ランナウェイ

自然が好きです。暑いところより涼しいところ、雪が降らないところより降るところ。そういっ…

ランナウェイ

自然が好きです。暑いところより涼しいところ、雪が降らないところより降るところ。そういったところで、自然に囲まれてのんびり暮らすのが夢です。その日がくるまで、あと何年?

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スマホやパソコンで気軽に文書やメールが作成できる時代に、あえて手書きで何かを書いてみませんか? このサークルでは、書いたものを写真に撮ってアップし、みんなで共有します。 字の上手下手は、関係ありません。好きな作家の小説や詩の1行を書くのもよし、座右の銘や誰かへのメッセージを心をこめて書いてみるのもよし。 誰でも参加できます。

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マガジン

  • 【続編】飛鳥・奈良時代からの歴史をたどる〜20世紀の文学まで

    好評につき、続編を室町時代中期からスタートしています。歴史は覚えるものではなく、その時代に生きた人物のストーリーをつなげていきながら理解していくとおもしろいです。また、20世紀は、文学も紹介しながら1年ごとに時代を振り返っていきます。

  • 文学探訪・古典100選

    最初の23回は、テーマを決めて、毎回2人の作者の小説を比較する形で紹介しています。 その後、「古典100選」シリーズとして、江戸時代以前の文学も紹介しています。気になる作者や作品があったら、ぜひ読んでみてください。

  • ヴァイオリンで唱歌を奏でよう

    ヴァイオリンを独学したい初心者向けのシリーズで、コンパクトにまとめました。ただし、一度はヴァイオリン上級者のチェックを受けることをお勧めします。 その後、唱歌の歴史にも触れていただき、クラシックのみならず唱歌もヴァイオリンで美しく演奏できるようになれば幸いです。

  • 法の下に生きる人間

    時代の移り変わりとともに、さまざまな法律が作られたり、改正されたりしている中で、国の最高法規である憲法は、本シリーズ開始時点ではまだ一度も改正されないまま、今日に至っている。 しかし、憲法が改正された場合、既存の法律はほとんど影響をことになるし、私たちの生活も変わってくる可能性がある。 本シリーズでは、将来の憲法改正を見据えて、どういったことを考えておく必要があるか問題提起していくことを目的としている。

  • 47都道府県と20政令指定都市の旅

    日本各地を飛行機や船、電車やバスで旅しながら、それぞれの都道府県の魅力を発信しています。都道府県ごとに短歌も詠んでいます。あなたは、訪れたことはありますか?

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奥の細道と東海道中膝栗毛

旅は、今も昔も人々の楽しみである。 奥の細道は、江戸から東北を回って北陸道を西へ進み、今の岐阜県大垣市まで松尾芭蕉が歩いた記録として書かれている。 この紀行文は、1702年に刊行された。 そして、100年後の同じ江戸時代に、十返舎一九が書いた東海道中膝栗毛が出版された。 これは、江戸から東海道を西へ進み、伊勢参りをしたあと、京都、大阪、四国、宮島まで行って、帰りは木曽街道を通り、安曇野、善光寺、草津温泉と順番に寄りながら江戸まで戻ってきたという。 昔の人のように、何

    • 20世紀の歴史と文学(1936年)

      1936年2月26日、恐るべき事件が起こった。 二・二六事件である。 犬養毅が暗殺された五・一五事件は、刺客は10人もいなかったが、二・二六事件は、規模が違った。 皇道派の陸軍青年将校たちが1500人近くの下士官を率いて、政府要人らを襲撃し、永田町や霞が関一帯を占拠したのである。 狙われた政府要人たちの名は、斎藤実元内閣総理大臣(=海軍退役大将)、当時の内閣総理大臣だった岡田啓介、岡田内閣の蔵相だった高橋是清、後に日本がポツダム宣言を受諾した当時の内閣総理大臣になる鈴

      • 古典100選(38)今鏡

        本シリーズも38回目になったが、初回に取り上げた作品を覚えているだろうか。 今日は、初回の『大鏡』に続く『今鏡』の第1巻(帝紀)の冒頭の紹介をしよう。 では、原文を読んでみよう。 ①後一条の帝とは、前の一条院の第二の皇子におはします。 ②御母上東門院、中宮彰子と申しき。 ③入道前太政大臣道長の大臣(おとど)の第一の御娘なり。 ④この帝、寛弘(かんこう)五年長月の十日余り、一日(ひとひ)の日生まれさせ給へり。 ⑤同じ年の十月十六日にぞ親王の宣旨聞こえさせ給ひし。 ⑥同じ八

