20世紀の歴史と文学(1934年)

満州事変から政治家の暗殺まで、ちょっと重い話題が続いた。

第二次世界大戦が勃発した背景にどういった動きがあったのか、いろいろと分かってきた人もいるだろう。

今日は、ちょっと一息入れる感じで文学の話題に入ろう。

本シリーズの1930年でも取り上げたが、世間を騒がせた谷崎潤一郎の再登場である。

その谷崎潤一郎だが、『文章読本』(ぶんしょうどくほん)という随筆を1934年に発表した。

『文章読本』とは、小説家が読者向けに文章の書き方を分かりやすく解説した読み物であり、川端康成や三島由紀夫も、谷崎潤一郎と同様の解説書を刊行している。

ただ、谷崎潤一郎は戦前に発表しており、川端康成や三島由紀夫は戦後である。いわば、谷崎潤一郎が先駆者のようなもので、当時、川端康成は谷崎潤一郎の『文章読本』を絶賛した。

谷崎潤一郎と同じ戦前に『文章読本』を発表した作家には菊池寛もいるが、谷崎よりも3年遅れだった。

谷崎は、古典の『源氏物語』や『更級日記』にも言及して文章の書き方を説明しているが、それだけでなく、志賀直哉の『城の崎にて』も取り上げている。

興味がある人は、アマゾンでも購入できるので、一度目を通してみると良いだろう。

さて、この年、日露戦争でロシアのバルチック艦隊と戦って大活躍した東郷平八郎が亡くなった。

86才だったが、昨日の記事でも触れたロンドン海軍軍縮会議でも、海軍の幹部は東郷の権威を利用していた。

東郷平八郎は、国民的英雄であり、海軍の誇りでもあった。

その東郷が亡くなったとき、全国から見舞いの手紙がたくさん寄せられたのだが、小学生の子どもが「東郷元帥でも死ぬの?」と書いたメッセージが話題になったという。

また、海外でも、イギリスやドイツなどで東郷の死はニュースになった。

晩年は、盆栽や囲碁を楽しんでいたという。

東郷がもし戦後まで生きていたら、日本の敗戦をどう受け止めただろうか。

東京の渋谷区と、福岡県の福津市には、東郷平八郎を祀った東郷神社がある。

国民に愛され、国葬が執り行われたというが、今では考えられないくらい、軍人に対する尊敬の念を、日本国民の多くが当たり前のように持っていたのである。





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