現代版・徒然草【95】(第115段・復讐)

鎌倉は、神奈川県にある。同じ神奈川県の川崎市には「宿河原」という地名があり、JR南武線の駅もある。

そこで実際に起きた事件なのかは700年も昔となると分からないが、復讐のためにやってきた人がいた。

では、原文を読んでみよう。

①宿河原(しゅくがわら)といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品(くほん)の念仏を申しけるに、外(ほか)より入り来たるぼろぼろの、「もし、この御中(おんなか)に、いろをし房(ぼう)と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候ふ。かくのたまふは、誰そ」と答ふれば、「しら梵字(ぼじ)と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。
②いろをし、「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫ぬき合ひて、共に死ににけり。 
③ぼろぼろといふもの、昔はなかりけるにや。
④近き世に、ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、その始めなりけるとかや。
⑤世を捨てたるに似て我が執(しゅう)深く、仏道を願ふに似て闘諍(とうじょう)を事とす。
⑥放逸(ほういつ)・無慙(むざん)の有様なれども、死を軽くして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしまゝに書き付け侍るなり。

以上である。

①②は、そんなに難しい文章ではないと思うが、「いろをし房」という者を訪ねて、よそから宿河原に「しら梵字」という者がやってきたということは分かるだろう。

しら梵字は、自分の師がいろをし房に殺されたので、恨みを晴らしに決闘を申し込んできたのである。

いろをし房は、受けて立つことにしたが、周りの者には「どちらにも味方するな。仏事の妨げになるし、道場も血で汚れる。」と言って、しら梵字と二人だけで河原にて決闘したのである。

二人はともにお互いを斬り合い、そろって死んだというが、互角の戦いだったのだろう。

③から⑥までは、しら梵字やいろをし房のような「ぼろぼろ」についての解説である。

要は、浪人みたいなものであろう。

仏道修行の身で世捨て人でありながら、執念深いところがあり、争いを好んでいると、兼好法師は言っている。

しかし、いつの時代でも、復讐による殺人というのは、なくならないものである。だからこそ、本来避けるべき戦争が、現代もなお起こり続けるのだろう。



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