。

で、脚本家がどう思って書いていたかは知らないが、永野の五感が失くなるシーンは、人が逝く時とあまり変わらなかった。皆がどうなるの?と思ったところがちゃんと演出しきれないのはダメであろう。まあ、そこから、五感が戻るというシーンは描きやすいのかもしれないが、感動的ではなかったよね。

そして、前回、永野が見れたのかどうか曖昧な感じだった、山田の花火がもう一度上がる。美しく、赤く。それはそれでというか、このドラマの中でここで結果が出せた感じのシーンではあったが、そこに山田が存在しないのは、見ている方としては、どう思えば良いのかよく判らなかった。

まあ、最後に永野は地元で、パテシエとして働いている。今度は、何も苦労がなかったかのように。それを見て、よかったねと視聴者が思い、そこに雨が降って、山田が遠くから見ているよというようなラスト。綺麗に仕上げてはいるが、中身がない。そう、私たちの脳裏に残る画像はあるが、心に残るものが何もないドラマだった。

こんな脚本なら、高校生でも書ける。「不適切にもほどがある」で語られることではないが、コンプライアンス的に削っていったら、こうなったみたいな能書はいらないよ。ただただ、面白くはなかったですよということをスタッフの皆様に伝えたい。

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