ラララ世界_180608_0023

la la la 4. 誰かに言われた言葉について(by も)

こんにちは。これまでだいたいどのタイトルにも(by 東の魔女)として書いてきました。タイムラインでみた時にマガジンの区別が一目でつくと読者が便利だろうなあと、他の人のタイムラインなどを見ていてそうしようと思ったのですが、よく考えると日々更新しているのは「東の魔女の暮らし」であるから、そうじゃない投稿をした時に(by ラララ世界)などして区別をすれば良いのだ、と思いまして「東の魔女」に関しては(by ラム子)と(by も )に分けることとしました。

この突然現れた ”も”って何か。これはわたし自身の声でお伝えしているもののことです。
先日「世界の声というよりわたし自身の声として書いた」回がありました。
このnoteにおけるわたしの最大の目標はなるべく読んでくれる人の心にすっと入って行く言葉で智慧やコツを語ることです。そういった中で特に人間関係や対人関係にまつわることは「世界の声」という、なんとなく上から降ってきてくれるものではなく「わたしの声」として、日々と地つづきのところから、経験として立ち上ってくる方が、読者にとって受け入れやすいのでは? と思いました。なぜならその言葉には「経験」という根拠があるからです。

先にも語りましたが、わたしなんかが偉そうにお伝えできることなんてあるのだろうかと、このページを開設する前に色んな角度から検証してみました。その時に『アルスー生活におけるArtつまり智慧ー研究家』であると同時に、日々人を描き続けている”人担当”の小説家、しかもどちらかというと日々、市井の中で生きているモノ書きとしてなら、お伝えできることがあるのではないかと思ったのです。なので「ラララ世界の声」はラム子が、
ラララ世界へ導く「人と人の出来事」に関しては「も」が、お伝えしていきます。「も」は、物語作家としてのわたしの名前の頭文字です。
今日を機にバックナンバーも仕分けしておきますね。
その中で「ラム子」の語りが必要な人と「も」が必要な人と、分かれてくる場合もあるかもしれないね。

さてさて。人間関係のことは、くりかえし丁寧に語って行きたいと思うのですが、今日ちょっと文字数の関係で、タイトルはこんな感じになりましたが、お伝えしたいことは、誰かに何かを言われた時にその人の『人格』と『発言の内容』を分けて考えると良いです、ということです。
今回の言われた、は「こういうところがよくない」とか「こうしたら」とか「君は間違っている」とか、何かアドバイスや方向修正やあなたのやり方への発言を主に扱っていきます。

なんとなく受け取る側って『相手』と『発言』を掛け算して受け取っているケースが多いと思うのです。
尊敬している人が言ってくれたことだったら「すっごくそうだな」と思って心に深く入りすぎてしまったり、また尊敬している人の助言と自分が目指している方向が逆だった時は「うおおおお」と悩んだり、
また『相手』のことを大っ嫌いだったり、バカにしていると、全部が掛ける ”0(ゼロ)" になって「耳を傾ける価値もない」ってなったりしてしまいます。このバイアス(偏り)は真実をくすませてしまいます。つまり、言われた時のじぶんの「感情」が「その発言の価値」を決めてしまうからです。
けれどもこれが結構ラララ世界の不思議で、そういった人にご神託が降りて、その「キライな人」や「見下している人」があなたへのメッセンジャーの役割を果たしていることもあるのです。
どうしてあえてそういった人に”世界”が"la la la言葉"を託すのかは、目下ラム子が解明中です。ラム子なりの答えが見えたらまたお伝えしますね。

ともあれ、誰かに何か、心に引っかかることを言われた時、それらを、魚を3枚におろすような感じで、言葉を解剖することをおすすめします。

まず相手に言われた時にじぶんが感じた気持ち、これはとっても大切にしますが、この扱いは最後にします。言葉は言の葉で、言葉という小さな”葉の舟”に相手の想念(気持ち)が乗っていますから、敏感な人ほど言葉の奥の想念を感じ取るので”違和感”とか”なんかやだな”っていうのもストレートに感じるでしょう。Lineとかでも、とても丁寧な言葉が送られてきているのに「なんだろう、むかつく」って感じることがあります。
その感情は、本質を見抜いていますので、絶対、大切にして欲しいのです。
けれどもその本質は、じぶんと相手の関係性や相手の気持ちを見極める、という作業であって、言われた言葉の本質を見極めているわけじゃないってことなのです。

