見出し画像

バブル時代前後の銀行と商社の審査業務の違いを考える!

皆さん、今年のゴールデンウィークは如何お過ごしですか?

さて、本日はバブル経済時代における、銀行と商社の審査業務のあり方の違いについて、簡単に触れてみたいと思います。

ここでは、両者の優劣を述べることをポイントには置いておらず、当時の「リスクの取り方」の違いについて説明することに重きを置いているものであることを、まずはご承知置き下さい。

私が1990年4月に入社した頃の総合商社の審査部では、まだ与信管理業務が主軸であって、今のような大型プロジェクト物主体の投融資案件はまだ申請件数としては僅かで、商品やサービスの売買に軸を置いた与信取引がメインでありました。懐かしい時代です。

そして同じ債権者の立場に立つ銀行とのせめぎ合いがしばしば起こっている世界でした。ビジネス遂行上、必要な運転資金や設備資金を供与する立場にある銀行がある意味、お金の貸し手としてど真ん中の立場におられて、いつも与信の裏付けとなる不動産担保等は第一順位の担保権設定者として存在していたのでした。

ご存知の通り、バブル経済時代における担保と言えば、当時価格が右肩上がりであった不動産を取得するのがごく当たり前のように行われていた時代でした。

そこで、我々商社よりも先順位で銀行(メイン行やサブ行)が不動産担保を付けていることがごく普通であり、その意味では、銀行はほぼフル担保での与信を保証されておりました。

銀行の与信管理は、一言で言えば、フル担保で保全されている世界であり、商社の立場から見て非常に羨ましく思えたのと同時に、それは他方でどこか緊張感に欠けるものにも見えていました。ただ、一度メインバンクの立場になれば、ある意味、対外的には運命共同体的な要素が強くなるわけで、そう簡単に融資を引き上げにくくなるということは十分に理解しておりました。

また、銀行は、立場上、毎月の「月次試算表」を入手できる立場にあり、与信先の業況推移について詳細をタイムリーに把握できる立場にいたことになります。この点でも商社は、大きく劣後した立場におりました。年次決算につきましても、税務申告書付き諸勘定明細を入手されたいたものと推察します。

通常、商社は、第二順位以降での不動産担保の取得に留まることになるので、フル担保というケースはごく稀で、机上評価の世界ではありますが、常に一定のリスクを背負っての与信取引を行っておりました。

斯様に、同じ与信管理の世界にいても、明らかに銀行と商社では「リスクの取り方」が異なっておりました。ただ、このことが審査マンとしての実力養成に貢献してくれたことは間違いありませんでした。

商社の与信管理は、常に「リスク・リターンの発想」の下で行わざるを得ず、ある意味、最初からリスクを取ることを前提にした与信管理を実施していたことを今になって痛感しています。常に、緊張感の中で、与信取引の可否を判断することは、審査マンとしては大きな腕の見せ所になるとも確信しました。

与信先の信用力に応じて、マージン率(取扱利益率)を上下させることは当然のこととして、同時に、実際の担保価値があるかどうかは別にして、不動産担保以外の様々な担保・保証を取得することも模索しつつ、必要に応じて、営業部と共に訪問調査を積み重ね、与信先の実態・動向把握に努めておりました。

時はバブル経済崩壊後の銀行業界の変遷は、皆さまもご存知の通りかと思いますが、与信を実行した時には担保価値がフルに見込まれていた不動産評価額は、バブルの如く、軒並み消失して大きく下落する事態に直面し、銀行がフル担保と確信していた担保価値が大きく毀損し、与信先の破綻と共に、銀行でも焦付が多発することになったのでした。

勿論、当時、商社も多くの貸倒損失を蒙りましたが、基本的にはどれも納得感のある引っ掛かりが中心でありました。与信管理の判断において、担保取得を前提にした与信供与を実施してこなかった商社は、常にリスクに晒された中での与信管理を実施してきたわけであり、リスクリターンの発想の下で、与信先の信用状態に応じてメリハリの効いた管理を励行し、取引撤退の際の逃げるスピードも実に早かったと自覚しております。

「担保は与信を生まず」、この名言を実感したバブル崩壊時の与信管理の世界でした。

与信管理コンサル 髙見 広行