        • 古典100選(37)狭衣物語

          北海道の桜の季節も終わり、すっかり春は遠ざかってしまったが、来る夏本番を迎える前に、もう少し春の余韻に浸ってみたい。 今日は、『狭衣(さごろも)物語』である。 注目してほしいのは、先週紹介した『源氏物語』と『俊頼髄脳』の一場面に出てきたワードが、下記に紹介する『狭衣物語』にも登場するので、ぜひ見つけてほしい。 では、原文を読んでみよう。 ①少年の春は、惜しめども留まらぬものなりければ、弥生の二十日余りにもなりぬ。 ②御前(おまえ)の木立、何となく青み渡れる中に、中島の

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        • 【続編】飛鳥・奈良時代からの歴史をたどる〜20世紀の文学まで
          135本
        • 文学探訪・古典100選
          60本
        • ヴァイオリンで唱歌を奏でよう
          41本
        • 法の下に生きる人間
          100本
        • 47都道府県と20政令指定都市の旅
          69本
        • 現代版・徒然草(2023年は土日限定シリーズ)
          102本

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        記事

          20世紀の歴史と文学(1935年)

          1935年には、内閣総理大臣が斎藤実から岡田啓介に代わっていた。 斎藤実は、おとといの記事でも最後に触れたが、翌1936年に暗殺されることになる。このときは、まだ生きていた。 岡田啓介もまた、海軍の出身であり、田中義一内閣と斎藤実内閣では、海軍大臣を務めた。 この岡田も、実は、斎藤実とともに命を狙われることになるのだが、かろうじて助かった。 そして、岡田が戦後まで生き延びたことで、今の日本があると言っても過言ではないくらい、非常に重要な存在であった。 1935年は、

          20世紀の歴史と文学(1935年)

          20世紀の歴史と文学(1934年)

          満州事変から政治家の暗殺まで、ちょっと重い話題が続いた。 第二次世界大戦が勃発した背景にどういった動きがあったのか、いろいろと分かってきた人もいるだろう。 今日は、ちょっと一息入れる感じで文学の話題に入ろう。 本シリーズの1930年でも取り上げたが、世間を騒がせた谷崎潤一郎の再登場である。 その谷崎潤一郎だが、『文章読本』(ぶんしょうどくほん)という随筆を1934年に発表した。 『文章読本』とは、小説家が読者向けに文章の書き方を分かりやすく解説した読み物であり、川端

          20世紀の歴史と文学(1934年)

          20世紀の歴史と文学(1933年)

          犬養毅が総理大臣になる前、犬養毅が所属していた立憲政友会は野党だった。 今で言うならば、例えば、立憲民主党が自民党を国会で非難するようなものであり、犬養毅は、当時の濱口雄幸(はまぐち・おさち)内閣に対して、ロンドン海軍軍縮条約の締結に反対していた。 濱口雄幸は、昭和天皇に叱責されて総辞職した田中義一内閣の後を継いだのだが、このときは、1929年7月だった。 本シリーズですでに触れているが、1929年は世界恐慌が起きた年である。 ロンドン海軍軍縮会議は、翌1930年1月

          20世紀の歴史と文学(1933年)

          20世紀の歴史と文学(1932年)

          昨日の記事で触れたとおり、日本はこの年の2月に、満州全土の占領をほぼ完了した。 つまり、柳条湖事件を起こしてから、次々と周辺を制圧していったわけだが、この占領行為にアメリカが口出しをしていた。 当時の国務長官だったスティムソンの名を取って、「スティムソン・ドクトリン」が1932年1月にアメリカから、日本に対して通告された。 このときから日米関係はぎくしゃくするようになったのだが、このスティムソンが、実は第二次世界大戦が終わるまでの日米関係のキーマンの一人だった。 「ス

          20世紀の歴史と文学(1932年)

          20世紀の歴史と文学(1931年)

          今日から2週連続で、1931年から1940年までの期間を一気に駆け抜けていくことにしよう。 ご存じのとおり、太平洋戦争が始まる前年まで、軍部の台頭によるさまざまな出来事がこの10年間に起こった。 そして、1901年にお生まれになった昭和天皇にとっては、まさにドンピシャの30代だったのである。 第二次世界大戦は、のちに昭和天皇の戦争責任について議論になったが、よく考えてみると、昭和天皇は戦争をほとんど知らずに育っている。 明治天皇は、幕末の戊辰戦争のとき16才、日清戦争

          20世紀の歴史と文学(1931年)

