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la la la 40. ”手食” のススメ!

こんにちは。昨日、シュメールの続きを書きますと言いましたが、例によってこれまでのla la la を挟むことにしました。手食のススメ。

日本では小さな頃から箸を使う文化があり、「手で食べない!」と怒られてきましたので、皆「手で食べ物を食べる」ことには少し抵抗があると思います。もちろんサンドイッチとかおにぎりとかお寿司とか、手で食べているものもありますが、どれもなんとなく手を汚さず食べられるものであって、じぶんの指でもって食べ物を掴み取り、口に運んでいく行為ではありません。

実はアラビアにひと月滞在したときに初めて体験したのが、この「手でものを食べる」という行為でした。これはアラビアのmandiという、地元の人が食べている料理なのですが、ビニールシートみたいなのを下に引き、左膝を立てて、右手で食べます(左は不浄の手とされている)。
写真にはシルバーが写っていますが、全てとりわけ用のもので、個人のお皿からは手で食べます。
ビリヤニというスパイシーなドライカレーのような食べ物も主流にあるのですが、これは写真に写っている白いヨーグルト的なものと和えながら食べるので、要は、右手にヨーグルトつける、
そのままビリヤニ取る、手のなかでひき肉をこねるような具合にその2つをこねながら口に運ぶ、そんな感じ。

最初は「なんかやましいこと」のような抵抗があっておそるおそるだったわたしたち日本人も、次第に「手で食べること」の悦びに夢中になっていきました。手で食べるということはとても本能的で、欲望的であり、官能的であり、それらがあわさったまさに「生きている!」と感じる命の悦びです。

そして同時にそこには「殺生」が存在しているわけで。

それら全部がこう、こんなにもダイレクトに指先からエネルギーのアタックとしてやってくるんだ、とわたしは驚きました。
一本のフォーク、ひと組のお箸によって、じぶんたちと食べ物は、こんなにも隔たっていたのだと。

まだ、別の日にも屋外で手で食事をする機会が2度ほどありました。
それらは魚を選んで、それを焼いてもらっている間40分ほど外で待っていて、そしてこう、ビリヤニの上にどかん、と乗ってくる形です。

これはランチの時の写真ですが、夜にも同じような食事をした時、
外が暗くなって、本当に暗闇の中、手探りで食事をしました。
指先で「あ、これは骨だ」「これは身だ」というものを感じながら、食べられる部分を見つけて、口に運びます。視界が明るいと自分には抵抗がある魚の目のまわりも、手探りで食べました。
その時にこう「いのちのぬくみ」を感じました。
指先からビシビシ伝わってくる「命」のエネルギー。
それに触れた時、
なんか「おいそれと残せないぞ」という気分になりました。
なんていうか、死んでいるものだけれども生きている。
決してぞんざいに扱ってはいけないんだと、ハッとするような感じです。

こういった感じを、繰り返しになりますが一本のフォークが、中に仲介する道具が、消してしまうのだなと思いました。

手を通していろんなことを感じながらそれを食す。
なんて大事なことなんだろう。
その時そう思いました。

そしてまたこれは、先日お話しした「食べることが怖い」人にも、いい体験だろうなと思いました。
殺生をしてそれを食べ生きている。残酷な行為なのですが、
手を通して伝わってくるものには、こう「光」に近いものがあるのです。
そして「食」を恐る気持ちを上回る「生」のパワーがそこにはあって。
だからこそ、ちゃんとしなきゃと思うのですが。

そんなわけで手食のススメ。
すこし抵抗ある人は、たとえばピザとかを、美しくではなく、ぐちゃぐちゃに食べるようなことからでもいいかもしれません。笑。
ぜひ一度、お試しあれ!

これは食べることだけではなくってグラウディングのススメでもあります。
靴というたった数ミリ〜1センチのものが、やはり一本のフォークのように、わたしたちと世界を隔てています。
裸足で歩けるような場所はぜひ、時々裸足になって、
大地を感じてみてください。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
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