古典100選(38)今鏡

本シリーズも38回目になったが、初回に取り上げた作品を覚えているだろうか。

今日は、初回の『大鏡』に続く『今鏡』の第1巻(帝紀)の冒頭の紹介をしよう。

では、原文を読んでみよう。

①後一条の帝とは、前の一条院の第二の皇子におはします。
②御母上東門院、中宮彰子と申しき。
③入道前太政大臣道長の大臣(おとど)の第一の御娘なり。
④この帝、寛弘(かんこう)五年長月の十日余り、一日(ひとひ)の日生まれさせ給へり。
⑤同じ年の十月十六日にぞ親王の宣旨聞こえさせ給ひし。
⑥同じ八年六月十三日東宮に立たせ給ふ。
⑦御年四つにおはしましき。
⑧一条院位去らせ給ひて、御従兄弟(いとこ)の三条院東宮におはしまししに、譲り申させ給ひしかば、その御代はりの東宮に立たせ給へりき。
⑨かの三条院位におはします事、五年ばかり過ぐさせ給ひて、長和(ちょうわ)五年睦月の二十九日に、位をこの帝に譲り申させ給ひき。
⑩御年九つにぞおはしましし。
⑪さて東宮には、かの三条院の式部卿の皇子(みこ)を立て申させ給へりき。
⑫摂政は、やがて御祖父の入道大臣、左大臣とて前の帝の関白におはしましし、引き続かせ給ひて、次の年の三月に、御子の宇治の大臣、右大将と聞こえさせ給ひしに、譲り申させ給ひにき。
⑬その日やがて、内大臣にもならせ給ふと、聞こえさせ給ひき。

以上である。

これくらいの書き方だと、現代の私たちも、文章の意味が分かりやすくなっているだろうか。

『大鏡』は、道長の全盛期までの様子が描かれているが、『今鏡』は道長の晩年(後一条天皇の時代)から高倉天皇の時代(1170年)までの帝紀(=天皇の系譜)や貴族社会の様子が描かれている。

ご存じの方もいると思うが、『大鏡』『今鏡』のほかに『水鏡』『増鏡』(ますかがみ)もあり、これらは合わせて「四鏡」(しきょう)と言われる歴史物語となっている。

とりあえず、①②③を読むと、後一条天皇は一条院(=一条天皇)の2番目の皇子であり、母親が藤原彰子で藤原道長の娘だと説明されているのが分かるだろう。

そして、④の「寛弘五年長月の十日余り、一日の日」というのは、1008年9月11日(→陰暦なので実際は10月12日)のことであり、この日に後一条天皇は生まれたと言っている。

⑨では、長和五年睦月の二十九日が1016年1月29日となるから、⑩の文と合わせて読むと、この日に数え年9才で即位したことになる。

⑫の文では、「摂政は御祖父の入道大臣」となっているので、道長が前の帝(=三条天皇)の関白から引き続き担当し、次の年の3月に、御子の宇治の大臣(=道長の子どもの藤原頼通)が引き継いだと言っている。

藤原頼通は、最後の⑬の文のとおり、内大臣にもなっている。

後一条天皇が生まれた頃は、紫式部の『源氏物語』が成立した時期である。

そして、NHKの大河ドラマ『光る君へ』に、これから藤原頼通も登場するだろう。

大河ドラマと並行して、『大鏡』や『今鏡』などを読んでみるのも良いだろう。


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