          古典100選(36)俊頼髄脳

          今日は、紫式部と親交があり、藤原彰子に仕えていた伊勢大輔(いせのたいふ)が出てくる古典作品『俊頼髄脳』(としよりずいのう)を紹介しよう。 藤原彰子は、知る人ぞ知る藤原道長の長女であり、一条天皇の后であった。 念のために言うと、伊勢大輔は女性であり、有名な歌人なので、彼女の和歌も百人一首に入っている。次の歌である。 いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな さて、『俊頼髄脳』の説明だが、これは源俊頼(みなもとのとしより)が書いた歌論書

          古典100選(36)俊頼髄脳

          古典100選(35)源氏物語

          唱歌の架け橋シリーズで、昨日は『源氏物語』に触れる機会があった。 せっかくなので、今日はその『源氏物語』の第24帖の「胡蝶」の巻の一部を紹介しよう。 『源氏物語』は、紫式部が1008年頃に発表した一大長編物語である。全部で54帖がある中で、「胡蝶」の巻は、源氏の君が36才になったときの春の出来事から始まっている。 当時の人々のみならず、現代においても平安時代の貴族社会を知る上で貴重な文学作品である。 では、原文を読んでみよう。 ①弥生の二十日あまりのころほひ、春の御

          古典100選(35)源氏物語

          唱歌の架け橋(第5回)

          高野辰之や岡野貞一による『春の小川』や『朧月夜』などの文部省唱歌は1910年代初めに作られたが、この時期よりも前の1900年代に、すでにいくつかの唱歌や童謡は作られていた。 中でも、滝廉太郎の作曲によって生まれた曲は、有名なクラシックであるヴィヴァルディの『四季』を想起させる。 ピンときた方は、もうお分かりだろう。 そう、この歌のタイトルは『花』である。 それでも思い浮かばない場合、作詞者の武島羽衣(たけしま・はごろも)が着想を得たとされている『源氏物語』第24帖の「

          唱歌の架け橋(第5回)

          唱歌の架け橋(第4回)

          今日は、昔から多くの人に愛され、今でも訪日外国人に注目されている山に関わる名曲を紹介しよう。 そう、誰もが知っている富士山である。 『春の小川』と同様に、1911年(=大正元年)に作られた文部省唱歌が『ふじの山』であるが、作曲者は不明である。 作詞は、児童文学者の巖谷小波(いわや・さざなみ)である。 今回は、1番と2番の両方の歌詞に注目したいと思う。 【1】 あたまを雲の 上に出し 四方(しほう)の山を 見おろして かみなりさまを 下に聞く 富士

          唱歌の架け橋(第4回)

          唱歌の架け橋(第3回)

          「菜の花や月は東に日は西に」という有名な俳句を詠んだのは、知る人ぞ知る与謝蕪村である。 1774年に、兵庫県神戸市の摩耶山で詠まれた句だとされている。 それから140年が経った1914年(=大正3年)に、高野辰之作詞・岡野貞一作曲によって『朧月夜』(おぼろづきよ)が誕生した。 昨日と同様に、歌詞がいくつの音で構成されているか見てみよう。 1番の歌詞を、今日は漢字交じりで紹介する。 菜の花畠(ばたけ)に 入日(いりひ)薄れ 見わたす山の端(は) 霞(かすみ

          唱歌の架け橋(第3回)

          唱歌の架け橋(第2回)

          今でも親しまれている唱歌『春の小川』は、1912年に発表された。大正元年のことである。 作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一であり、この歌ができてからもう112年が経とうとしている。 一番の歌詞だけ、ひらがなで確認してみよう。 はるのおがわは さらさらゆくよ きしのすみれや れんげのはなに すがたやさしく いろうつくしく さけよさけよと ささやきながら 以上である。 ひらがなで文字数を見ると分かるように、これは7音で構成されるフレーズが繰り返されて

          唱歌の架け橋(第2回)

          唱歌の架け橋(第1回)

          現代の私たちが、平安時代に詠まれた和歌を日常的に詠むことは、まずない。 平安時代の人々は、三十一文字(みそひともじ)の和歌に、自然美への感動や望郷の思いなどを込めて、自分の心の中の見えない部分を言葉にして相手に伝えたり、相手と思いを共有したりした。 今の私たちは、数々のアーティストが作る歌を、テレビやラジオ、ユーチューブなどで知り、彼らの歌に共感する輪が広がることで、その歌は多くの人たちに知られていく。 ただ、私たちが当たり前のように口ずさんでいる現代の歌は、戦後の高度

          唱歌の架け橋(第1回)