なので言葉を3枚におろす時『相手の想念』『それを言われて発動した自分の感情』『言われた内容』の3つに分けましょう。つまり言葉から、想念を全部引き剥がして、するとそこに「言葉」つまり「事案」だけが残ります。
そして、何かの事象や現象を今現している「言葉」について、冷静に分析してみます。3枚に下ろしていますから、この時じぶんの感情の肉片も、ちょっと別の場所に置いておいてください。この瞬間あなたは世界の言葉を受け取ったことになります。それについてフラットな視点から分析して、それを自分に取り込むか取り込まないか考えてみてください。

すごく強烈な言葉だったけど「想念」を引き剥がしてみたら、大したものは残っていないこともあるし、逆に「結構大事なメッセージだったな」というようなこともあります。言葉と想念は裏腹なことがあります。

以前、まだ知り合ったばかりの人なのに「わたしの生き様」をひどく否定し、指南してきた人がいました。その人は何かを言うとそのあとすぐに「あなたを想って言ってるのよ」「このままだとあなたがかわいそうで」「だって見ていて辛そうだから」みたいなことを繰り返しました。
わたしは何かが変だな、って、釈然としないまま、次の日は1日そのことを考え倒して過ごしました。そして結果、あれらの発言は基本的には、その人がわたしのようには生きられない「妬み」からくるものだったと判断しました。(つまり3枚におろすのに1日かかったのね。敬意を持っていた年上の相手だったので)なぜなら、人は、大切な相手のことを気の毒とか、かわいそうって本当に心痛めている時に、本人に絶対そんなこと言わないからです。小さな子なら反射的に「あらかわいそうに」って、可愛いとかけて言うことがありますが、大切な親友がひどく傷ついている時に「かわいそうに」なんて他人事感溢れた言葉を絶対言いません。(”かわいそうに”に違う想いを乗せて使うことはあるかもしれない)
だから「かわいそう」って正面から繰り返し言ってくる人は、相手の鼻を、何かくじきたいだけの人なのです。これは呪いの一種です。
「あなたのためを想って言ってる」もそうです。その言葉が芯から発動するのは、やっぱり深い付き合いになってからだと思います。距離をとるのも思いやりだからです。出会って間もない人を本当に「想う」場合、聞かれてもないのに余計なことを言わないのが一番の思いやりです。

ちょっと話がそれましたが、このたとえで言うと「じゃあそう言う相手が言ったことだから」と、わたしが、言葉を開封しないで、心のゴミ箱にそれを入れたかというとそうではなくって、3枚に下ろして残った「助言」たちについては、ちゃんと真摯に向き合い考えてみました。けれども結果やっぱり、そこまで取り入れる必要を感じない言葉だなと思い、わたしはじぶんの世界に取り入れることはしませんでした。

向かい合うことが肝心で、言葉を全部取り入れる必要はないのです。
耳で聞き、心に留め置いたり、頭で考える過程が必要であって、
全てを腹に収める必要はありません。
3枚に下ろしてもなお「言葉」は玉石混淆(ぎょくせきこんこう)、
あなたにとって必要な光もあれば、不必要なものもあります。
でも、嫌な相手が「玉」を持ってきたり、尊敬している人が「石」を持ってきたりする場合に、正しい見極めができた方が、あなたの日々にとってはきっと有益だな、と思い、今日はこの3枚下ろしを提案しました。

残った言葉そのものに焦点を当てて書いてきましたが、この作業は、相手が本当はじぶんをどう思っているのか、そしてその相手を、じぶんは本当はどう思っているのかを見極める作業にもなるので、
そう言った観点からも、おすすめです。

それではらるらるらん♪
ラララ世界で、時には市井(しせい)で会いましょう☆ 

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<ラム子より不器用さんたちへ>
「東の魔女」に聞きたいことがあれば、気軽にコメントしてくださいな。
それをテーマに次の記事を書くなど、一緒にこのマガジンを作っていきたいと思っています♪ la la la♪


嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