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la la la 39. ”シュメールの突先”が始まるわけ(By東の魔女)

こんにちは。今日は新しいマガジンを始めることについてお話します。
少し長くなる上、神社や龍のお話と同じで、何かしらの「知恵」にすぐつながることではないので、お時間ある方どうぞ。

この”la la la 世界” を始めて、とりあえずは呼吸するように記事を綴っていける流れをじぶんの生活に構築するまで、まずはただひたすら毎日更新してきました。それを2日もお休みしたのは、7月から感じ始めていた『この構成では不十分というか、とりこぼしてしまう欠片がある』ということでした。
(これまで読んでくださっている皆さま、投稿一つずつは、一つの”まる”として完結しているものですのでご安心ください)

まず、わたしは霊能者ではなくて小説家であって、霊能者ではないから「シリウスからこういった情報が入ってきています」とか「出羽三山ではなんとか神さんがなんとかとおっしゃいました」というような、直接で有益な指南をすることはできません。けれども同時に小説家という生き物は、やはり独特のコンタクトラインで何かしらの物語をどこかから降ろしてそれを綴る生き物で、一つのチャンネルを持っていることも事実です。そしてそのチャンネルには形は違えど、霊能者たちに降ろされている声とほぼ同じものが入ってきていることも事実です。なのでこの”ラララ世界”を始めてからわたしは、自分が開眼して新しいスピリチャルバイパスを構築するのではなく、
あくまで小説家チャンネルに入ってくる声を徹底的にとりこぼさず受け止めるレシーバーとしての能力を磨くことに集中することにしました。
つまり持っていない力を切り拓くよりも、もともと授かった能力を500パーセントの状態にしよう、と考えたということです。

小説家チャンネルに入るイメージを小説家的にレシーブする、というのは基本的には「そこにあるものを疑わない」「その時理由を考えない」「なぜかわからんがそうだという感じを大切にする」こんな感じです。
例えばセリフを書いている時「なんかわからんがその子がそう言った」という言葉を、思い切って書ける勇気があるかないかは、作家の器が試される大きな課題です。書いているじぶんが予想もしていなかった台詞を書き記したその瞬間から物語の舵取りはじぶんから「得体のしれない何か」にスイッチします。じぶんが思い描いていた展開と全く違うところへ走っている高速のトロッコに乗っているような感じ。
けれど思い切ってそこへ飛び乗ってみると、物語はじぶんが思い描いていたより大きく躍動し、信じられない景色を見せてくれます。デビューした年に、何もわからないまま引き受けたほぼ週刊の連載でこれが起こった時はわたしは本当に恐ろしかった。「続きはどうなりますか」と聞かれてもわたし自身が知らないわけです。ただ本能的に「じぶんで管理できる範疇の物語にこれを矯正すると物語は枯れる」ということを感じていました。枯れる、というかよくできた造花のようになってしまうということ。

前置きが長くなってしまいましたが、実はラララ世界はこの手法で書き続けてきました。なんでこのタイミングでこの写真? なんで今日いきなりこのトピック!? それら全部、理由はわからんけどそうした方が良いっぽい、という「世界の舵取り」に体ごと乗っかって、テイクオフし続けてきたのです。(サーフィン的にいえば。笑)

理由は後からわかってきて、このように時折食べものの写真を入れると、ぐっとページのエネルギーが補強されるーーつまり読者にもあるエネルギーを遠隔で分けられるーー(だから食べ物って大事なんだな)とか、
植物や自然の写真が入ると、すこしエーテルがメンテナンスされるのだなぁ、と、後々マガジンを振り返って読むと納得できることがあって、
ちぐはぐな写真を思い切ってぶっこんでいくことにも少しづつ慣れて行きました。笑。

そんな中でわたしが『この構成では不十分というか、とりこぼしてしまう欠片がある』と考えたのは「東の魔女の暮らし」のマガジンの持つ「知恵を授ける形でしか大切なことをお伝えできない」という性格上の課題でした。

どういうことかというと「何か有益な情報や知恵をお伝え」している場所では、その読者は「具体的な情報」を所望しているのであって「筆者の物語」を所望しているわけではない、ということなのです。そこにわたしの話を多く入れてしまうと、そんな長々と「あなたの話をされても・・・」ということになってしまうよなと、わたしは客観的に感じるのであって、その勘は正しいと思っています。
(たとえばわたしは最近話題の占い師さんのマガジンをお金を払ってフォローしていますが、そこでもし「僕は**座なんだけど、昨日散歩していたらね・・・」なんてことが増えたら、それよりわたしの星座のこと書いて! ってなるだろうと思います。笑)

