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la la la 43. 才能の”ある” ”なし”は成功とあまり関係がないこと(By も)

こんにちは。ひさしぶりに by経験、Byも。
才能の”ある” "なし”は、成功とあまり関係がない。文字にしてみると、
バカにしてんのかってくらい「あたりまえ」のことなのですが、意外とじぶんのことになると「才能がないかもしれない」ことや「向いてないかもしれない」ということに囚われて、囚われた結果、立ちすくんだまま、前に進めない人が多いのではないかなって思うのです。
今日ちょっと長くなってしまったのですが基本的に「とにかく前に進んだもん勝ちだよ」っていう内容です。笑。

例えばこのマガジンをなんでやっているかって、複雑を極めるこの現代社会で、みんなのこんがらがった思考が少しでもシンプルになって「あ、楽しい」みたいな時間が日々の中に増え続けて欲しいなと思っているからなのですが、すこし前はわたしも「でも別に作家として成功をおさめているかというとそうでもないのに、わたしの”お伝え”に他人は魅力を感じてくれるかしら?」と考えたりしました。でもその時に思いました。
「成功をおさめていなくてお金も全然ないのにこんなにHappyって、それこそ語っていいことなのではない!?」笑


世の中の自己啓発本って大体の目標が「成功」や「お金」や「望む人生を手に入れ幸せになる」となっているのだけれど、その「望む人生」が必ず成功やお金と結びついていることによって、
必ずしも「成功」や「お金」を手にはしていないけれど楽しく生きている状態を「幸せ」と思えない、またはお金や成功がないと幸せではない、という逆のアファーメーション(刷り込み)にもなるのではないかなと思うことがあります。
例えばわたしが数年本を出していないと周りは「仕事がうまく行ってないのかな」とか「もう忘れられた作家じゃない?」という感じで心配して、その心配から勝手に「彼女もいろいろ悩める時期なんじゃない?」とか合点していきます。でもわたしは、お金がまあまあ年齢給より多いくらいにあって、連載もたくさん抱えていた頃よりも、今の方が本当に幸せです。
なんていうか「成功をおさめなければならない」という呪縛からたぶん解き放たれたのかなと思うのだけれど。

野心ややる気や、頑張ることや怠惰や努力って、まさにバランスが大事であって、一つの定規で測るものではないと思うのだけれど、
わたしのような最後の体育会系世代の人たちは「目標を低く定めるな」とか「もっと闘志を燃やせよ!」「負けるな!」「頑張れ!」みたいな青春時代を経て大きくなっているので、なんか「苦しい」ことがないと「楽をしている」ような気がしてしまいます。加えて日本という国は、仏教の思想も強くあって、死んで「極楽浄土」なので「生きているということは苦しいということなのです」という感じも多少あって、なんかやっぱりみんな、少し辛い方が良いこと、みたいな感じを持っている気がしていて、
わたしはそれを変えたい。

というのも、これはけしてネガティヴな意味で言っているのではないのですが、これから日本は貧富の差が広がって、やっぱりもっといろいろと厳しい局面に対峙することが増えていくと思うからです。そのたびに「国が」とか「社会が」とか言っていても、それらは大きくて簡単にちょい、とは動かせないので、やっぱり個人が「いかなる状況でも」Happyであれるように、ラララ脱皮してみて欲しいなあと思っているのです。
もちろん「成功もなしにHappyとか言ってるのに全然魅力感じない」という人は、じぶんの”Happy"がはっきりしている人だから、どんどん成功に向かって歩いていって良いと思います。きっとそういう人にとっては、大変なことも「やりがい」であって「幸せ」だからです。

それでここから本題というか(遅!)、タイトルの本来の意味なのですが、
「才能」ってなんか誰しもを惹きつける魔法の言葉みたいな感じで、
「努力」というと、イコール「才能」がない人の選択肢、みたいな感じで魅力減する感じがあるけれど、よくよく考えると「成功」や「達成」という角度からみたら「才能」があまりない方が良いこともあるかもしれない、ということをお伝えしています。
「嫌イヤ!"才能"があってそして"成功"したいの!!!」
そう思う人がいると思うし、それでいいと思っています、自分がそうだったから。笑。ただその場合覚悟しておかなければいけないのは、両方がかけ合わさって自分が「この感じよ!」と感じられる瞬間というのはとても少ないいし、そうじゃない時間をたくさん過ごさなくてはいけないんだよ。ということです。才能があって成功してきたスーパースターが、じゃあ、ワールドカップで得点できるかというと、それを成せる人はとても限られていて、その人にとっての成功がそれであった場合、他者からみたら「十分じゃない!」という状況でも”埋まらない何かを抱え続けている”ような、不幸な気持ちになることはあるということです。

