心照古教〜『大学』を考える〜【一】

「明徳を明らかにする」

四書五経にある『大学』の出だしの一節は、こうです。


『大学』の教えの一番根幹にあるのは、
「明徳を明らかにすること」。

我々は直接的には父と母の働きによってこの世に生まれてきております。
さらに遡れば、その先祖も含まれますし、さらに追求すれば、
母は大地・地球に繋がり、そして父は太陽に繋がるのです。
子供は父の精を受けて受胎し、母の胎内において育ちます。
体内で臍の緒を通じて養分や水分を吸収し、…月満ちて生まれ出てくる。
生まれたら…(中略)…どこから吸収するのかといえば、
すべて大地からもたらされる恵を通じてでありましょう。
だから、大地は我らの母であり、地球は我らの母である。
ところが、大地は非常に重要なものではありますけれども、
作物一つをとっても、大地にある水分養分だけで成長するものではありません。
いうまでもなく、太陽の光や熱を受けて成長をしている。
太陽は我らの父なのです。
このように、太陽と地球との調和によって万物は生成しているわけですから、人間には、大地・地球の徳と太陽の徳が生まれながらにして与えられているのです。
玄徳は地球の徳といってもいいでしょう。
明徳は太陽の徳といってもいいいですね。

伊輿田覺『「大学」を味読する 己を修め人を治める道』


余談ですが、個人的にこの一文を読んだとき、
西洋占星術の地球占星術ジオ・セントリック太陽占星術ヘリオ・セントリックを想起しました。
占星術の大家、松村潔先生が著していた『三次元占星術』は、
このジオセントリックとヘリオセントリックを掛け合わせたものでした。
本質的なものは、
いろんな分野にも共通のものとして繋がってくるように感じています。

太陽は恒星ですから、24時間休みなく照り続けておるものです。
そして、明徳とは、外にある太陽に対して、
我らの内にある小太陽のようなものです。
明徳もまた輝いているのです。
しかし我々地球人は、太陽を見ることのできないときがあります。
それは、太陽の反対側にいるとき、いわゆる夜です。
あるいは日中でも、雲がかかり、霧がかかり、スモッグがかかったら
太陽を見ることができません。
それと同じように、人間の明徳にも雲がかかることがある

伊輿田覺『「大学」を味読する 己を修め人を治める道』

明徳にかかる雲とはなんぞやといえば、「我」「私」

「我」…矛を手に、「寄らば斬るぞ」と自分を守っている姿
「私」…五穀を表す「禾」と、それを肘を曲げて
    引き寄せている形を表す「ム」で
    表現されている「なるべく多くの富を手元に手繰ろうとする姿」

私の特定したノイズもここに含まれるのでは?
どれも「不安感」からくる行動だと思う。

『「大学」を味読する 己を修め人を治める道』を読んでの読書メモ

自分を大事にすることも含めて、
「利己的な振る舞い」と断じがちだったときのことを振り返ると、

私の飛び込み先の選択基準は
「捨て身でいられること」だったのかもと思います。

事務という仕事の内容自体にはそれほど思い入れがなくて、
修行と割り切っているから、
人からこき下ろされても
いいように利用されても
まだ心の距離が取れる。

ただ、理想のために「誠実に向き合おう」としていると
次第に愛着も湧いていきました。

事務員として仕事に打ち込むうち、
私は自分が関わっている「仕事」がかわいくなっていました。

だから、
それまで同じ職場に居ながら、
仕事から逃げ回って「わからない」ままで過ごしていた
同僚たちに「わからないから教えてよ」と寄って来られたとき、
大事に育ててきた仕事を明け渡すのはすごく苦い気持ちだった。

このとき割と強烈に、
「いいように利用されるのはもうごめんだ」と思ったんですよね。

8年の修行に終止符を打ったとき、
また一からやり直すんなら、

大事に育てたかわいい仕事を、
これまでさんざ、仕事をいい加減に
転がしているところを見せられてきた相手に
手渡さなきゃならないような
あんな経験は二度としたくない。

「育てる土壌を間違えなくない」という感覚から、
自分の仕事をつくろうという気になった。

わたしの心願「明徳発輝めいとくはっき

才能を活かす、「好きを仕事にする」ことが
明徳の発揮になると思い
絵を描くことや、物語を想像すること、言葉にすること
を仕事にしようとしたはずなのですが、
それまで「大事にしてきたもの」を表に打ち出すことに
恐ろしさを感じました。

恥ずかしい話、
これまで人と関わるときのほとんどを、
私は心を理論で武装して
「寄らば斬るぞ」と自分を守っていたと思います。

具体的には、
「あなたを不快にさせないから、私に口出しすんな」といった感じです。

過度な自分責めは、自己防衛によるものだと心理学で学びました。

周りからとやかく言われる前に、
先手を打って
自分で自分を責めることで、
他者からの攻撃による衝撃を緩和しようとしていた…
という理屈です。

「内にある小太陽」にかかる雲


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