なので、出羽三山のくだりや、龍の物語を、知恵を伝授する「東の魔女の暮らし」に含むとテイストにブレが出ちゃうなと思ったわけなのです。じゃあそのくだりは「無駄か」というとそうではなくって、ここがわたしが感じる「とりこぼされてしまう大事な欠片」なのでありました。
つまり「東の魔女の暮らし」の特性の中に含んでしまうことにより「とりこぼされてしまう大事な部分」という意味です。

わたしが「小説家的な」角度からこの”ラララ世界”を紡いでいく限り、わたしという人間が体験したことや感じたことの中に世界の声を織り交ぜ、
なるべく読みやすい文体と筆致で綴り、それをいわゆる村上春樹の描く世界の「僕」のように、読者が追体験していくというやり方は、は外せない要素です。それによってもやあとした、とらえどころのないフィーリングに輪郭を与え、その輪郭に触れた読者が「この感じわかる」という風にエンパス(共振)していく。

なんていうかつまりここまでをすでに興味深く読んでくれている人はきっと「シュメールの突先」も嫌いではないだろうというお方なのですが、
同時にわたしは「東の魔女の暮らし」だけが読みたい、という読者をこれからもウェルカムしたいし、大切にしたいと考えています。なぜかというとそれが、全て世界の入り口だからです。

2014年、世界の声に耳を傾け始めた頃、夜でも明るい、夏でも冬のものが食べられる都会生活で、わたしは完全に五感が鈍っていました。つまり当時「不器用さん」だったあの頃にじぶんにとって「こんなのあったらすごく嬉しかったな」というコンセプトで「東の魔女の暮らし」は綴っています。

つまりそこを経て「生きものとしてのわたし」を取り戻した次の段階として、誰かの日常生活のような私小説からも「この感覚」「あの感覚」という風に、必要な感性をとり出せるようになるのだよなあと、実体験から感じているので、わたしは「東の魔女の暮らし」に、不器用さん視点でいくと多少”不可解”な「筆者の物語」は邪魔だと考えました。
けれど先のやり方で言うと「世界」は「そろそろ随筆的なものを織り交ぜて語れ」と告げてきています。

それで困って、2日休んだあと、わたしは「東の魔女の記」として「シュメールの突先(とっさき)」を立ち上げることにしました。
タイトルについてはまたおいおいお伝えしていくことにします。

このマガジンに関しては多少サロン感というか「ある程度わかって入ってきてもらえたら嫌な思いはさせないかもしれない」という意味合いも含めて、課金システムにすることにしました。1回の課金で永久的に読めます。
この記事はしばらく「東の魔女の暮らし」に置いて、「シュメールの突先」への道案内とさせてもらえたらいいかな、と思っています。

で、どんなことを書くわけ? 課金する前に知りたい。
・・・と思う方がいらっしゃると思うので、明日また「シュメール」視点で、無料記事を投稿しようと思います。
(投稿しました!こちら↓)



現在もやあと考えているのは「ラララ世界」を一つの広場と考えて、
まず、不器用さんに贈る「東の魔女の暮らし」があって、
次に書斎的な「シュメールの突先」があり、
それとは別に「仏閣・神社・旅」のマガジン、
世界の謎に迫る「アトランティスの人魚」、
そして準備ができたら「ラララ・エッティラ」という、失われたタロットの物語に迫るマガジンを始めようと思います。
お祭りでも、金魚すくいが好きな人、焼きそばが食べたい人、光る腕輪が欲しい人、射的をしたい人、いろいろ分かれると思うので、みんなが過不足なく好きなものだけをフォローできて、またそれら全部が面白いと思ってくれた人はこの「la la la 世界」ごとを追いかけてくれたらと思います。

これまでは「東の魔女の暮らし」を毎日更新していました。
今後も毎日更新することには変わりありませんが、更新マガジンは変更になる場合があります。もしも曜日固定できそうだなと思ったらまたお伝えしますね。そんなわけで「シュメールの突先」始まります!
長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとう!
まだマガジンは「空」ですのでご注意ください。笑。

写真は「東の魔女の暮らし」のアイコンになっているポインセチアの一部です。のれん分けのような感じでいいでしょう?笑

それではらるらるらん♪
ラララ世界で、または、シュメールの突先で、会いましょう☆ 


嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