なんか今漠然と思っているのは、才能があったら成功しやすいけど、才能が足りないからこそ道が開けることもあるなあということなんです。

具体例がじぶんのことなのですが、わたしには「書く」ことが得意です。「才能があります」というか「書く」ということをもう4歳位から四六時中やっているからその行為やそこで産み落とされる言葉に疑いがない、といった感じでしょうか。けれどそれゆえ他者からみたら「傲慢」に見えて努力不足に見えてしまう、というところはあるなと思うのです、偉そう、というか、そんな感じ。
自分は例えば大きな賞を獲った小説とか売れてる本を読んでも「これだったらわたしの本のが面白いな」と普通に思うことがあります。じぶんの本が売れなくても「時代がまだついてこないかー」という感じ。笑。
全く自分に落ち度があると思えないのです。出版された本に反省は一つもありません。全部最高と思っています。それはもちろんそこまでとことんやって印刷会社に入れているし、つまり「書く」という行為や「物語」というものに対しては極度に真摯であるけれど、同時に自分の美学や答えが9歳くらいから「完全に」出来上がっているので「成功」や「売れる」という角度から考えた場合に、全く「謙虚になれない」という致命傷を持っています。
(あら、あなたがハルキムラカミさん? わたしは無名だけど面白い小説書いてる ”も” よ! よろしく、みたいな角度になってしまう。笑。)
わたしが思う「これが物語」というのがわたしの中で強くありすぎて、数字がついてこなくたって知らない、て感じになってしまうんですね。
そしてこれはもう正すことができません。
(まだ役者をやっていた頃の方が「売れたい!」「売れるのならば!」ということでやりたくないこともやっていました)

うん、だから、もうこれは、やっぱり自分という読者が納得する小説を時間をかけて書いて、きっとそれは世間と合わないかもしれないけれど、それを繰り返しながらどこかで交点が来るのを待つしかない、そんな感じです。

同時に、このラララを始めてじぶんが気づいたことは、ラララであればわたしはこんなに謙虚になれるのだ!ということでした。笑。

じぶんは霊能者じゃないし、6感がそこまで強いわけじゃないけど使命と、あと運命の流れのみでこれを始めた。だから、なるべく「読みやすい」ように、とか「伝わりやすい」ように、とか、なるべく「目線」があう高さの文章で、とか、「読んでくれた人が少しでも救われてくれたらいいな」と本気で思って、そのための創意工夫や努力を、実は日々、進めています。
この「読者のことを考える」ということは小説モードの自分にはない姿勢だなと改めて思いました。読者と繋がりながら、一緒に育てていくページを意識すること。この姿勢は小説家状態のじぶんにも多少取り込んだ方が良いかもしれない。笑

それでつまり何が言いたかったかというと、圧倒的な美学があることを才能とした場合、折れられないことや、譲れないこともやっぱり多いわけで、つまりはアンチも一定数存在する。同時に強い光も持つ。そしてぐんぐんと道を切り拓き「成功」!となるわけだけれども、それだけが成功のあり方じゃないのではないか、と思うということです。

人と関わり合っているのが前提の社会においては、人と関わりあうことに対しての努力や敬意はとても大切であって。というかもはやそれが全てではないかとも言えるくらいであって。
だからもし、あなたが何か仕事に対して「じぶんにはあまり取り立てて何もないので、とにかく努力だけしています」という感じがあるとき、実はその「努力」こそが、ものすごいものなのかもしれませんよ、ということなのです。「努力」ってそれだけにフォーカスすると非常に地味な印象があるのですが、努力って「それをちゃんと見ている人がいる」ということが、もう魔法の始まりだと思うのですね。

だから、役者なんだけど「あんま芝居うまくないんだ」とか「経理をやっているのに数字が苦手」とかあって「才能ないのかな」と思うとき、その仕事がでもやってて楽しく「向上したい」と思えるものであれば「才能のあるなし」を考えている時間はもはや無駄であって「向上」のために時間を使った方がいい。そしたらウサギとカメじゃないですが、気づけば大きなゴールを切っているのはアナタだったってことがあるのだと思います。
またサッカーの話で申し訳ないのですが本田選手は「サッカー下手、向いてない」「だから?」って感じで、才能がなく下手で向いてないことは、自分がサッカー選手になることとは全く関係がなかったと言っていました。

そんなわけで才能の”ある” ”なし”は成功とあまり関係がないこと。
そしてまた”成功” と”幸せ” もあまり関係がないということ。
紐付けて考えてしまうと、なんかドヨーンとしちゃいます。
**かつ**かつ**という風に「かつ」として掛け算になるからです。

成功して不幸、もあるし、成功しなくて幸せ、もあるし、才能がない成功もあって、才能があるけど成さない、もある。そして最終的には、
どんな状態でもいいから「幸せ」とか「楽しい」を感じられる状況に、あなたが身を置いてもらえたらな、と思います。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
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